第17話 「赤毛のアン」のその後

  NHKで放送していた令和版「アン・シャーリー」が最終回を迎えました。

 令和版と言っても、昭和版は赤毛のアンでしたから、リメイクと言うより、同じ原作を別でアニメにしただけですが、私にとっては特別な意味を持っていました。

 ハウス名作劇場で放送された当時、この時間帯のアニメでは、フランダースの犬では主人公が凍死し、母を訪ねて三千里では、ほんとうに三千里を旅して母親を迎えにアルゼンチンまで行ってしまい、ペリーヌ物語では母亡きあと、一人でフランスまで旅をして祖父の工場で働いてと、本当に作品に出てくる子供たちは波乱万丈の旅の末に幸福を手にする、と言うストーリーが数多くありました。

 銀河鉄道999では、とうとうアンドロメダまで行ってしまう・・・・

 そうやって考えると、あの時代のアニメは、何故か長距離の旅を少年少女がする内容が今よりもずっと多かったように感じます。

 そういう意味で、現在再放送が実現したマルコポーロの冒険も、イタリアから中国までの旅路を終えて、今は中国国内の旅編に入っています。

 ところがこの「赤毛のアン」、孤児院から送られてきたアンが、グリーンゲーブルズと言う緑の家に引き取られるかどうか、と言う話から始まり、奇抜な発想をするアンの行動にハラハラしながらゆっくりと成長してゆく過程を描く、と言うやや地味な内容でした。

 これがきっかけで、日本では高い評価が成されている作品ですが、本国カナダではそこまでではないようです。

 そんな、若干地味なチョイスながら、当時リアルタイムでこれを見ていた私は、なんだか自分自身を見ているようで、アンが特別な女の子に思えるようになります。

 それは、好きとか嫌いとかの感情ではなく、なんとなく、これは自分の物語だ、と感じるようになっていったのです。

 私も奇抜な発想が多く、また変わったところが多いため、それによる嫌な思いも沢山してきました。

 両親は、あまりに奇抜な私に見切りをつけて、もうお寺に出家しゅっけさせる、と言う話まで出たくらいです。

 思えばひどい話ですが、泣いて懇願する私に対し、絶対に譲らず本気で出家を考えていたようでした。

 子供心に、早く自立しないと大変な人生になってしまう、とこの頃から考えるようになります。

 アンを見たのはそんな頃。彼女もまた両親に先立たれ、孤児院で厄介者扱いされていた少女です。

 これは、本気で勉強になりました。

 養母のマリラは、奇抜な発想のアンを毎週叱りつつ、そこには愛情が注がれて行く過程が見て取れました。

 そうか、こうやって心を掴むのか・・・・親の! みたいな。

 アンは、成長するに連れてその才能を開花し、奨学金を得て大学に行けるまでに成長します。

 そこで、あのアンを愛し、最後まで味方に付いてくれていた養父のマシュー・カスバートが心臓発作で急逝します。

 見ていて、私も絶望するほどの悲しみ・・・・凄い演出でした。正直、今から考えても、この物語をあそこまで高めたのは、本当に制作陣の魂だったと思います。


 こうして1年にも及ぶアンの物語は終わります。


 そして、私は学生になった時、実はこのアンの物語には続きがあることを知るのです。

 2歳年上の友人が、私に色々なサブカルチャーについて教えてくれたのも、この時でした。

 そして、彼から聞いたアンのその後は「実はアンは、その後物語のライバル的存在であったギルバートとの愛情のもつれがある」と言う事実に驚愕してしまうのです。

 私は、天真爛漫なアンを、まるで仲間のように思っていましたから、なんとなく大人の恋愛事情を挟んでほしくはなかったと思っていました。

 ですので、アンの続編があることは知りつつ、その内容には触れないようにしていたのです。

 あれから45年、今年「アン・シャーリー」が放送されると聞いて、複雑な気持ちでした。リメイクって結構難しいですよね。

 そして、本放送を見てちょっと驚いたのが、物語の進みが、ちょっと早いことでした。

 なんとなく、二倍速~三倍速に感じます。

 結構、大事な話も、ビュンビュン進んでいた印象で、「あれ?」と毎週思っていました。

 これは、ひょっとして・・・・最後まで行くヤツかな?

 案の定、マシュー・カスバートが急逝した後も、絶望感の中、物語は更に先に進みました。

 アンは、意外とマシューの死を受け入れて、その後も穏やかに過ごしてゆきます。

 おいおいおいおい! そういう内容なの? あれ? そうなの? なんて思いながら、更に1クールが進みます。

 アンは、その後も地元に残ってギルバートや親友のダイアナと共に青年部の活動をしたりと、ああ、これは本当に彼女のその後の人生なんだと実感できる内容でした。

 リメイクにしては、個人的には良く出来ていると思いましたし、昭和版のイメージも壊さず、丁寧な作りだったと思います。

 それだけに、あれほど触れるのが怖かったアンのその後に、こうして45年以上の年月を経て触れることが出来たことが、とても嬉しく感じたのです。

 友人から、アンのその後がある、そして、恋愛感情でちょっと揉めると聞いた時、正直仲良しのダイアナとギルバートをめぐって奪い合いが生じたりするのかと勝手に思い込み・・・・そんな残念なアンを見たくない、って勝手に思い込んでいたのです。

 今回放送されたアンのその後は、本当に彼女らしい半生であり、ちょっと天然で、それでいて周囲を幸福にしてゆく、やっぱり私の知っているアンでした。

 最終回、ギルバートとどうなったのかはネタバレになるので割愛しますが、45年待った甲斐があったと言える十分な内容でした。

 大学に行くことを諦めた十代のアンで止まっていた私の中のアンが、こうして幸福になった姿が見られて、本当に私も嬉しいと感じます。

 赤毛のアンが特別、と言う人は意外と多いのではないでしょうか?

 朝の連ドラでも、翻訳者が主人公になるくらいですから、日本人ファンは多いと思います。私もその一人です。

 今回の放送の際、OPの後に流れる象徴的な一言が、本当に良い演出でした。

 翻訳も上手かったと思いますが、原作者の語彙力には本当に感動です。

 まだ見ていない方はおすすめですが、今書いた通り、私のような思い入れとは少し違った印象を受けるかもしれません。


 それでも、お勧めの作品であり、やはり私にとって特別な物語でした。 

 19世紀の女の子に想いを馳せても仕方がないことではありますが、アンが幸せになって心から嬉しいと感じるんです。

 本当に良かった!

 ちょっと嬉しい先期のアニメでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 07:11 予定は変更される可能性があります

年季の入った「アニメ」好きの細かいこだわり 独立国家の作り方 @wasoo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ