有言実行
鹿嶋 雲丹
第1話 有言実行
『私の好きな言葉は有言実行です!』
なぜか急に、小学生時代の国語の授業を思い出した。多分、二十年くらい前の記憶だ。
有言実行という四字熟語が好きだと発表していたのは、
友紀は二年前、不慮の事故で死んでしまった。享年二十八歳だった。
先日彼女の三回忌を迎え、俺は墓前で妻の里美と結婚したことを報告した。そうか、だからこんな昔のことを思い出したりするんだな。
『お互いにいい人がいなかったら、結婚しよ。期限は二十八歳ね!』
そう言って笑った友紀を思い出す。
成人式の後、里美を含めた小学生時代からの腐れ縁四人で飲んだ席でのことだ。
「……有言実行、したよな……いや、しようとしたよな、俺たちは」
オカナイ
一人残業している俺の仕事は、このカタカナ四文字を床に書くことだった。新しい商品棚の前に、物を置かないようにする為だ。
ビビーっと黄色い幅広テープを伸ばすと、接着剤特有の嫌なにおいがした。
カチ、カチ、カチ、カチ
どくん、どくん、どくん、どくん
四階の窓から見える、冬の夜九時を過ぎた風景は真っ黒で何も見えない。しんとした空気の中、壁掛け時計の規則正しい秒針の音が、心音にシンクロしてきて気味が悪い。
「さっさと
固いコンクリートの床につけた膝から、冷気が体中に伝わってくる。
作業に入る前に、真新しい薬指のシルバーのリングをそっと外した。誰が見ているわけでもないのに。
オ
『おっかしい! ほんとに言った通りになったね、わたし達! じゃ、結婚するか!』
お前が、まだ生きてたらなぁ。
カ
『 隠し事はなしね! わたし、そういうの嫌いだから!』
知ってるよ。お前は昔から、誰よりも真っ直ぐな頑固者だったろ。
ナ
『なんだろ、なんか涙でてきちゃった……わたし、あんたのこと意外に好きだったのかも』
好きだったさ、俺だって。でも、お前はもう、この世にいないんだ。
イ
『言っておくけど、わたし今でも有言実行って言葉大好きだからね! わたしとあんたは、二十八歳になってもいい人がいないから、結婚するの! ふふっ』
からん、と床に置いたプラスチックのテープホルダーが音をたてた。
少し離れた位置から、仕事の出来栄えを確認してみる。
うん、大丈夫。ちゃんと、オカナイって読める。これだけでかでかと黄色いテープで書いてあれば、誰も物を置いたりしないだろう。
突然スマホが床に落ち、振動を始めた。光る画面を見れば案の定、里美からの電話だった。
「うん、うん……もうすぐ仕事終わるから……わかってる、あとでもっかいかけ直すから。じゃ」
『……ねぇ、私の結婚指輪がどこにもな』
なにか言いかける里美の声を遮るように、通話終了ボタンを押す。
『私、五年も付き合ってた彼氏と別れたの。結婚しようねって言ってたのに、あいつ浮気してたんだよ! しかも二年間も! 信じられる!? ……うん、知ってるよ。友紀とあんたが婚約してたのはさ。でも、友紀はもういないでしょ?』
里美は……あの授業の時、どんな四字熟語が好きだと言ってたっけ? ……駄目だ、思い出せない。友紀の、真っ直ぐで強い【有言実行】の声が強すぎて。
からん、と足元で音がした。多分、ボールペンかなにかが落ちたんだろう。拾わないと。
ころころころ
つ
【オつカナイ】
不自然に【つ】の字型に曲がったボールペンは、俺が床に書いた文字の意味をいとも簡単に変えていた。
ばん、と突然倉庫内の明かりが落ち、視界がまったくきかなくなる。俺はとっさに床に座り込んだ。
「私の好きな言葉は有言実行です! なにがなんでも、必ず実行します! わたし、あんたと結婚するって言いました! わたし、言いました! あんたと! 結婚! するって! なので! 実行します!!」
ああ、懐かしい友紀の声が聞こえる。
そうだよな。お前は誰より真っ直ぐな、頑固者だもんな。
ぎり、と左手の薬指に違和感が走る。リングは、さっき外したのに。
手探りで作業着のポケットを探ると、指先がリングの形に触れた。
床に置いたスマホのわずかな明かりの中、暗闇から華奢な青白い手が差し出されている。
その手をそっととる俺の左手に、シルバーのリングが鈍く光った。
どっくん、どっくん、どっくん、どっくん
さっき感じた薬指の違和感は、このぎりぎりとくい込んでいるリングが原因なんだろう。
俺は青白い薬指に、ポケットから取り出した同じデザインのリングをはめる。
俺のサイズに合わせて作ったやつだから、やっぱりお前には緩いな。
――病める時も健やかなる時も――
どこかで、教会の鐘の音が聞こえる。
――を愛することを、誓いますか?――
「はい、誓います」
「わたしも、誓います!!」
青白い手がぐいっと、俺を深い闇へと引きずり込んだ。
……有言実行できて良かったな、友紀。
有言実行 鹿嶋 雲丹 @uni888
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