雪どけの宿

秋犬

その者、溶かさんと欲す

 昔々のその昔、聞くも語るも悲しく美しい物語があったとさ。


***


 その物語の主人公は雪の姫君。奇跡のように輝かしい姫君はスティルと名付けられた。スティルは雪のように白い髪に白い肌、水晶のような瞳は凛とした冬の朝のようにさわやかで、誰もが彼女の美しさを讃えたという。


 ところが、この姫君は一度たりとも笑うことがなかった。それどころか、口を開くこともなかった。そこで国王夫妻をはじめ、たくさんの人々が彼女を笑わせようとした。連日王宮には道化師が入り浸り、姫君の前で愉快なダンスを披露したりや滑稽話を聞かせてみせた。しかし姫君は笑わない。ただつんと澄まして座っているだけだった。


 ついに呆れ果てた国王に、物も言えない者を王宮に住まわせるわけにはいかないとスティルは国のはずれにある離宮に幽閉されることになってしまった。


 長年使用されていなかった離宮はところどころ崩れ落ちていて、まるで廃墟のようだった。幼少期より連れ添った使用人の供も許されず、スティルは離宮で凍える日々を送った。


 やがてスティルの元に派遣されてきたのは、醜い毛むくじゃらの雪男フロストマンだった。


「べっぴんな姫様をこんなところに置いておくわけにはいかねえ」


 雪男はスティルのために離宮を修理した。天井の穴をふさぎ、暖炉に薪をくべて離宮を居心地よい場所にした。


「もっとあっためてやらないと、寒くて凍っちまうぞ」


 そう言って雪男はスティルに幾重にも動物の毛皮を着せた。寒さで弱っていたスティルの心に、少しだけぬくもりが戻った。


「なあに、おらの作ったスープを飲めば元気いっぱいだ」


 雪男はかいがいしくスティルの世話を焼いた。王宮では口もきけないくせにと虐げられたスティルは、初めて人の心に触れた心地がした。そこで斧で薪を割る雪男に近づき、そっとその場にあったなたを手に取った。


「こら、あぶねえだろ! 姫様は家の中でゆっくりしてな!」


 それでもスティルは鉈を離さなかった。そして丸太を手に取って、雪男のやっていたように見様見真似で薪を割ろうとした。


「そっか、姫様も退屈だもんな。よし、おらが教えてやる!」


 雪男は後ろからスティルの手を握った。


「鉈はてこを使ってな、こう割るんだ」


 こんこんと薪割り台の上で鉈をふるい、薪はころんとふたつに割れた。


「初めてにしては上出来だあ、姫様は薪割りの才能があるな!」


 シシシと笑う雪男に、スティルも微笑み返そうとした。


 しかし、どうしてもスティルは表情を変えることができなかった。


「姫様はどうしても笑うことができねんだな」


 雪男にはっきりと言葉にされて、スティルは俯いて離宮へ戻ってしまった。


 その日の夜、雪男は暖炉の前でスティルにある話を聞かせた。


「おれが昔聞いた話だ。北の国にそれはそれは雪のように美しい姫が生まれたという噂がたった。その噂だけで嫉妬に狂った魔女が姫に呪いをかけたんだとさ。氷のように冷たく生きよ、生まれながらにぬくもりを知らずに生きよ、とな」


 スティルは驚いた。まるで自分のことを話しているようだと思った。


「おれはこのように醜い身の上だ。そのせいで国をおん出されて、いろんなところで冷たくされて生きてきた。なあ、冷たいっていうのは嫌だよなあ」


 雪男の話に、スティルの瞳から一筋の雫が流れ落ちた。


「おれにはわかるんだ。姫様の心は凍ってねえ。ただ呪いのせいで凍らされてるだけなんだ。ずっとずっと、冷たいなんてあんまりだ」


 雪男はスティルの手を握った。


「なあ姫様。おれに情けをかけてくれるなら、おれをずっとそばにおいてやってくんねえかな。毛むくじゃらのおれなら、きっと姫様のことあっためてやれっからよ」


 混じりけのない雪男の温かな心に、スティルの涙はとめどなく流れた。その温かな涙はスティルの呪いを溶かし、凍り付いた声を復活させた。


「ああ、あなた。愛しいあなた。誰よりも温かい、太陽のようなあなた。あなたの名前を教えてください」


 スティルは雪男の胸に飛び込んだ。次第に溶けていく呪いはスティルの心を震わし、雪男の外見を変えていく。


「名を名乗るのは久しぶりだよ。ここよりはるか南に位置する国より参った、第三王子ゼストが僕の名前だ」


 醜い雪男の姿は、凛々しい青年へと変わっていた。


「僕の存在を妬んだ義母により、醜い姿へと変えられていたんだ。ある占い師に、呪いを解くには氷の国の姫の元へ行けとお告げをもらって、藁にもすがる思いで僕は君のところにやってきた」


 ゼストはスティルを抱き寄せた。


「よかったら僕についてきてくれないか。もっと温かい、南の国で君と過ごしたい」


 スティルはゼストの胸の中でこっくりと頷き、その顔をあげた。そこには、誰も見たことのない満面の笑みがあった。


***


 それからこのお話はどうなったかって?

 この二人のことは知らないよ。

 どこか遠くの国で、お幸せに暮らしたんじゃないかな?


 だけどもね。

 今もこの二人が暮らした離宮は残されているんだ。

 国のはずれに行ってごらん。


 老舗の旅館『雪どけの宿』に残された斧と鉈。

 それで薪を割って、それを火にくべると願い事が叶うんだとさ。

 まるで氷の姫を溶かした、誰よりも温かい雪男のように。

 

<了>


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雪どけの宿 秋犬 @Anoni

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