一般的な存在は、社会的役割に応じて振る舞いを変えます。それはまるで、ブルーヘッドのコロニー内で雄が居なくなったとき、一番大きな雌が雄へと性転換するように。
本小説は「寂しさ」という感情がテーマになっている印象を覚えます。
博物館で一般的恐竜が展示されているように、姿と生態のみが情報となって飾られ、主観の思いが残らない。きっと作家が博物館に行って、寂しさを覚えたのではないでしょうか。
描いていることはもしかしたら、小説作品という形で人間とその感情を残そうとする、私たち物書きの活動と本質的には同じなのかもしれません。
私たちは『一般的核家族生体展示』を見ています。それを見て、感想を残す。
これは作品を通し、過去の人間の姿を見る一般的な私たちが、未来でまた誰かに見られる一般的な存在だと示唆する、マトリョーシカの箱舟なのです。
私は親が嫌いです。30代の息子の誕生日に60代の母がケーキを買ってきてくれました。私が食べていると「ぼく、おいしい?」とまるで私が小学生のように尋ねてきました。30代のおじさんは言葉が出なくて返事ができませんでした。
父は地元の公務員募集要項を嬉しそうに私に送ってきます。あなたの息子は都会でアートに人生を捧げてやや失敗してるけど幸せなのに。
小学生の私はもういません。公務員になりたい私はどこにもいません。彼らが私でない人に話しかけているから私は返事をしません。後は葬式にだけ行けばいいかなと思いながらやはり少し罪悪感があります。
なぜおじさんの身の上話をひと様のレビューにつらつら書いているかと言えばこの物語がそんな私さえ肯定してくれたように感じたからです。
社会や思想が家族の役割を個々人に押し付けてきます。ですがそんな普通ではなく、血が通ったあなたが感じたことが正しい。そう教えてくれます。
この話は決して私のような変わった人だけを救いあげるための話ではないことがなにより素晴らしい。暖かい家庭も仲の悪い家庭も、正しいのだと肯定しているように思います。正でも負でも血が通った家族がお互いに抱く感情すべてそれでいいのだと私は読み取りました。
家族は役割の押し付け合いではない。あなたが家族に抱くいかなる感情もかけがえなく大切だ。そんな物語なのだと思います。おすすめです。