57 どこか似ている二人の関係
淡々とした口調でそう言う彼女の言葉の裏には、自嘲的な意図が含まれているように思う。
「言ってしまうと私は、私が生まれ持った名前を知りません。そもそもそんな名前があるのかどうかも、私とお母さんに、血のつながりがあるのかどうかも、わかっていません。私が物心ついたころには、もう傍にお母さんが居ましたし……元々私がどこから来たのか、何故今こうして暮らせているのかについて、お母さんが語ることは……一切ありませんでしたから」
俺はそこで、カヤさんの表情に影が差したような感覚を覚えた。自分の生い立ちについて満足に語れないことに、後ろめたさを感じているように見えたからだろうか。
「ごめんなさい。秘密を明かすと言っておきながら、私が知っているのはこの程度です」
それでも、ようやくランプ越しに伺えた彼女の表情は、どこか憑き物が落ちたような、ずっと一人で抱えていた心の重荷を、ようやく降ろすことができたかような……そんな清々しいものであったように見えた。
それなのに、こんなことを聞いてしまうのは無粋かもしれないが……
「一つ、尋ねたいことがある」
「なんでしょう」
「あなたがお母さんついて知らないのなら、どうしてあなたは彼女のことを、本物のカヤ・シルバーキャットと呼ぶんだ」
そこだけが気になっていた。本人の口から、直接語られたわけでもないというのなら、俺の知るカヤさんが、本物のカヤ・シルバーキャットである可能性もあるのではないかと。
「それは……私の知らないカヤ・シルバーキャットを、既に知っていた人が居たからです。私自身は身に覚えのないことを、その人が知っていたからです」
「なるほど? その人は一体……」
俺がほとんど反射的に尋ねると、彼女は口元に微笑を浮かべてこちらを見る。
「あなたも知っている、私の師匠ですよ。あの人は世界を旅する冒険者でしたから、獣人の国の事件についても、とても詳しく知っていたんです」
カヤさんは言葉を続けながら、木の根の中で眠る「お母さん」に近づいていく。
淡い緑色の光に包まれた女性の肌に触れながら、酷く遠くを見ているように思う。
「カヤ・シルバーキャットは戦火の中でも勇敢に戦い、国の外にまで逃げ延びた。彼女の実父であるシルバーキャット伯が、ずっとカヤのことを探している……なんて、獣人の国の方では、そこそこに有名な話らしいですよ? その噂を流しているのが、シルバーキャット伯本人かどうか、定かではないということまで含めて」
それから、こちらを見て困ったように笑うカヤさんの顔は、形容しがたい虚しさのようなものを抱えているように見えた。
「今、お母さんの身体は、原因不明の奇病に侵されています。今はこうして、とある魔法で木の根に命を繋いでもらえていますが……何かの拍子に魔法が途切れてしまったり、木の方が枯れてしまったりしてしまえば、そこまでです」
「それも、師匠が?」
「はい。そして師匠は、私の代わりに世界中を回る中で、病の治療法を探してくれています。危ないことは私に任せて、カヤちゃんはお母さんを守ってあげて。だなんて言って……」
カヤさんが真似する師匠の表情は、いつも通りどこか冗談めかしていたように思えるが、カヤさんがその言葉に納得していないということは、語り口から察せてしまった。
「わかっています、一度は襲撃を受けた土地に、身分を証明できない半端者が近づいてしまえば、要らぬ危険を呼び込みかねないということは。わかっています、情報収集は師匠に任せて、私はただこの山小屋で、お母さんを見守り続けているべきだということは……それでも」
見れば、彼女は腰のベルトの上に着いた、やけに使い古された革のポーチを強く握りしめて、震えていた。自分自身の思いを噛み締めるように、再確認するように声を震わせながら、その目に強い意志を宿していた。
「私は、私をここまで育ててくれたお母さんに、恩返しがしたい。叶うなら、お母さんが語ってくれなかった彼女の生い立ちを……お母さんの全てを知りたい。その末に病の治療法を見つけて……彼女にもう一度、感謝の言葉を伝えて見せたい」
決意の炎を燃やす彼女の言葉遣いに、今日の自分自身を重ね合わせてしまう。
なるほど、あなたが俺を受け入れてくれた理由に、ひどく納得が言った気がする。
「あなたも随分、諦めが悪い人なんだな」
思わず口からこぼれた言葉を、敢えて取り消さずに彼女を見つめる。
そうすると彼女はきょとんとして俺を見つめたあと、その表情を崩して笑った。
「ええ。ですから私たち、どこか似ているのかもしれませんね」
そう言って笑う彼女の表情はひどく純粋で、薄暗闇の中でも輝いていた。
それでも、その表情に、今更怖気づくことはない。
「それでも、ここまで知ってしまったからには、もう後戻りはできませんよ」
「望むところだ」
その通り。彼女がここまで語ってくれたのだ。
自分の気持ちを伝えたときから、とっくに覚悟はできている。
「あなたは、これからも俺といてくれるんだろう?」
だから俺は、敢えて意地の悪い聞き方をする。
夕焼けの下で、彼女が瞳を輝かせながら伝えてくれた言葉を、もう一度聞くためだけに。
俺の身体を強く抱きしめながら言ってくれた言葉を、聞きたいがために。
俺が、少々露骨過ぎる素振りをしてみせたら、彼女はそれに百点満点の答えを返した。
「もちろん、これからずっと一緒ですよ。ヨウハさん」
夕焼けの下で聞いた通りの……模範解答だ。
「だったら、お母さんとあなたと……それと師匠についても教えてくれ」
「ええ、もちろんです。えーっと、どこから話しましょうか」
「できる限り、話したい限りすべてだ。長くなるんだろう?」
「ふふふっそうですね。では、そうしましょう」
俺たちは踵を返して階段を上り、言葉を交わしながら小屋の中に戻っていく。
夜はまだ長い。しばらくはよく休めと言われているのは確かだが、今日くらいは夜通し語り明かしてしまっても、バチは当たらないはずだろう。
「あれは、何年か前のことです。森のなだらかな丘の上、一本の大木の根元にある小屋の中。当時の私は、そこにお母さんと二人で――――
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金欠冒険者と用心棒
第一章 - 終 -
金欠冒険者と用心棒 ~こちら駆け出し冒険者ですが、浜辺で記憶喪失の男の子を拾いました~ ビーデシオン @be-deshion
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