第3話なぜ、投稿サイトでは人気の作品が売れないのか
独自性と大衆性とは何か?
難しい言葉を使わずに噛み砕いていこう。
大衆性とは直感的に分かりやすいだろうが、簡単に言えば、一般ウケのことを言う。
その作品が、どれだけ多くの層に受け入れて貰えるからの割合を言う。
細分化していけば、年齢層や、性別、ユーザー傾向など語り尽くすことは難しい。
独自性というのは、その作品にしか持ち得ない個性のことを言う。
ある種の尖りのようなものだ、一概には言えないが、作品の独自性を高めれば、高めるほどに大衆性というのは下がる傾向にあると思う。
しかし、独自性の高い作品というのはコアなファンを獲得しやすいと言える。
厳密にここで定義するよりは、運用的に具体的な事例を見ながら考えていこう。
独自性と大衆性が、作品の商業的価値を決める。
この主張について掘り下げるために、
なぜ、投稿サイトでは人気の作品が売れないのか?
このテーマについて考えてみよう。
これは、今のライトノベル市場のマーケット規模について考える上で非常に重要なテーマであると共に、本エッセイで語りたい、独自性と大衆性のバランスについての良い例になると思う。
投稿サイト上では大人気。
だが、投稿サイトから一歩出ると全く通用しない。
この傾向は今後より大きくなっていくと思う。したがって、web発の人気作品を出版しても売れないという傾向はさらに強くなると私は予測している。
もちろん、作品の売り上げを決定するのは、作品の価値のみならず、出版社が行うマーケティング戦略に大きく左右されるだろう。
売れない原因がマーケティングに無いとは言い切れない。
しかし、最近、角川などは、あらかじめ印刷する部数を少なくして、重版が重ねられて売れているように見せているが、そういった演出を用いたとしても、商業的価値のない作品を売ることは難しいだろう。
小手先のマーケティングでテクニックではなく、本質的に商業的価値のある作品を世に送り出さなければ業界に未来はない。
なぜ、投稿サイトでは人気の作品が売れないのか?
この問いに始めに結論を書こう。
その原因とは、そもそも小説投稿サイトのランキングを好む層というのは社会における少数派であり、そもそも購買意識の低い層だからだ。
投稿サイトのランキングを駆け上がる作品というのは、作品として素晴らしく、商業的価値が高いのではなく、単にランキングを好む層に受けの良い作品を作ったというだけに過ぎないのだ。
小説投稿サイトのランキングを駆け上がっている作品を見ると一見その作品というのは多数派に支持されているように見える。
言い換えれば、大衆性の高い作品のように見える。
しかし、小説投稿サイトのランキングに集まっているのは、社会における少数派、変わり者達の集まりなのだ。
マイノリティが集まって多数派を形成しているからそれが、多数派に見えるが、マイノリティがいくら集まろうが、統計的には、集団において少数派なのには変わりがない。
もちろん、そのマイノリティが購買意欲や、購買能力が高ければ話は別だ。ニッチマーケティングという言葉もある。
一部のコアな層に受ければそれがビジネスとして成立する可能性は高い。
そして、ある種一部の先見性の強い人間達が、新しいものを発見すると言う視点もある。
かつての、小説投稿サイトもそうだったろう。新しいものを見つける目を持った人間達によって発掘された作品が世の中を席巻した。
ある種の異世界ブームというのを巻き起こしたのもそれが大きな要因だったろう。
私も、正直に言えば、小説家になろうの初期の頃に人気が出た作品には素晴らしいものが多いと思う。
作者は、プロ顔負けの筆力を持ち、クリエイティビティ性も高い。
いまだ、世の中に評価されていない、そう言った作品を見る目をもった人間に評価され、世の中を席巻する。それは結果論に過ぎないが必然とも言えただろう。
だが、今の小説投稿サイトを見てみよう。
ランキングを席巻しているのは、どんな作品だろうか?
まず、第一にタイトルがおかしいだろう。
それは、作品だろうか? 企画名だろうか?
私には、企画名に見える。
読者が読みに来ているのは企画だろうか? 作品だろうか?
私は、今の投稿サイトのランキングを好む層が求めているのは、作品ではなく、企画だと思う。
テンプレートや過去の成功事例のストーリーラインに当てはめた、その作品が行っている企画を求めているのであって、ストーリー性やキャラクター性というものが軽視され過ぎてしまった世界が、小説投稿サイトの今の現実ではないだろうか。
小説投稿サイトの多くの読者は、そもそも作品を求めていないのだ。
ランキングを好む層というのは、その作品の独自性や個性を求めているのではない、インスタントに楽しめて、インスタントに飽きるものなのだ。
そして、おそらくは、小説投稿サイトランキングを好む人々がなぜそれを読みにきているのかという、一番のモチベーションは、無料だからだろう。
そして、読者は、過去の成功事例の踏襲性の高い作品を好む。
これは、ランキングの作品を読んでいる読者なら直感的にもわかるのではないだろうか?
試しに、ランキング上位の作品をフォローしているユーザーの、他のフォローしている作品を見てみよう。
彼らは、過去に自分が読んだ作品と似たようなものを探すのだ。
それ故に、必然的にランキングで強くなるのは、オリジナリティ性の高い作品ではなく、過去の成功事例の踏襲性の高いものや、ランキング受けの良い要素を散りばめた作品となる。
しかし、これは十分に理解できる行動だ。
一つの作品を楽しむために、様々な作品の設定を受け入れることは楽ではない。
必然的に、過去の知識や経験を応用しやすいものの方が親しみやすくもなるし、頭を使わずに読むこともできるだろう。
だが、行き過ぎれば、それは排他的な世界にもなり得る。
ランキングを上がれない作品にはそもそもアクセスが集まらない。
評価されるのは、作者のクリエイティビティではなく、ランキング受けの良いことをやっているか否かになってしまうのだ。
評価されやすいのは、伏線や展開やキャラクター性が作り込まれた作品ではなく、出オチ性の高い作品になってしまうのだ。
はっきりと書こう
小説投稿サイトのランキングや評価というのは市場原理ではない。
単にランキング受けの良いことをやっているか否か。
それだけなのだ。
多くの出版社が、投稿サイトの評価というものと、市場原理とを混同している。
ある程度売れるジャンルやニーズなどは把握してはいるだろう。
ある程度、投稿サイト上の評価と、売り上げとは相関しているだろう。
だが、本質的に、見なければいけないのは、作品の持つ独自性のバランスが取れているのかどうかなのではないか。
あくまでも、マーケティング・リソースを割くべき作品は、きちんとした個性や独自性が確立した作品でなければならない。
投稿サイトで評価されている作品というのは、独自性も低く、大衆性も低い。そう言った作品にマーケティング・リソースを割いたところで、ヒット作は生まれないのだ。
時間がなく、だいぶ乱暴なロジックになったが共感してくれる人がいれば幸いである。
次回以降、なぜ、過去の投稿サイトで人気が出た作品が売れ、今の投稿サイトで人気が出た作品が売れないのか、投稿サイトが生み出した肯定的側面と否定的側面について掘り下げてみようと思う。
そして、最終的にヒット作が生まれるプロセスとはどんなものかについて考えていこうと思う。
なぜ、ライトノベルはオワコンと成り果てたのか re @revival21
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