窓辺の貴婦人
竹神チエ
窓辺の貴婦人
僕の願いなんて取るに足らないのだから気にすることなんてなかったんだ。あの日は灰被りの雪がちらついていて、寒くて惨めで世界中が僕を嫌っているような気がしていた。たった、それだけのことなんだ。
空は黄色に染まっていたし、蜘蛛はコバルトブルーの気分で泳いでいた。ビードロの音がしてコロコロと歌っていたのはインコだと思ったら一反木綿だったんだ。
ほらね。いつもの日常だった。
それでも寒くて寒くて足の爪の先っぽが冷たくてキノコが生えてきそうだったんだ。それを摘まんで味噌汁にしたら美味しそうだったけど、指がなくなると困るでしょ? だからお家に帰ろうとしてたんだ。いつも道だったんだ。
僕はあの家の前をいつも通っているんだ。昔々のある頃までは母様が運転する助手席から見てたんだ。白色の壁に緑の屋根のお家。まるで外国のドラマに出てきそうなお家なんだ。僕が知っているお洒落なお家は二個分あった。
一個目はピンクの屋根。ショッキングピンクの屋根はすごく目立つ。通学路にあって自転車で通る時に見ていたんだ。いつの間にか空き家になって古くなってショッキングピンクが薄汚れてメリーゴーランドが軋んでいる色をしてツタが生えてて空き家でお化け屋敷みたいだったんだ。
だから少し嫌いだった。今はうんと嫌いだ。でも緑の家は嫌いじゃなかった。たまにしか見ない家だったのもある。コーラを買う時にしか通らない道にあったから。本当は何度も通りたかったけど助手席にいると通ることはできないから無理なんだ。母様の行きたい道を行くだけだから。
でもそれでよかったんだ。だってあの頃はまだ君の家じゃなかったはずだから。君は僕より若いと思う。そんな気がしている。でもすごく若いわけじゃないんだ。少しだけ。ほんの少しだけ、僕がお兄さんな気がしてたんだ。僕のほうがいろいろできる気がするって、そんな気がするだけなんだけど。
ある日から、あの家の前を僕は歩くようになった。その時は廃墟だった。空き家だったのかもしれない。誰も住んでなくて白壁は汚くて薄汚れて誰もいなかったんだ。でも改装して人が住むようになったんだ。もともとの住人が戻って来たのかもしれないし、新しい人が買ったのかもしれない。君がどっちなのか僕は知らない。
誰かに聞いたこともない。でも壁がピカピカの歯磨き粉になって緑の屋根がフサフサの草になって、丘の上のデイジーが咲いている家みたいになったんだ。洋画に出てくるお家の窓は白い格子の出窓でお洒落だと思って眺めていた。
すると気づいたんだ。人形が飾ってあるって。パールのカーテンでよく見えてなかったけど、前を通るときじっくり見るようにしたら、あの子はこちらに背を向けて立っていたんだ。陶磁器のお人形さんだ。日傘をさした貴婦人だ。
僕はしばらくのあいだ、あれはおもちゃの映画に出てくる人形と同じ子だと勘違いしていた。ボンネットにドレスを着てパラソルを手に持ってる、あの女の人形だ。でも色々と調べていたら勘違いだとわかったんだ。あの子は羊飼いの女性だったんだ。でも僕が見たのは日傘で、羊飼いが持っているのは杖だった。
それで少しがっかりしたの。僕は映画と同じ人形だと思っていたから、全然違ってて、ピンクの綿あめの気持ちが甘くなくなったんだ。出窓のカーテンの裏にちらちら見えている人形は陶磁器の貴婦人だ。日傘をさしていてボンネットをかぶってて少し首を傾げている大人の貴婦人だ。
どうしてわかるのかって、貴婦人のお人形がカーテンから出てきたからだ。背中を向けてなくて僕を見ていたんだ。天気を見ている貴婦人の目は青色で髪の毛は黄色い大きな菊の色。ドレスは白色にピンクの薔薇模様。ボンネットもピンク。日傘はドレスと一緒で白色に薔薇模様。
僕はすっかり気に入った。綿あめの甘い気持ちが戻って来た。それからふと思ったんだ。きっと僕が見ているって気づいたから、あの人形はこちらを向くようになったんだって。
僕は夜も貴婦人に会うようになった。夜の貴婦人は二階の出窓にいる。そこから家の前を通る僕を見ている。僕も貴婦人を見上げる。見つめ合う。ほんと一瞬だけ。僕は立ち止まらない。歩き続けながら貴婦人を見る。貴婦人は僕を見下ろしている。
でも本当の貴婦人は一階の出窓にいる。貴婦人は首を傾げていて少し上のほうを見ている。日傘の間から空を見上げて、雨は降りそうにないかしら、虹が見えたりしないかしら、といっている。だから僕とは目が合わない。目が合うのは夜の中だけ。
貴婦人の隣にある日、仲間が増えた。羊。丸い羊のぬいぐるみ。もふもふの白い毛に黒い顔。目がくるくるしている。アニメで見た気がする。名前がある。でも僕は知らない。それより大切なのは羊だってこと。僕はおもちゃの映画を思い出した。きっと貴婦人もそのつもり。彼女も勘違いに気づいてない。
羊は僕を見ている。貴婦人は空を見上げている。僕は貴婦人に名前をつけたくなった。でも何も思いつかなくて悲しくなった。貴婦人は僕に名前を教えてくれない。夜の中でも貴婦人は僕を見下ろすだけで何も言わないままだった。
ポストにサインを置くようになった。窓に羊がもう一匹増えたから。僕が窓を見てるってわかったんだろう。そんな風に君がサインを送るから、僕もお返しにドングリを置く。今日はカラスの羽根にした。黒い羽根を真っ赤なポストの上に置く。君はそれを二階の窓から貴婦人と一緒に見下ろしていた。
夜中の君が「あれは一反木綿でしょ?」と聞いたから、僕は「ちがうよ。歌うバッタだよ」と教えてあげる。でも君は顔をしかめていったよね。
「あれは絶対に一反木綿。空を泳いで魔女と競争をしているの」
貴婦人は日傘を少し傾げて空を見上げた。
「そうね、あれは絹織物よ」
僕は陽射しが眩しくて何も見えなかった。
僕はポストに小石を置いた。ポインセチアの葉っぱを置いた。君が窓から見下ろせる位置にあるポストだから。今日行ったら、知らないおじさんがポストの上のサインを払い落していた。夢が散った。さよなら。僕はサインを置くのを止めた。だって楽しくなくなったから。さよなら。カラスの鳴き声がする。痛い痛い。
僕はポストをノックする。コンコン。君への合図。貴婦人はこの音が嫌いらしい。今日は少し不機嫌だ。羊はこの音が好き。スキップして喜ぶ。そんな羊の背中を貴婦人は杖で叩くから、羊は家出してクレーンゲームの中に隠れた。僕は百円で捕まえようとしたけど無理だった。羊は別の人のお家にいくはずだ。そこでもポストが鳴ってくれるといいのだけど。
貴婦人がいなくなった。出窓にいない。二階の窓にもいない。何もなくなったカーテンは少し恥ずかしそうに身をよじっていた。でも、そのうちポインセチアが貴婦人の場所に座るようになった。真っ赤なポインセチアはきな粉もちを食べたかったらしい。だから僕が代わりに食べる。その日からポインセチアが嫌いになった。
貴婦人を見つけたのは偶然だった気がする。ネルシャツが欲しくてお店に行ったら君の貴婦人が売られていたんだ。貴婦人は空を見たかったらしいけど、見えたのは穴ぼこだらけの天井で悲しんでいた。
貴婦人は天気を見るのが日課だから、窓辺にいないとだめなんだ。僕は貴婦人の値段を数えた。いち、に、さん。いち、に、さん。貴婦人はとても高価だった。ゼロが一個なかったら買えたのに。盗んではだめだからおいて帰った。
貴婦人はずっと天井を見上げていた。あれが新しい空なのだ。
誰かが貴婦人を買うとおかしくなりそう。でも貴婦人はとっても高い。僕が買える値段じゃない。僕は胃が痛くなって元気がなくなったから湯たんぽを抱いて眠った。すると貴婦人が僕を杖を振り回して追いかけて来た。「一反木綿、一反木綿。きな粉もち!」僕は怖くて、でんぐり返しして逃げた。君はこんな夢を見る?
無理してでも買おう。もう一度お店に行く。でも貴婦人はいなかった。
君の家に貴婦人が戻って来た。貴婦人は嬉しそうだった。空を見上げる頬がオレンジになる。羊もいる。でも羊は貴婦人に怯えていた。僕もその気持ちわかるよ。
雨が降っている。家に帰る。君の家の前を通る。貴婦人が僕を睨んでいた。僕が貴婦人を連れて帰らなかったのを恨まれている。空から降ってきたのは、お金だと思ったらハイソックスをはいた猫だった。僕は猫に頼んだ。
「お金持ちにして」
猫は尻尾を振り回した。
「ばーかばーか。胡椒の色は何色でしょう?」
答えられない僕の代わりに貴婦人が言った。
「本日の空は灰色。とても寒いでしょう」
そうして僕の爪先はキノコになった。
昨日から貴婦人は僕に背中を向けている。羊だけ僕を見ている。君は二階に住んでいて、一階は喫茶店になる。緑の屋根はケーキも売っている。焼き菓子のお店と母様がいう。来月から始まるらしい。だから看板ができていたんだ。僕は貴婦人とお茶がしたくなった。マドレーヌが食べたい。君は何を食べるんだろう。
貴婦人がまたこちらを向いた。僕はポストをノックする習慣をまた始める。羊が喜んでいる。貴婦人は空を見上げている。でもその耳は僕のサインを聞いている。
母様と一緒に喫茶店に行った。お客さんはたくさんいた。全員どんぐりみたいだった。暑すぎるから僕は冷たいコーラが飲みたかったけど、なかったからカフェオレを頼んだ。母様はコーヒーの香りを味わって「また来ましょうね」と話した。
ケーキは茶色でクルミの味がした。そんな僕らを貴婦人は無視して空を見上げていた。今日はポストが鳴らないのね、といったから、代わりにテーブルを叩いた。コン。母様は、「行儀が悪いですよ」と僕を叱った。
僕は一人でも喫茶店に行ってみた。貴婦人の近くに座る。マドレーヌはなかったけど紅茶は飲んだ。貴婦人は空を見ていた。でも知っている。僕が一緒で喜んでいるって。その日から貴婦人と会話できるようになった。
貴婦人はいった。ともだちが欲しいって。
だから僕は夜にポストを叩きに行った。寒い日だった。
君はパジャマを着ていた。僕は剥き出しの耳が溶けてバターになったのに、君はとても幸せそうにしている。二階にいる君はフーッと息を吹きかけて、くもった窓に文字を書いた。
”貴婦人がほしい?”
僕は首を振った。
ハイソックスの猫は牙を出して鳴いた。
「ばーかばーか。くしゃみの色は何色?」
青と答えたら、答えはグリーンだって。僕は鼻が落ちてのっぺらぼうになった。
貴婦人がいなくなった。僕はお店に行った。そこにもいなかった。
でも気づいた。二階の窓にいるって。
二階の窓から僕を見下ろしている。僕は喫茶店に行った。ダメですよ、と止められたけどビードロがコンコン鳴っているから、僕は奥の階段をあがっていく。
でも捕まってしまったから、たくさんの羊が「めー」と唾を飛ばした。
あの日は、とても寒くて空は黄色で蜘蛛は紫の糸を吐いていた。
だけど貴婦人が見上げていた空は晴れていたし、虹も出ていた。彼女はとてもご機嫌で鼻歌を歌いながらお腹を叩く。
僕は暗い部屋にいて、「どうして、あんなことしたの?」と聞かれていた。僕は貴婦人に会いに行っただけ。でも答えは違う。僕には解けない問題だ。
君の名前を聞かれた。知らないと教えてあげた。喫茶店の名前を聞かれた。僕はエメラルドグリーンと答えた。コバルトブルーは蜘蛛の色だったし、一反木綿は僕のことを忘れて、魔女の尻尾を追いかけていたから。
暗い部屋のおじさんはずっと首を傾げていた。
灰色の机をノックする。コンコン。
僕は今日も君の家に行きたい。赤いポストのサインも送りたい。でもここから出られないから、君が買いに来てくれるのを待っている。僕のゼロは何個あるかな? 君と飲んだ紅茶より安いといいんだけど。
窓辺の貴婦人 竹神チエ @chokorabonbon
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