SUPER HAPPY
鍵崎佐吉
今年の運勢
親がインフルエンザにかかったというので今年の帰省はあきらめたのだが、なにせ急なことだったので正月の予定ががら空きになってしまった。暇と体力を持て余した大学二年目の冬、いい加減テレビとゲームだけの生活にも飽きてきたのでちょっと初詣にでも行ってこようという気分になった。
今まで素通りしていた最寄りの神社に足を運んでみると、意外にもけっこうな数の参拝客がいる。列に並んで十分ほど待ち、ようやく賽銭箱の前にたどり着いた。しかしいざ財布を開いてみると五円玉どころか硬貨は一円と五百円しか入っていない。紙幣を出すのは気が引けたので俺は仕方なく五百円玉を賽銭箱に放り込む。二回手を叩いてからぼんやりと願いことを考える。なんか幸せになれたらいいなぁ、という曖昧な願いを思い浮かべながら適当に鈴を鳴らした。
ついでにおみくじも買っておこうかと思い、巫女さんに千円札を手渡して小さな紙きれをもらう。こっちはちゃんとお釣りがもらえるのだから賽銭だって何百円か返してもらえたらいいのに、なんてしょうもないことを考えながら俺は紙切れを開いた。
『SUPER HAPPY』
それが今年の運勢だった。赤字ででかでかと書かれたその文字を俺はしばらく呆然と見つめる。これは何かのイタズラかドッキリなのだろうか。しかし周囲を見渡してもこちらを見ている人はいない。もちろん凶や大凶などと書かれているよりははるかにマシなのだが、それはそれとして意味がわからない。大吉のさらに上ということであったとしても、なんかもっと神社っぽい表現があっただろうに。俺は参拝客をにこやかに眺めていた神主らしき中年の男性に声をかける。
「あの、さっきおみくじ引いたんですけど」
「ええ、どうかされましたか?」
「これ、なんですか?」
そう言ってSUPER HAPPYおみくじを見せつける。すると男は少し驚いたような表情をしたが、すぐに元のにこやかな顔に戻ってこう言った。
「ああ、こういうのたまにあるんですよね。うちの神様、ちょっとやんちゃなところがあるので」
「はぁ」
「まあそんなに深く考えなくていいですよ。きっといいことがあるんじゃないですかね」
そう言って神主はのんきに笑っている。これが神の仕業だと言うならこちらもこれ以上追及のしようがない。なんとなく手放す気にもなれず、俺はおみくじを握りしめたまま家へと帰ることにした。
俺の生活に異変が起きたのはそれからだ。朝の占いでふたご座が一位になったことに始まり、次々と予期せぬ幸運が俺の元へと舞い降りてきた。学校へ行けば面倒だと思っていた講義が休講になるし、サークルに顔を出せば偶然やって来ていたOBが飯を奢ってくれるし、ガチャを引けば無料分で目当てのキャラを引き当てることができた。こう良いことが続くとこちらもなんだか気分が乗ってきて、なんとなく毎日が楽しくなってくる。よくわからないがこれがおみくじの効力なんだとすればこれがあと一年は続くということだ。これなら彼女だってさくっと作れるかもしれない。いったい誰にしようかな、なんて学部の美人たちの顔を想像しながら俺はゴミ捨てに向かう。
「……なんか機嫌良さそうだなぁ、中谷」
そんな不景気そうな声が廊下の端から聞こえてくる。あまりにも存在感がなくて気づかなかったが、その声の主は隣室の山内さんだった。俺より五つ上のOLで、玄関の前で力尽きて寝落ちしていたところを助けて以来、なんとなく友達みたいな関係になっている。
「あ、おはようございます。お出かけっすか?」
「逆だよ、今帰ってきたの」
全身から負のオーラを漂わせつつ山内さんは吐き捨てるようにそう言った。詳しい業務内容は知らないが相当なブラックに勤めているらしく、いつもこんな感じでくたびれている。
「正月に休める奴らはいいよなぁ。こちとら新年早々最悪の気分だ」
「相変わらず大変そうっすね」
「そういうお前はいつにも増してヘラヘラしてんなぁ。なんか良いことでもあったのか? 死ねよ」
「いやぁ、近くの神社に行ってからなんか調子よくて」
「は? 宗教か? 学生に声かけてくる奴なんてヤバいのしかいないからマジになるなよ」
「初詣でおみくじ引いただけっすよ」
「あっそ。それだけで幸せになれるならもう何も望まなくていいんじゃない? 一切衆生を捨てよ」
いつにも増して擦り切れてるなぁとしみじみ思っていたが、その時ある考えが頭に浮かぶ。
「あ、じゃあ今から行きません? 山内さんの初詣」
「は?」
「どうせ今しかチャンスないでしょ。きっといいことありますから」
「ああ……確かにいっそこの身を神に捧げた方が楽になれるかもしれない」
「じゃ、行きましょうか」
そうして山内さんを引きずって例の神社に再び訪れる。さすがにもう人の姿はまばらだが、賽銭箱もおみくじもあの時と同じようにそこに置かれている。
「ここに五百円入れてみてください。俺はそれでSUPER HAPPYが出ました」
「なあ中谷。お前親御さんと連絡とってるか? 私だって一応大人だからさ、なんかあったなら相談くらい——」
「まあまあ、とりあえずやってみてくださいよ」
渋る山内さんをどうにか従わせて賽銭を入れておみくじを買わせる。これで条件は同じ、俺という前例がある以上いくら神様だって無視するわけにはいかないだろう。俺は固唾を飲んで山内さんがその紙切れを開く様を見守った。
『滅』
それが山内さんの今年の運勢だった。
「おい! ノリが違うだろ、ノリが!? 適当すぎんだろ!」
俺は思わず賽銭箱を蹴り飛ばす。山内さんはただ一点を見つめたまま動かない。どうも今日に限ってあの神主はいないようだった。いっそ火でも放ってやろうかと思ったがさすがに思いとどまって、呆然と虚空を見つめてうめき声をあげる山内さんをアパートへと連れて帰った。
「ああ、終わりだ……。ついに神にも見放された。もう私はこのまま滅ぶしかないんだ……」
あれ以来山内さんは自室に引きこもってそうつぶやくだけになってしまった。何度か会社の人がやって来て彼女を出勤させようとしたが、その異様な空気に圧されて結局皆すごすごと帰っていった。まあその会社はいっそ辞めてしまった方がいいと思っていたのでそこはいいのだが、この事態を招いた責任は当然俺にもあるだろう。俺はどうにか山内さんに語りかけ、励まそうとする。
「いや、ほら、所詮おみくじですしそこまで深刻に捉えなくても」
「でも滅だよ? 凶とか大凶超えて滅だよ? もう運が悪いとかじゃなくて『滅びます』って言われてんだけど」
「とはいえ確実にそうなると決まったわけじゃ……」
「でも中谷はずっと運いいじゃん」
そう、幸か不幸か俺のSUPER HAPPYは未だに効力を示し続けているのだ。それはあのおみくじの効果を証明することに他ならない。そうであるならこの一年のうちに、山内さんは必ず『滅』の運命をたどることになってしまう。それが神の思し召しなのか自然の摂理なのかはわからないが、俺には到底解決策なんてわからなかった。
「……だったら、だったらせめて俺の幸せを山内さんにも分けます」
「え……?」
「この一年、文句のつけようがないくらい最高の年にしてみせます。最後の瞬間までずっと山内さんの側にいます」
「中谷……」
「だから、全力で今を楽しみましょう! まだ今年は始まったばかりっすよ!」
そうして山内さんと過ごす最後の一年が始まった。
山内さんの勤め先は劣悪な労働環境を口外されるのを恐れたのか、退職金という名目でそれなりの額を送って来た。それを元手に競馬やら何やらに突っ込んだ結果かなりの大金を手に入れることができた。これもSUPER HAPPYの効力だろうが、お金を増やすこと自体が目的ではないので適当なところで切り上げる。
そうして俺たちは気の向くままに世界中を旅してまわることにした。最初はあまり乗り気ではなかった山内さんも、激務から解放され豊かな自然と新鮮な出会いに触れるうち次第に笑顔が増えていった。
「おい中谷、ちょっと肩車してくれ。人が多くてよく見えない」
「中谷、これうまいぞ! お前も食え」
「ねえ中谷! あっちにペンギンいた!」
「なぁ中谷……星空ってこんなに綺麗だったんだな」
「おはよう、中谷。今日も一日よろしくな」
本来の山内さんは俺が思っていたよりもずっと活発で奔放で、そして優しい人だった。俺たちは有り金を使いつくす勢いで遊びまわり、これまでの人生では考えられなかったほど充実した日々を過ごした。
しかし時の流れは無情にも逃れられない現実を手繰り寄せ続けている。パリを観光した春も、初めてのカジノで大儲けした夏も、台湾で食べ歩いた秋も過ぎ去って、全てが始まったあの日と同じ肌を刺すような冬の空気が俺たちに旅の終わりを告げる。
「……中谷、大晦日は家で過ごそう」
そう言われた俺はただ頷くことしかできなかった。二年連続で実家には帰りそびれてしまったが、今年は彼女と一緒に過ごすと両親に伝えるとそれ以上は何も言われなかった。
久々に帰って来たアパートは相変わらず華々しい所なんて一ミリもなくて、ここが人生の終点として相応しいかどうか俺にはよくわからない。酒とつまみを適当に買ってきて、紅白を眺めながらよく知らない歌手が聞き慣れない曲を歌っているのをだらだらと聞き流す。そんなありふれた大晦日を山内さんは選んだのだった。
「私さ、初めてだったんだよ」
「え?」
「誰かに手を差し伸べてもらったの。ずっと一人でどうにかしてきたし、どうにかできちゃってたから」
俺は初めて山内さんと話したあの日のことを思い出す。
あれは大学一年の初秋、サークルの飲み会から終電で帰って来た夜。アパートの吹きさらしの廊下の上、隣室のドアにもたれかかるようにして眠っている女性を見つけたのだった。生活音が聞こえたことがなかったのでてっきり隣は誰もいないのかと思っていたが、もしかしてこの人が住人なのだろうか。季節的に凍死するほど寒いわけでもないが、かといってこのまま放置するのも気が引ける。
「あのー、大丈夫っすか?」
「……んぇ。……誰?」
「隣の中谷です」
「……隣? そんなのとっくに出て行ったはず——」
「春から入居したんすよ、大学通うために」
「……あー、そっか、大学生か。確かにそんな感じするわ」
「立てますか? 水とかいります?」
「いや、大丈夫。眠かっただけだから」
そう言って立ち上がると彼女はカバンの中から鍵を引っ張り出す。酒で潰れていたわけではないようだが、それはそれで逆に心配ではある。今時の社会人ってこんなに大変なのか、とどこか空恐ろしい思いをしている俺に向かって彼女は告げた。
「山内だ。……起こしてくれてありがとう」
そうして俺たちは隣人になった。
「正直さ、あの時もうほぼ限界みたいな状況だったんだよ。でも、もう少しここにいたいなって思ったから、なんとか今日までやってこれた」
「それって……」
「お前のおかげだよ、中谷」
そう言って笑う山内さんの頬は赤く染まり、瞳は微かに潤んでいる。それがアルコールのせいなのか、それとも他に原因があるのか俺の乏しい経験からでは判断できない。それでもなけなしの勇気を振り絞って、俺は彼女の肩を抱き寄せる。一瞬意外そうな表情を浮かべた山内さんだったが、やがてそのまま目を閉じて俺にその体を預けた。
甘いまどろみの中で山内さんの囁き声が聞こえる。
「ねえ、中谷」
「なんすか」
「滅ってさ、具体的にどうなるんだろうね」
「それは……」
「シュボッ……って跡形もなく消えちゃうのかな」
「……それでも、ずっと一緒にいます」
「ありがとう。……でも、巻き込まれないよう気を付けてね」
「大丈夫っすよ。SUPER HAPPYなんで」
「そっか。そうだね」
いつのまにか紅白は終わり、テレビにはどこかの寺の映像が映っている。あと数分で今年が終わる。
「おやすみ、中谷」
未来も過去もどうだっていい。今この瞬間が、耐え難いほどに愛おしかった。
ふと寒気がして俺は目を覚ます。狭いシングルベッドから足がはみ出して早朝の冷気に晒されている。そして俺の隣には布団をひったくるように丸まって眠る山内さんがいた。そっとその頬に触れれば、確かに温もりを感じる。
「山内さん」
「……んぇ。……中谷?」
「あけましておめでとうございます」
「……」
数瞬の沈黙は彼女の絶叫によって破られた。
「んああああああ!?」
「おわ、寒っ! 布団取らないでくださいよ」
「だって、だって、お前! 生きてる、私、生きてる!?」
「いやぁ、結局悪ふざけみたいなあれだったんすかね。こっちからすれば迷惑な話っすけど」
「いや、ほんとに……! じゃなくて! お前、中谷!」
「はい?」
「お、おま、お前……! 私の処女、返せよ!」
「……はいぃ!? いや、だって、全然そんな感じじゃなかったじゃないすか!?」
「そ、それは……ずっと年上キャラでやってきて言いづらかったし、結構酔ってたし、どうせ死ぬならまあいいかなって……」
「じゃあ別によくないすか」
「よくなぁい!」
そんなやり取りをしているのがなんだか急におかしくなってきて、半泣きになって叫び続ける山内さんがそこにいてくれるのが嬉しくて、気づいたら自然と笑顔になってしまう。
「笑うな中谷ィ! 許さん、許さんぞ!」
「まあいいっすよ、それでも」
責任は取るんで、と言いかけた口を平手打ちで塞がれる。どうやら新年になったせいか、俺の運勢も改まったらしい。あの日、山内さんは確かに大切な何かしらを『滅』してしまったのだろう。そして俺にとっても間違いなく『SUPER HAPPY』な一年であった。
その後、なんやかんやあって山内さんも再就職し、俺たちは付き合うことになった。今度は一万円くらい賽銭箱に突っ込めばもっとすごいことが起こるんじゃないかと思っているのだが、山内さんにそれだけはやめろときつく言われているので当分は実行できそうにない。とりあえず今年は神頼みでなく自力で頑張っていかないといけなさそうだ。
まあ多分、幸せってそういうもんなんだろうなと、なんとなくそう思った。
SUPER HAPPY 鍵崎佐吉 @gizagiza
★で称える
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