第38話 勇者と語り部

 遠くで、鐘の音が聞こえる。真昼を知らせるものだ。村の方では仕事を休み、昼食を楽しむのだろうか。


「ルーさん」


 おれはといえば、こうして地面に這いつくばって葉っぱと睨めっこだ。嫌いな作業ではないが、腰は痛い。


「ルーさん」


 ロッテはあの後、安心したかのようにしばらく体調を崩して熱を出し、その後は持ち直したものの、やはり遠出はなかなか叶わない身となった。その代わりとでも言うように、城では何かと熱心に働いているらしい。おれが頼まれたのも、この一環だった。


『施療院をもっと大きく体系的にできたらと思うの。そのためには、薬草の知識をもっともっと深めて広めないと。これは私のためもあるのですけど』


 各地で草の採集や調査を願う、というのがおれに個人への依頼として課せられた役目だ。あちこちに派遣されることになる身としてはちょうど良い。なのでおれはこうしてしゃがみ込んで地面と顔を突き合わせ……。


「ルーさんてば、早くしないとそのうち日が暮れちまいますよ!」


 腕を引かれた。顔を上げると、レナルドの奴がいつもの派手な格好で呆れた顔をしていた。


「そっちのお仕事もいいですけど、本業をやりましょうよ。もうすぐ着くんだし」


 わかったよ、と立ち上がると、やはり腰が辛い。うんと背伸びをして身体をほぐした。


「専門の学者なんていうのは、ずっとこんな格好をしてるんだよな? よくやれる」

「様になってましたよ」

「結構面白いぞ。葉の形もいろいろあるんだ」


 こいつなんかは、気付け薬になるらしい、と布に挟んでおいたやつを見せてやった。


「萎れてますね」

「どうしてもな。乾かして持ち帰ったり、あとは筒に入れたり」

「意外だなあ。そういうのに楽しそうにする方だったんだ」


 楽しそうなのかどうかはわからない。ただ。この小さな草一本一本のどこかに、ロッテを救う力が宿っているなら良いと思う。ロッテは多分、自分だけでなくもう少し広い範囲のことを考えているのだろうが。


「まあ、行きましょう。こっちを先延ばしにしていいものでもありませんからね」


 ああ、とおれは歩き出す。天気は悪くなかった。あの日と同じだ。


「剣ばっかり振ってたんだよな、おれは。歌も習ったっていうのに」

「好きだったんじゃないですか」

「好きでも、魔物がいなきゃ、あとは獣か人にぶつけるだけだ。ただそれだけの力だよ」


 だから、今はこうして他にできることがあるのがありがたかった。おれは勇者だが、潰しは効くに越したことはない。


「お前の歌は、その点良い」

「でも、この間の件は丸ごと歌うなって。口惜しいですよ。せっかくのルーさんの活躍を広められないなんて」

「書いてるんだろ?」


 これは、レナルドの新しい仕事だ。おれたちにあったこと、魔法と遺構にまつわる物語を書き残して記録に残す。重要な役目だ。むしろどうしてそれをほっぽってこんな僻地に来ているんだと思う。


「難航中です。話し言葉と書き言葉だと勝手が違うので」

「早く仕上げてやれよ。卿も安心する」

「気合いは入れているんですよ。勇者ルーの物語、残す機会はこれしかないんだから」


 そうこうしているうちに、遺構の門が見えてくる。すっかり灰色に煤けて、強い力はあまり感じなかった。窪地の村の遺構。おれたちが戦った場所。


 おれたちは、後始末として各地の遺構を訪ねることとなっていた。一番留意する必要があるこの大きな場所が、最初の探索地だ。おれたちは顔を見合わせ、中へと入っていった。


 懐かしい、という感じはあまりしなかった。


▪️ ▪️ ▪️ ▪️


 あれから、三十の日が経ったか経たないか、だったはずだ。そのわりに、遺構は様変わりしていた。


 天井が大きく開いている。あれはグログウジュが入ってきた穴だろうか。それが空いたままになっていて、燦々と陽の光が降り注いでいた。光の雨のように。


 魔物の気配はない。しんと静まりかえっている。


 遺構の壁は灰色に変わり、石と石の隙間からは柔らかな緑の草が生い茂っている。蔦のようなものが伸びている場所すらあった。


 植物というものは、人の出入りがなければこのくらいの速さで茂るものなのだろうか? おれには何とも言えない。むしろ、これまで苔ひとつなく保たれていたこと自体が驚くべきことなのかもしれない。


「……見たことのない草だな」


 おれはいくつかの葉を頂戴する。ひとつ、咲いていた小さな青い花も、申し訳ないが摘ませてもらった。新しい筒に入れる。


「これは、良い知らせなのか、悪い知らせなのか、どっちだ?」

「どっちにしろ、スウリに教えないとですね」

「魔法院がさらに大忙しになるぞ」


 違いない、とレナルドが笑った。


「ねえ、ルーさん。僕はあの魔法の中で語り終えた時、ああ、終わっちまったって思ったんですよ。前の時みたいに」


 レナルドはリュートを取り出す。魔法の力が残っているのかどうか、確かめるためだ。とはいえ、もうあのものすごい反響音はどこかに消えてしまっていた。


「もうこんな不思議はなくなっちゃって、歌を歌うような、心震わすような出来事にも出会えなくなるんじゃないかって」


 でも、そんなことはないんですね。僕はまだ歌える。光に照らされ、艶々と輝く葉を見つめる。


 結局、魔の者の力とは何なのか、なぜこの地にこだわり守ろうとしたのか。そんなこともまだわかっていない。失われてしまった。


 わからないということは、これからいくらでも考えられるということでもあった。


 そうだ。終わってなどいない。


「月と日とに告げよ。これなるは勇者ルーの物語」

「おい」

「魔法を打ち破り、世を鎮め、新たなる歩を歩み出した、勇者の物語」


 おれは頭を掻く。世を鎮めたかどうかは怪しいものだ。イヴーリオの宣戦布告はしばらく街を騒がせていたし、今年は何だか秋が早そうだという見込みもあるらしい。冷たい雨の日も増えた。ゆっくりと、この土地は守りを失くしていく。


 勇者の剣ひとつでどうにかなる話など、たかが知れているのだ。


「その者、緑深き遺構に立ちて空を仰ぎ」


 眩しいな、と思った。何がだろう。陽の光は確かだが、何かがとても眩しくて、足が竦みそうになった。が。


「今足を踏み出す」


 さく、と草を踏む音を立てる。いつの間にかおれは遺構の真ん中に立っていた。確か、あの鏡王ドッペルゲンガーがいた辺りだ。


 見上げると、青い。青は、空の色でもあった。


 誰かに語ってもらわなければ、おれはきっと勇者になれない。それだけではなくて。


 おれがおれを語らなければ、おれはきっと何者にもなれない。


 おれはおれを語る。語り部に勇気があるように、勇者に語る力があったって良いだろう。


 頭の中にはいつでも、言葉が鳴り響いて止まない。おれは、それをどこまでも語り続ける。


 ちらりと白いものが、目の前に舞い降りた気がした。雪のような、光のような、あの時の余白の欠片のような。掴もうとしても、もうそこには何もない。


「レナルド」


 光が映した空の青、あの目の色の青。それから。


「いつか、そのうち。もっと旅をしよう。この土地の外でも良い」


 そこにはきっとまだ、何か見も知らぬようなことが待っているに違いないのだから。


「そうだな、まずはこの目で海を見に行こうか」

「いいですね。悪くない」


 そうして、おれは、おれたちはそれぞれの言葉で語るのだ。遠い空、遠い国、それを持ち帰って、誰かに届けよう。


 勇者と語り部の物語を。


 朽ちゆく遺構は何も返さず、ただ楽の音だけが小さく響く。


 おれはそこに下手な歌を添えようと、大きく、深く息を吸い込んだ。

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勇者語り部物語 佐々木匙 @sasasa3396

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