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 わたしたちのすれ違いは喧嘩ではなく、あくまで衝突にすぎない。言葉で傷つけ、言葉で傷つけられて、それでも紗奈の音は美しかった。陰鬱な感情を歌った曲も、踊るような心の移ろいを表現した曲も、わたしとの衝突があったからこそ形になったのかもしれないと思うと、喜びに胸が締め付けられた。自分の感情をぶつけて、紗奈に伝えることを躊躇しないで、心から良かったと思えた。紗奈の音も紗奈という人間も、わたしの存在が紗奈の今に繋がっているのだと思うと無性に嬉しくなった。

 紗奈に会ってわたしが変わったように、紗奈もわたしに会って変わったのだろう。考えも、性格も、生き方も、全部が変わって、大人になって、子供じゃなくなっていく。そしてそれもいつかは変わって、また違う二人になる。それで良いのだと思えた。わたしはいつまで経っても、紗奈の生み出す音が大好きだった。それだけは変わらなかった。


 三年生になって受験生になり、投稿頻度は落ちたものの曲作りは続いていた。紗奈の作る曲がどんどん溜まっていき、わたしが歌詞をつけるのが間に合わない、という事態が何度もあった。受験勉強の息抜きにと、隣の県までMVを撮りに行ったり、そしてまた少しだけ衝突したり。日々は、光っていたり痛かったりした。日常は、一瞬で過ぎ去っていった。


 月日が流れるのは早く、すぐに三月がやって来た。わたしの強い願いで、卒業をテーマにした曲も制作した。一ヶ月ほど悩み抜いた書いた歌詞を読んで、紗奈は透明な涙を流してくれた。言葉も歌詞もただの文字の羅列だけれど、それだけではないと確かに思えた。

 春休み、ふたりで好きなアーティストのライブに行った。紗奈はその帰りの電車で、二時間ほどライブの感想を語っていた。一緒にまた、あの青い海にも出かけた。早朝、波の打ち寄せる砂浜を歩く紗奈は天使のように美しかった。紗奈の、色素の薄い茶色の髪は長くなっていた。その三日後、紗奈は彼氏ができたと笑っていた。


 紗奈は東京の有名な音大に進学した。作曲コースで、専門的に音楽を学ぶらしい。一方わたしは、地方の大学の文学部に進学を決めた。

 三年間あんなにも一緒にいたのに、別れは案外あっけないものだった。じゃあね、またね、その二言だけがあの並木道で交わされた。桜はまだ、蕾のままだったと思う。


 ◇


 新しい日々が始まって、美しいとも言えない日々を送って、それなりの大学生活を楽しんでいた。四月、五月、六月、連絡は一通も来なかった。それは紗奈の毎日が充実している証拠なのだろうなと、少し寂し紛れにそう思っていた。


 七月の上旬、添付フォルダと一緒に一言のメッセージが届いた。

「あのね、なんか突然メロディが降りてきて。一日で打ち込んだんだけど、聴いてみてくれない?」


 紗奈のために、言葉を綴ろうと思った。わたしの言葉が、紗奈に届くように歌詞を書こうと思った。誰かのためにと曲を作り続けてきた紗奈に、わたしは感謝を伝えたかった。誰かのためではなく、わたしたちの今までを形にしようと心に決めた。

 写真フォルダを開くと、そこには紗奈との日常が溢れ返っていた。今までの曲で使った写真に、紗奈が教室の隅に隠れている写真。ふたりで二度行った、あのどこまでも青い海岸。これを切り取って、ひとつのMVにしようと思った。


 あの薄暗い階段で会った日、ふたりで見上げた虹のことを思い出した。あの日、あの春、出会った紗奈はわたしの心に架かった虹だった。紗奈から送られてきた旋律は、あの時感じた感情に似ていた。わたしは近くにあった講義ノートを開き、余白のページに紗奈への思いを書いていった。ペンを動かす手は止まらず、一ページでは足りなかった。出来上がった歌詞をパソコンに打ち込み、初虹はふたり、というタイトルを添えた。一時間足らずで書いたその歌詞を、わたしはすぐに紗奈へ送った。

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初虹はふたり 夜賀千速 @ChihayaYoruga39

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