1-4.
第四大陸に行くまでは剣の遺跡付近の実家の別邸に住むことになる。
仮眠を挟んで19時、軍服に軍刀を帯びて剣の遺跡の入り口に立つ。 入り口とは言っても遺跡の中心、本体であるヴァルハラではなく、その周囲の入り口。
ヴァルハラへの挑戦者を選ぶ試練が定められたギャラルホルンと呼ばれる十層の村の入り口だ。
ギャラルホルンは古代の住居が未だ残っているが樹齢千年、万年代の神木が森を形成している。 それだけの長い年月、開拓も許されていない土地だ。
19時の神木は夜風にくすぐられる音を含めて不気味だった。 朝の木漏れ日を落とした神々しさが見る影もない。 石造りの古代の住居は無機質に白で影の暗さがより際立って胸が冷える。
何よりも遺跡を覆い尽くす濃厚な魔力が不規則に揺らいで乗り物に酔った時のような腹の内側の不快感がグツグツしていた。
ジョヴァンニは感動も怯えもなく前をさっさと歩く。
この遺跡への立ち入りを腹の底から望む歴史学者もいるのに。
真っ直ぐと目的地に向かっているので何度か来たことがあるのだろう。
顔を見せないジョヴァンニがその他の風景の何よりも怖くて声を掛けた。
「夜中にやるのは危ないと思うんだけど」
「第一戦線の敵くらい夜中でも倒して貰わないと今後の雲行きが怪しくなる」
体温を一切持たない返事が返ってくる。
他所のこだまが言霊を打ったようだった。
黙ってついて行って到着したのは第二層に唯一続く門の入り口施設スコルハティ。
建築形状としては大都市の駅に近い。
大きな入り口を持つお洒落な大きな倉庫。 内部が見えないよう壁に囲われているが、その細部に意匠が施されている。
入ってすぐに第二層に続く門と魔法陣が描かれた広場が存在する。
スコルハティは現代語で言う駅や戦線の語源になった施設だ。 遺跡は十の戦線の試練を乗り越えることで剣のヴァルハラに辿り着くことができる。
ジョヴァンニはスコルハティの中央に描かれた魔法陣の円を踏まないよう、ジュノを手招きした。
「さあ、ジュノ軍将補。 力を見せて?」
「分かった」
軍役職付きで呼ばれて、ようやく腹が決まる。
ジュノが軍刀を抜いて魔法陣に踏み入ると魔法陣から光の泡が現れる。
光の泡はスコルハティ中に広がると暗かった一帯が照らされて視界は明瞭となった。 このように儀式は公平な場で行われる。
試練の場が整うと光の泡は一箇所に集合し、私たちに近しい形を成した。
剣を帯びた人型の戦士。 古代の着物を着用しているだけとジュノと同じく軽装だ。 私たちは彼らを英霊と呼ぶ。
『いざ、よろしいか?』
英霊の中から音声が流れる。
「いつでも」
ジュノが応じると英霊は光で出来たコインを宙に放った。 高く投げられたコインが落下するまでには両者が剣を抜いて構えるだけの余裕があった。
すぅと息を吐く。
そして光のコインが地面に落ちて弾けた一瞬。
ジュノは一足で英霊との間を詰めると肩から腹まで斜めに断つ。
英霊からの反撃はない。 倒れないが光の泡を吹き出して剣を振る素振りすらない。 吹き出した光の量に比例して輪郭が薄くなっていく英霊は口に微笑を浮かべていた。
『おめでとう。 若き戦士よ』
「ありがとう。 貴方のお陰で夜に怯えず勝てた』
『ならば君が帰るまでの時間、照らしていよう。 先を通りなさい』
優しい英霊が門に手をかざすとガチャリと鍵が開いた音がする。
ジュノは納刀するとようやく肩の力が抜けた。
「お見事」
ジョヴァンニは手を叩いて祝福してくれるがどことなく突破して当然だろうという含みを感じる。 第一戦線の試練は一般兵士程度。
間違えて入ってしまったものが試練で殺されてしまわないための安全装置。
軍将補であれば突破して当然の試練だ。
「安心してよ。 今日はこれ以上、踏み入らない。 第一戦線を突破しないと魔法植物が手に入らないんだ」
とは言っても門を開いた先の村に生えている既に名前のある特段珍しくない魔法植物だ。 魔法植物は建前で本題としてはジュノの実力が見たかったのだろう。
門を開いて村で魔法植物を採取して遺跡を出る。
シエスタ機関は剣の遺跡付近の魔法植物研究所を持っているらしい。 ジュノが何度も技術教授をお願いしてもその度に断ってきた研究所だ。
シエスタ機関の職員となって研究室にようやく通して貰えたわけだ。
「私は何度かここに尋ねたことあるんだけど」
軍服の上着を脱いで白衣に着替える。
ジョヴァンニも同じく着替えていた。
「魔法植物の取り扱いは第四大陸の秘伝だよ。 魔法薬を求めてるならその技術の希少ぶりは分かってるでしょ?」
言い返せない……。
魔法植物は遺跡から持ち出すと魔力がすぐに抜けて枯れる。 第二大陸ではその保存方法は未だ解明されておらず、同時に魔法薬の作り方もさっぱりというのが現状だ。
「じゃあまずは簡単な魔法薬知識とその実践からやってみようか」
ジョヴァンニは教材として三冊くれた。
一冊目はこどもにもわかるまほうやくがく。
二冊目は魔法薬中毒の畏れ
三冊目は食べる魔法薬学。
謎の構成過ぎるが意図は漠然と分かる。
ジョヴァンニに一冊目の最初のページを開けと言われた。
「まず魔法薬の原則3つ」
「1つ、基本的に製薬の工程自体に魔法を使わないこと。 これは見たほうが早い。 お嬢さん、さっき採取した魔法薬の葉を少し刻んで、治癒魔法で復元してみて欲しい」
指示通り、研究室の包丁で魔法薬を刻んでいく。
料理みたいだなと思いながら細切れになった方に治癒魔法を掛けた。
「……?」
しかし硬い。
硬いという表現は正しくないのかもしれない。
魔法植物はジャムの瓶みたく固く閉まって、治癒魔法に抵抗される。 極めて強い抵抗力だ。 治癒魔法と抵抗がギリギリと競り合って、最後にはバツンと植物内部でゴムが切れた音がする。
魔法植物は異臭をあげて、まな板の上で泥のようになっている。
腐った……。 ジュノの治癒魔法が強い何かに反発されて、植物が事切れた。
「…‥出来ない」
「そう出来ない。 魔法植物は植物自体に魔法がかかってるから魔法を上書きすると魔法同士が反発しあって腐る。 デリケートだからね」
つまり治癒魔法の悪用により魔法植物の無限増殖はできないということだ。
この事象はジュノも経験がある。
恐らく治癒魔法による食物の再生が禁じられているのと同じだ。
「2つ、魔法薬は製薬者の腕次第で効能が跳ね上がる。 作り方と設備さえ揃っていれば誰でも同じようにできるわけじゃない」
「第一大陸の魔導機械でも無理なの?」
魔導機械による全自動化なら量産できるのでは?
そんなことが出来るなら既に市場に出回っているというそもそも論はさておく。
「魔法薬は職人技の領域だよ。 一部除いて完璧な全自動化は出来ない。 だから単価はべらぼうに高く設定されている。 参考までに魔法薬の風邪薬と一般の風邪薬の比較がこれ」
魔法薬と通常薬のカタログ資料を渡された。
カタログを見る限り効能はほぼ同じ。 通常薬の単価は適正だが、魔法薬が極めて危うい。
「5倍じゃん」
「ぶっちゃけ効能はどちらも同じだよ。 だけど魔法薬は物によって服用だけで身体の欠損を癒す。 同じ土俵には一生立たないだろうさ」
魔法薬の値段は通常薬の何倍かで設定している部分があるらしく、魔法薬という存在がそもそも一つのステータスになっている。
「3つ、魔法薬は美味しく食べられることが好ましい。 これは一番重要だから第四大陸に行って学んでほしい」
基礎知識はこれで終わりと締めくくられて実践に入る。 時間も無いので基礎的な調薬だ。
「一般的な薬は作ったことある?」
「ある。 なんなら新薬の研究だってしてるし」
「じゃあやってみよう。 さっき採取した葉を食品乾燥機にかけて」
食品って言ってるし……。
気づいたが研究室にあるものがほとんど調理器具だ。 それも3つ目の原則に関係しているのか。
食品乾燥機でカラカラになった魔法植物をすり鉢に入れる。
「まず乾燥した魔法植物を塩と一緒にすり鉢で擦る。 ハーブと粉末状になった植物を混ぜてティーポットに詰める」
湯はジョヴァンニが準備してくれていたので丁寧に蒸らしてお茶を淹れていく。
ジョヴァンニは茶菓子の準備をしていた。
「クッキーか、チョコレートどっちが良い?」
「クッキーが良い」
お茶を淹れて2人で夜のお茶会。
淹れた茶を飲んで2人でふーっと一息つく。
塩味が丁度いい、ハーブの香りがとても落ち着くし、この少し甘いのは魔法植物の味か?
のんびりしていると身体に魔法効果の付与を感じ取った。
「これだけ!?」
本当にこれだけか? そう思う。
何も難しい作業がなかった。
「それが最も簡単な作り方。 お茶にして飲む」
「何で今まで気づかなかったんだろ」
「魔法植物の敷居の高さじゃない? ちなみにこのお茶は魔力感知を鋭くさせる魔法薬。 今まで感じ取れなかった魔法効果の付与を感じ取れたのはこれのお陰でもある」
再度お茶を飲んでみると確かに感知が鋭くなっている気がする。
てっきりいきなり体の調子が良くなったのかと思っていたが魔力感知が研ぎ澄まされて視野が明るくなったためだった。
今夜のお勉強は終わりとジョヴァンニは白衣を脱ぐ。
食器を片付けてさっさと帰ろうとしたのでジュノはその袖を掴む。
契約の件があった。
「今日の分の報酬はどうする?」
「いいよ。 別にそんな難しいこと教えてないし」
お茶の作り方教えただけだしとジョヴァンニは肩をすくめるが今夜のお茶一杯に込められた知識の価値に気づけないジュノじゃない。
「そのお茶の淹れ方一つ気づくまで、第二大陸は現代に至るほどの時間を要した。 今日が無かったら永劫気づけなかったかもしれない」
眼で訴えるとジョヴァンニは分かったと首肯する。
「今夜は疲れてるだろうし、明日の夜にしよう。 研究所の隣が僕の家になってる。 お昼に来ていた制服を着てきて欲しいな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます