第五十九話 後味は悪く

 相手が人間でも、大勢でも、晴時の立ち回りは見事だった。


 横合いから叩きつけられた小刀を跳ね返し、返す刃で目の前の相手の肩を斬り伏せる。浪人の大振りな太刀筋は身を伏せて避け、そのまま足払いをかけて二、三人を地面に転がした。すかさず刃を走らせ、ふくらはぎに深い傷をつける。鮮血が散った。

 晴時は次々と盗人たちを無力化した。決して致命傷は負わせない。あくまで動けなくするか、気絶させるかのどちらかだった。


 遠目に見ていた志乃は、不安など欠片も抱かなかった。それほどまでに一方的な展開だった。


 視界の端に、ちらりと移動する影が映る。

 みつだ。彼女はひとり喧騒を離れて、道端にただ一軒たたずむ小屋へと向かっている。奪われたお守りを探すのだろう。騒ぎが収まるまで待っていれば安全に家探しができるのに、せっかちなことである。


 こちらには、そこはかとない不安を覚えた。

 志乃はそっと黒馬の首を撫でた。


「ちょっと降りるね、待っててね」


 ずるりと鞍からすべり落ちる。着物の裾を翻しながら、迷わず小屋に走った。幸い、いきり立った男たちは晴時に夢中だ。見咎められることはなかった。


「おみつさん? お守り見つかった?」

「ない……ない、ない!」


 小屋の中は閑散としていた。寝起きするための茣蓙やかけ布、それから酒の入れものが散らかっている程度だ。盗んだお宝がここにないのは、すぐにわかった。


「お守りって、どんなの?」

「両手に収まるくらいの置物で――」


 背後に気配がした。


「捜しているのはこれだろ、おみつ?」


 八郎が小屋の入り口に立っていた。晴時の刃をかいくぐって、こちらに来てしまったらしい。


「ちゃあんと隠し場所があるんだ。こんながらんどうの小屋になんか置くもんか」


 これはまずい。志乃はすぐに立ち上がったが、みつは床を漁る格好のままだった。


「あんた、それは」


 みつの視線は八郎の手のひらの上に釘づけだった。

 彼は不思議なものを持っていた。お座りする獣の姿を簡略化したような石の置物だ。色はついていない。自然の灰色そのままだった。


 あれが、みつの家から呪いを遠ざけるお守りなのだ。


「返して!」

「馬鹿言いなさんな、おまえが言ったんだろ? 俺にくれてもいいよって」

「あ――あれは、言葉の綾で! 本気じゃなかったんだ! ほとぼりが冷めたら返してもらうつもりで」

「そりゃないって。だったら最初ッから、あげるじゃなくて『預ける』って言うだろ?」


 みつの目が泳いだ。

 志乃はいやな笑みをたたえた八郎と、明らかに動揺しているみつを見比べる。


 どうも様子がおかしい。みつはお守りを取り返すために、あんなに必死に縋ってきたのに。今はまるで逆である。


「ねえ、その、八郎さん?」

「なんだい、可愛い子ちゃん」


 歯が浮きそうな呼び名だった。削がれた気を慌ててかき集め、志乃はそっと問いかける。


「みつさんが、あなたに、その置きものをあげるって……そう言ったの?」

「ちがうッ」


 みつの声はひっくり返っていた。彼女を一瞥してさらに笑みを深めた八郎は、志乃に向かってしっかりと頷いてみせる。


「ああ、そうだ。おみつが言った」


 それでは話が違う。

 みつは家に忍び入られて、盗まれたと言っていた。みつが知らない間に、である。


「おみつさん、どういうこと?」


 志乃が問いかけても、みつは口を引き結んで黙るだけだった。口を尖らせる様はまるで子供だ。八郎の言い分が偽りだというのなら、弁明をすればいいだけなのに、みつはそれをしない。


「どうせ、家に忍び込んだ俺が盗み出したとでも言ったんだろ? 俺に寄越したこの石っころがどんなに大変なものかあとから知って、慌てて探し始めたんじゃないのかい?」

「詳しく聞かせてもらおうか」


 八郎が驚いて跳び上がった。落としそうになったお守りの石像を慌てて抱え直し、振り返る。

 晴時が立っていた。刀についた血のりを拭っている。


「兄ちゃん、あんた……」

「おまえの仲間なら全員伸した」


 たしかに彼のうしろには、勇んで晴時に襲いかかっていた男たちがひとり残らず倒れていた。斬られた者は傷を押さえてのたうち回り、意識を狩られた者は四肢を投げ出してぴくりとも動かない。


 五体満足で残っているのは八郎だけだった。


「安心しろ、斬りつけたりはせぬ。その石像を奪おうとも思わん」


 晴時は刀を鞘に納めた。それでようやく、八郎も気が落ち着いたらしい。


「おまえたちは知り合いのようだな」

「ああ……恋仲だったんだよ、少し前まで」


 違うとみつがわめく。

 志乃はちらりと彼女に目をやったが、晴時はみつを見ない。黙って八郎に先を促した。


「おみつとは東都で知り合ったんだ。そんとき、俺は盗みに入れる家を探していてね。話を聞いてみりゃ、おみつの家には陰陽師からもらったすごい宝があるっていうじゃないか」

「それでその娘に取り入ったのか」

「そういうこと」


 順調にみつと仲を深めた八郎は、とうとうみつの家に上がることに成功した。

 そのころには八郎も、みつの事情をだいたい把握していたという。みつは、父と母、それから弟の四人暮らしだった。唯一の跡取りということで、両親は……特に父親は、まだ幼い弟ばかりを可愛がっていたらしい。


「傍目にもすぐわかるくらい、みつと親父は仲が悪かった」


 かつて呪いのせいで危うく廃業まで追いこまれた家だ。男児がひとりしかいないというのなら、そちらに気を割いてしまうのも当然といえば当然かもしれない。しかしみつは、それが気に入らなかった。だから、父親から聞いた呪いの話も、お守りの重要性も、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑って、本気で取り合わなかったのである。


「俺はそこに目をつけた。呪いだのお守りだの、真偽は定かじゃないが、本物だったら大儲け。偽物でも、多少の金にはなるからな」


 八郎はとことんみつの心に寄り添った。彼女と一緒になって父親を貶し、呪いなんて嘘っぱちだとうそぶき、お守りの石像なんて何の効果もない石ころだと笑い飛ばす。


『ね、八郎さん。わたし、父さんを困らせたいの。父さんはあの石像をいっとう大事にしてるから、なくなったらとっても慌てるよ』

『どうするんだい? まさか、捨てるのか?』

『そのつもり。八郎さん、あのお守り、どこか遠くにやってくれる?』

『そんなら俺がもらってもいいか』

『もちろん。でも絶対に見つからないようにしてね』


 みつはその手で、八郎にお守りを渡したのである。


「……今の話は本当なの、おみつさん?」


 志乃は横でへたり込んでいるみつを窺った。彼女の顔は紙のように白くなっていた。


「で、でたらめ言うんじゃないよッ。わたしはそんなこと……その男がは、話をでっちあげてるだけで……」


 声には覇気がなかった。言い訳もしどろもどろだ。

 みつと八郎のどちらが正しいかなんて、明らかだった。


「……話にならないな。それでよく取り返すなどと言えたものだ」

「わ、わたしより泥棒を信じるの! しかもそいつ、盗みをはたらくためにわたしに取り入ったんだろっ。わたしは騙されたんだよ!」

「たしかにこいつは盗人かもしれんが、少なくとも、おまえよりは誠実な態度を取ってくれる」

「し、志乃ちゃん! あんたはわたしを信じてくれるよね? ね?」


 ずるずると這ったみつが、志乃の手を掴む。痛めたほうの手だった。あまりの痛みにびくりと体が震える。

 咄嗟に振り払って、みつから手を取り戻した。


「八郎さんが嘘を言ってるんだったら、おみつさんは堂々としていばいい。いいけど、おみつさん、最初に八郎さんに『おまえがくれてやるって言ったんだろ』って言われたとき」


 みつは「あとで返してもらうつもりだった」と言った。あれは志乃たちが八郎の話を聞く前だ。彼女は最初から認めている。

 志乃の指摘に、みつは絶句した。力が抜けたように、両手をぱたりと床に落とす。


「……この、人でなし!」


 二度目の人でなしである。

 みつは豹変した。勝機を逃したと悟ったようだった。


「わたしがお守りを持って帰らなきゃ、弟も母さんも父さんもわたしも、みんな死ぬんだ! あんたがここで助けてくれなかっただけで、四人も死ぬ! それでも見捨てるのかっ」


 志乃を睨みつけて唾を飛ばす。飛びかかってきそうな勢いだったので、志乃は慌てて距離を取った。小屋を出ようと振り向いた瞬間、薄い胸板にぶつかる。


 忘れていた。入り口は八郎が塞いでいたのだ。

 咄嗟に謝って横を抜けようとしたのだが、そこをさらに通せんぼされた。戸惑いもあらわに見上げれば、甘い顔がとびきりの笑みを浮かべている。女の子を惑わそうとしているときの笑顔だった。


「嬢ちゃんも災難だったね」

「はあ……あの退いてくれますか」

「そんなこと言わずに、さ。志乃っていうの、君。なあ、お侍なんてかたっ苦しい奴、嫌にならないかい?」

「ならないです、退いてください」


 この状況でナンパとは、どうかしている。


「退けと言っているだろう」


 鈍い音がした。

 直後、八郎が脇腹を押さえて転がる。彼が持っていたみつの家のお守りも、一緒に落ちて、小屋の壁にぶつかった。獣の顔が上を向いて止まる。


 つい拾いに行こうと足を引きかけた志乃だったが、晴時に肩を掴まれて止まった。


「連中が息を吹き返し始めている。長居は無用だ」


 見ればたしかに、気絶させた男たちがうめき声を上げている。目覚めるのも時間の問題だろう。志乃は晴時について、そそくさと小屋を出た。

 振り返ると、みつが必死の形相でお守りに飛びついたところだった。ひとまず、取り返すことはできたらしい。


「おみつさんはどうするの?」

「放っておいても勝手に帰る」


 晴時は志乃もみつも一瞥すらせずに、ただ馬を呼んだ。

 遠くで見守っていた黒馬がたったか歩いてくる。ぶふん、と鼻を鳴らしたのは、不機嫌アピールだろうか。


「最後まで世話してやりたいのか」


 志乃を鞍の上に乗せながら、晴時が問うた。次いで彼は、ひらりと身を躍らせて志乃のうしろに腰を下ろす。


 志乃はあたりの惨状を見回した。

 倒れている男たちに、お守りを布でくるんで仕舞うみつ。


 みつはお守りを取り戻した。あとは来た道を戻るだけだ。しかし遅れてしまえば、復活したここの男たちに追いかけられて、捕まってしまうだろう。


(……でも)


 そのときはそのときだ。それがみつの運命だったというだけである。

 助けてあげたいなんて気持ちは、もう湧いてこなかった。


「おみつさん、道中気をつけて」


 だから声だけをかけた。それが合図だった。

 志乃と晴時はその場を離れ、また、ようやくみつを振り切ることができたのである。


 最後に志乃がちらりと振り返ると、ちょうど小屋からみつが出てくるところだった。ふらふらした足取りだ。彼女もまた、志乃を見ていた。

 菅笠に隠れてその表情は窺えない。


 しかし志乃は、みつに睨まれている気がしてならなかった。



________________________


まだ旅立ち初日なのに事件てんこもりすぎるでしょ……と思いませんか。私も思います。

さて、近況ノートでも共有しておりましたが、ストックが尽きたのでまたしばらくお休み期間になります。これが究極の無計画連載。

再開までお待ちいただければ幸いです~~!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

触る紫苑に祟りあり~神力少女、異世界に落ちる~ ねずみもち月 @hisuigetsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ