邂逅

四谷軒

三条河原

 柳生宗矩やぎゅうむねのりは手を合わせていた。

 とある墓に向かって手を合わせていた。

 その小ぢんまりした墓には、かつて関ヶ原の戦いで、徳川家康の向こうを張って戦った男、石田三成が眠っている。


「あれから四年――」


 もう、墓の下で、骨になっているだろうな。

 宗矩はふと、そんなことを考える。

 そして――三成の死とその後のことを思い出した。



 慶長五年十月一日。

 石田三成、斬首。

 豊臣秀吉の臣下として生き、最後には豊臣家の潜在敵というべき徳川家康を相手に合戦を挑み、散っていった三成。

 その最期は──切腹ではなく打ち首であった。

 家康は三成の勇を賞し、小袖を贈って、その最期を飾ろうと仕向けたが、三成はそれを拒否。逆に──この命ある限り内府だいふ(内大臣の雅称。当時、内大臣であった徳川家康のこと)を討つとうそぶいてまなかった。


「首を討て」


 これほどまでの敵意を示されてまで、さしもの家康も大度を示すことをあきらめたのか、三成は斬首となった。

 そしてその首は三条河原にさらされた。

 というか、捨てられた。

 河原に捨て置かれた首を見て、京雀たちは――


「徳川の世が来る」


 盛んにそうささやき、阿諛あゆのためか、三成の首に向かって、石を投げるという悪戯に興じた。



 時日がち、三成の首は、誰かの投げた石のせいか、骨がのぞくようになった。


「徳川さまは、いつまであの首ィおるんやろ」


 そう言う町人もいたが、特段気を遣っていわけではない。

 位人臣を極めた豊臣家の柱石というべき、石田三成。

 その首を石当ての的にするという、くらい遊びがいつまでできるか、というのを気にしているのだ。

 その町人は三条河原にちょうど通りかかって、せっかくだからとばかりに石を拾って、投げようとした。


 かん。


 ……だがその石は、首に当たらずに、何か金属製のものに当たって、はね返って来た。

 顔に。


「あいたッ」


 町人はうずくまる。

 そのうずくまった町人の前に、何か、おおきな黒い影が立った。


「そこな町人」


「ひっ……ひっ」


 黒い影は、ぼろぼろの墨染すみぞめころもを着た、錫杖を持った、若い僧侶だった。

 ただ、僧侶というには筋骨がたくましく、長身であるため、まるで唐土もろこし梁山泊りょうざんぱくの豪傑のようだ。


「あの首はあるんだよな」


「え……いや……」


 僧侶はにやぁと笑った。


「なら、拙僧が拾おうではないか」


「そ、それは」


 町人としては、自分の言葉でそんなことをされては困る、と言いたげな表情で、顔をぶんぶんと振った。


「……ふん、別に拙僧はおぬしのせいになどせぬわ。今のは単なる嫌がらせよ」


宗彭そうほう


 僧侶――宗彭が振り返ると、そこには宗彭とちがって、上等な袈裟や衣を身につけた、老僧が立っていた。


「お師匠」


「……さような嫌がらせをしておるから、まだ大悟できぬのだぞ、わきまえよ」


「これは手厳しい」


 老僧は懐中から布を取り出して、早くせいと宗彭をうながす。

 宗彭はほい来たと言いながら、三成の首までずかずかと進んでいき、一度錫杖を置き、そっと手を合わせた。

 首を拾い、老僧から受け取った布で包む。


「お辛かったでしょう……ですが、もうよろしいでしょう」


 宗彭が布に包まれた首を片手で抱え、片手で錫杖を持ち、老僧の前まで戻った。

 老僧もまた合掌し、それから首を受け取った。


「三成どの……」


 老僧は感極まったかのように首を抱きかかえ、経を唱えた。

 それを聞いた町人が、老僧の名に気づいた。


「もしや、春屋宗園しゅんおくそうえんどの? 大徳寺住持の?」


 春屋宗園。

 大徳寺住持であり、かつて、千利休が切腹することになった原因のひとつ、金毛閣事件にかかわったとされている(金毛閣、すなわち大徳寺の山門に雪駄を履いた利休の木像を置き、秀吉に「上から踏ませるのか」と怒らせた)。

 今、三成の首を彼が弔おうとしているのは、彼の弟子の宗忠と宗彭が三成の居城・佐和山城内の瑞嶽寺の建立に尽力したという縁からである。

 ……利休の木像といい、三成の弔いといい、気骨ある僧侶だったといえる。

 そしてそれは、弟子の宗彭にもいえる。



「では長居は無用じゃ」


 春屋宗園が経を終え、首を抱きかかえたまま歩き出す。

 宗彭も錫杖を鳴らしてあとを追う。

 だがその先に。


「待て」


 宗彭と同い年か少し年下の剣士が、そこに立っていた。



「柳生宗矩という」


 剣士はそう名乗り、三成の首を返すように言った。


御免ごめんこうむる」


 春屋宗園よりも先に、宗彭が答えた。

 錫杖片手に、前に進みながら。


「その首は、徳川さまが晒しているもの。勝手に持ち出させるわけには、いかぬ」


 宗矩は徳川家おかかえの剣士であり、それゆえにこうして駆けつけたという。


「捨てていたではないか」


 宗彭は遠慮なく言う。

 宗矩は苦虫を噛み潰したような表情をした。

 彼としても、不本意らしい。


「悪いことは言わぬ。返せ。さなくば、そのほうらを」


「……どうするというのだ? 殺すか? 三成どののように」


 宗彭は本当に遠慮がない。

 それでいて、さりげなく春屋宗園を背後に隠す。

 どうやら、自分が相手になるというらしい。


「…………」


 宗矩はこの時、逡巡した。

 相手は巨刹、大徳寺の住持。

 迂闊に始末するわけにはいかぬ。

 ならばその弟子を。

 そうまで思った瞬間に。


「……ぬん!」


 宗彭の錫杖が走った。

 はやい。

 宗矩は思わず抜刀する。

 錫杖と剣。

 両者、そのまま鍔迫り合い。


「……貴様、武芸の心得が」


 宗矩が問う。

 問う間にも、まるで猛牛に押されているような圧力である。

 宗彭は笑った。


「柳生とは、無刀取りの柳生であろう。だから、先手を取った」


 それが答えだ、というように。

 無刀取りとは、剣豪・上泉伊勢守が宗矩の父・柳生石舟斎に与えた公案である。

 無刀でとは、どういうことかを考え、実現せよ――と。


「……く」


 宗彭はその公案を聞いており、だからこそ前に、先手を取ったのである。

 そうして鍔迫り合いに持ち込んだ。

 あとは、膂力りょりょくの勝負。

 気力の勝負。


「……それならば、拙僧の勝ちだからな!」


「世迷言を!」


 宗矩は吐き捨てながらも、宗彭の判断に舌を巻いた。

 無刀で――体術で抑えられる前に、僧侶の得意である錫杖を打ち込む。

 そして言うとおり、宗彭の膂力は尋常ではない。

 やはり、ただものではない。


「だがこの柳生宗矩、負けるわけにはいかぬ!」


「……おぬし、迷うておるだろう?」


「……む」


 僧侶は口舌くぜつが商売。

 それに持ち込む気か。

 宗矩が耳を貸すまいと集中を高めようとするが。


「三成どのの首を討ったは、おぬしか?」


「……うっ」



 命尽きるまで、三成は家康を討つことをあきらめなかった。

 だから切腹に応じなかった。

 だから首を討たれた。

 それを命じられたのは宗矩である。

 それを知った三成はこう言った。


「名のある剣士に討たれる。本懐である」


 つわものに最期をさせること――これは名誉である。

 三成の言に感じ入っていた宗矩だが、討った首の扱いに愕然とした。


「なぜ、捨てるような。これが、晒すだと?」


 家康はすでに大坂に入り、戦後処理に忙殺されており、宗矩がこのことを伝えようにもできず、ふみを送ったが返事は来ない。

 京に留まっている徳川家の面々に聞いても、言を左右にして何もしようとしない。

 埒が明かないと三条河原に来てみると、宗彭らの「拾い首」である。


「ふざけるな」


 宗矩は、怒っていた。

 怒りに任せて、宗彭と相対した。



「……そんな怒った剣では、この宗彭は斬れぬ!」


 宗彭は僧侶である。

 人の動揺を見るには長けている。

 ゆえにこそ、先手を取ったのだ。

 いかに無刀取りの柳生といえど、先手を取り、その動揺をけば。


「愚僧といえども勝てるわ!」


「うっ、ぬうううううう!」


 宗矩は焦った。

 常に自分を抑え、関ヶ原にて手柄を立てて、父が失った柳生の地を復すまで至った宗矩が、焦った。

 何なんだ、こいつは。

 押される。

 剣が。

 錫杖に。

 負けるのか。

 こんなとこで。


「……ふざけるな!」


 宗矩は剣を放した。

 突然のことに、宗彭がつんのめる。

 宗矩はその隙を逃がさなかった。

 宗矩の手が墨染の衣をつかむ。

 もう一方の手は、袈裟へ。


「投げ飛ばしてくれる!」


 そうして地にたたきつけたあとに。

 首を。


「討てるか?」


「討つ!」


 投げられ、宙を飛ぶ宗彭。

 宗矩は脇差を抜きながら前へ。

 飛び出そうとして。


「ぬっ」


 手裏剣が宗矩の手甲てっこうを斬り、裂いた。

 振り向く宗矩。

 と地にたたきつけられた宗彭も、仰向けざまに見た。


「……半蔵どの」


 その者は、そこらの町人のように見えた。

 だが、目が尋常ではない。

 射るような目を、宗矩と宗彭を向けた。

 あれが、音に聞く徳川の忍び、服部半蔵か。

 宗彭はそうつぶやきながら、立ち上がった。


「柳生どの」


 半蔵は静かに声をかけた。


「家康さまは、そのほうふみを見た」


 無音で歩く半蔵。

 彼は、宗矩でもなく宗彭でもなく、春屋宗園のところまで歩いた。

 あまりの迫力に、宗矩も宗彭も手が出せない。


「こたびの件――家康さまも遺憾とされております。扱いをした者は詮議の上、問いただします。そして、不躾ぶしつけながら――」


 そこで半蔵は一礼した。


治部少輔じぶしょうゆう石田三成どのの御首みしるし、ぜひ丁重に――丁重にお弔いいただけないでしょうか」


「むろんのこと、言われるまでもない」


 春屋宗園も堂に入ったもので、半蔵相手に一歩も引かずに受け答えた。



 そして四年後――慶長九年。

 宗矩は手を合わせていた。

 ここは大徳寺の塔頭たっちゅう、三玄院。

 その一角に、三成の墓はあった。

 宗矩は何ごとかを念じ、立ち上がった。

 振り返ると、見知った僧が。


「宗彭どのか」


「応」


 あれから――

 宗矩と宗彭は、いつの間にやら互いに会い、ふみを交わす仲になっていた。

 互いに、のある奴、という認識が、そうさせたのだろう。


「堺にて大悟したと聞いたが」


「だからここに来た」


 師である春屋宗園にそのことを言上しに来た、という次第である。

 あとで般若湯はんにゃとうを呑もう、と宗彭が言うと、宗矩は笑った。

 そしてこう問うた。


「そういえば――」


「何だ」


「今は何と名乗っているのだ」


 宗彭は大悟したことにより、法号を得た。

 その法号は――


「沢庵という」


「沢庵宗彭か」


 いい名だ、と宗矩は言った。

 沢庵は、褒めても何も出ん、と笑った。


【了】

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