邂逅
四谷軒
三条河原
とある墓に向かって手を合わせていた。
その小ぢんまりした墓には、かつて関ヶ原の戦いで、徳川家康の向こうを張って戦った男、石田三成が眠っている。
「あれから四年――」
もう、墓の下で、骨になっているだろうな。
宗矩はふと、そんなことを考える。
そして――三成の死とその後のことを思い出した。
*
慶長五年十月一日。
石田三成、斬首。
豊臣秀吉の臣下として生き、最後には豊臣家の潜在敵というべき徳川家康を相手に合戦を挑み、散っていった三成。
その最期は──切腹ではなく打ち首であった。
家康は三成の勇を賞し、小袖を贈って、その最期を飾ろうと仕向けたが、三成はそれを拒否。逆に──この命ある限り
「首を討て」
これほどまでの敵意を示されてまで、さしもの家康も大度を示すことをあきらめたのか、三成は斬首となった。
そしてその首は三条河原に
というか、捨てられた。
河原に捨て置かれた首を見て、京雀たちは――
「徳川の世が来る」
盛んにそうささやき、
*
時日が
「徳川さまは、いつまであの首ィ捨てておるんやろ」
そう言う町人もいたが、特段気を遣っていわけではない。
位人臣を極めた豊臣家の柱石というべき、石田三成。
その首を石当ての的にするという、
その町人は三条河原にちょうど通りかかって、せっかくだからとばかりに石を拾って、投げようとした。
かん。
……だがその石は、首に当たらずに、何か金属製のものに当たって、はね返って来た。
顔に。
「あ
町人はうずくまる。
そのうずくまった町人の前に、何か、
「そこな町人」
「ひっ……ひっ」
黒い影は、ぼろぼろの
ただ、僧侶というには筋骨がたくましく、長身であるため、まるで
「あの首は捨ててあるんだよな」
「え……いや……」
僧侶はにやぁと笑った。
「なら、拙僧が拾おうではないか」
「そ、それは」
町人としては、自分の言葉でそんなことをされては困る、と言いたげな表情で、顔をぶんぶんと振った。
「……ふん、別に拙僧はおぬしのせいになどせぬわ。今のは単なる嫌がらせよ」
「
僧侶――宗彭が振り返ると、そこには宗彭とちがって、上等な袈裟や衣を身につけた、老僧が立っていた。
「お師匠」
「……さような嫌がらせをしておるから、まだ大悟できぬのだぞ、わきまえよ」
「これは手厳しい」
老僧は懐中から布を取り出して、早くせいと宗彭をうながす。
宗彭はほい来たと言いながら、三成の首までずかずかと進んでいき、一度錫杖を置き、そっと手を合わせた。
首を拾い、老僧から受け取った布で包む。
「お辛かったでしょう……ですが、もうよろしいでしょう」
宗彭が布に包まれた首を片手で抱え、片手で錫杖を持ち、老僧の前まで戻った。
老僧もまた合掌し、それから首を受け取った。
「三成どの……」
老僧は感極まったかのように首を抱きかかえ、経を唱えた。
それを聞いた町人が、老僧の名に気づいた。
「もしや、
春屋宗園。
大徳寺住持であり、かつて、千利休が切腹することになった原因のひとつ、金毛閣事件にかかわったとされている(金毛閣、すなわち大徳寺の山門に雪駄を履いた利休の木像を置き、秀吉に「上から踏ませるのか」と怒らせた)。
今、三成の首を彼が弔おうとしているのは、彼の弟子の宗忠と宗彭が三成の居城・佐和山城内の瑞嶽寺の建立に尽力したという縁からである。
……利休の木像といい、三成の弔いといい、気骨ある僧侶だったといえる。
そしてそれは、弟子の宗彭にもいえる。
*
「では長居は無用じゃ」
春屋宗園が経を終え、首を抱きかかえたまま歩き出す。
宗彭も錫杖を鳴らしてあとを追う。
だがその先に。
「待て」
宗彭と同い年か少し年下の剣士が、そこに立っていた。
*
「柳生宗矩という」
剣士はそう名乗り、三成の首を返すように言った。
「
春屋宗園よりも先に、宗彭が答えた。
錫杖片手に、前に進みながら。
「その首は、徳川さまが晒しているもの。勝手に持ち出させるわけには、いかぬ」
宗矩は徳川家おかかえの剣士であり、それゆえにこうして駆けつけたという。
「捨てていたではないか」
宗彭は遠慮なく言う。
宗矩は苦虫を噛み潰したような表情をした。
彼としても、不本意らしい。
「悪いことは言わぬ。返せ。さなくば、その
「……どうするというのだ? 殺すか? 三成どののように」
宗彭は本当に遠慮がない。
それでいて、さりげなく春屋宗園を背後に隠す。
どうやら、自分が相手になるというらしい。
「…………」
宗矩はこの時、逡巡した。
相手は巨刹、大徳寺の住持。
迂闊に始末するわけにはいかぬ。
ならばその弟子を。
そうまで思った瞬間に。
「……ぬん!」
宗彭の錫杖が走った。
宗矩は思わず抜刀する。
かち合う錫杖と剣。
両者、そのまま鍔迫り合い。
「……貴様、武芸の心得が」
宗矩が問う。
問う間にも、まるで猛牛に押されているような圧力である。
宗彭は笑った。
「柳生とは、無刀取りの柳生であろう。だから、先手を取った」
それが答えだ、というように。
無刀取りとは、剣豪・上泉伊勢守が宗矩の父・柳生石舟斎に与えた公案である。
無刀で取るとは、どういうことかを考え、実現せよ――と。
「……く」
宗彭はその公案を聞いており、だからこそ無刀にて制せられる前に、先手を取ったのである。
そうして鍔迫り合いに持ち込んだ。
あとは、
気力の勝負。
「……それならば、拙僧の勝ちだからな!」
「世迷言を!」
宗矩は吐き捨てながらも、宗彭の判断に舌を巻いた。
無刀で――体術で抑えられる前に、僧侶の得意である錫杖を打ち込む。
そして言うとおり、宗彭の膂力は尋常ではない。
やはり、ただものではない。
「だがこの柳生宗矩、負けるわけにはいかぬ!」
「……おぬし、迷うておるだろう?」
「……む」
僧侶は
それに持ち込む気か。
宗矩が耳を貸すまいと集中を高めようとするが。
「三成どのの首を討ったは、おぬしか?」
「……うっ」
*
命尽きるまで、三成は家康を討つことをあきらめなかった。
だから切腹に応じなかった。
だから首を討たれた。
それを命じられたのは宗矩である。
それを知った三成はこう言った。
「名のある剣士に討たれる。本懐である」
つわものに最期をまっとうさせること――これは名誉である。
三成の言に感じ入っていた宗矩だが、討った首の扱いに愕然とした。
「なぜ、捨てるような。これが、晒すだと?」
家康はすでに大坂に入り、戦後処理に忙殺されており、宗矩がこのことを伝えようにもできず、
京に留まっている徳川家の面々に聞いても、言を左右にして何もしようとしない。
埒が明かないと三条河原に来てみると、宗彭らの「拾い首」である。
「ふざけるな」
宗矩は、怒っていた。
怒りに任せて、宗彭と相対した。
*
「……そんな怒った剣では、この宗彭は斬れぬ!」
宗彭は僧侶である。
人の動揺を見るには長けている。
ゆえにこそ、先手を取ったのだ。
いかに無刀取りの柳生といえど、先手を取り、その動揺を
「愚僧といえども勝てるわ!」
「うっ、ぬうううううう!」
宗矩は焦った。
常に自分を抑え、関ヶ原にて手柄を立てて、父が失った柳生の地を復すまで至った宗矩が、焦った。
何なんだ、こいつは。
押される。
剣が。
錫杖に。
負けるのか。
こんなとこで。
「……ふざけるな!」
宗矩は剣を放した。
突然のことに、宗彭がつんのめる。
宗矩はその隙を逃がさなかった。
宗矩の手が墨染の衣をつかむ。
もう一方の手は、袈裟へ。
「投げ飛ばしてくれる!」
そうして地にたたきつけたあとに。
首を。
「討てるか?」
「討つ!」
投げられ、宙を飛ぶ宗彭。
宗矩は脇差を抜きながら前へ。
飛び出そうとして。
「ぬっ」
手裏剣が宗矩の
振り向く宗矩。
どうと地にたたきつけられた宗彭も、仰向けざまに見た。
「……半蔵どの」
その者は、そこらの町人のように見えた。
だが、目が尋常ではない。
射るような目を、宗矩と宗彭を向けた。
あれが、音に聞く徳川の忍び、服部半蔵か。
宗彭はそうつぶやきながら、立ち上がった。
「柳生どの」
半蔵は静かに声をかけた。
「家康さまは、その
無音で歩く半蔵。
彼は、宗矩でもなく宗彭でもなく、春屋宗園のところまで歩いた。
あまりの迫力に、宗矩も宗彭も手が出せない。
「こたびの件――家康さまも遺憾とされております。このような扱いをした者は詮議の上、問いただします。そして、
そこで半蔵は一礼した。
「
「むろんのこと、言われるまでもない」
春屋宗園も堂に入ったもので、半蔵相手に一歩も引かずに受け答えた。
*
そして四年後――慶長九年。
宗矩は手を合わせていた。
ここは大徳寺の
その一角に、三成の墓はあった。
宗矩は何ごとかを念じ、立ち上がった。
振り返ると、見知った僧が。
「宗彭どのか」
「応」
あれから――
宗矩と宗彭は、いつの間にやら互いに会い、
互いに、骨のある奴、という認識が、そうさせたのだろう。
「堺にて大悟したと聞いたが」
「だからここに来た」
師である春屋宗園にそのことを言上しに来た、という次第である。
あとで
そしてこう問うた。
「そういえば――」
「何だ」
「今は何と名乗っているのだ」
宗彭は大悟したことにより、法号を得た。
その法号は――
「沢庵という」
「沢庵宗彭か」
いい名だ、と宗矩は言った。
沢庵は、褒めても何も出ん、と笑った。
【了】
邂逅 四谷軒 @gyro
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