56 かけがえのない名前


 ランプを手に進むカヤさんの後に続き、階段を下りていけば、磨かれた切り石のように滑らかで、異質さを放つ床材が明らかになった。木材の温かみとは程遠い、無機質さを感じるそれに、足袋越しに触れてみれば、見た目通りの冷たい感触が帰って来る。


 そう思って、床から目を離した瞬間のことだった。


「っ……!?」


 言葉もなく息を詰まらせて、目を見開いてしまう。

 床材の上にはランプの微かな光越しに見えたそれに、意識を奪われてしまう。

 異様な光景を目にしてしまったばかりに、何もできずに固まってしまう。


「彼女は、誰なんだ?」


 地下室の中には、いくつもの節に枝分かれした木の根があり、その根の中には、一人の女性の姿があった。石造りの間から雄々しく伸びた、うすぼんやりと緑色に発光する木の根の中に……ソレに取り込まれたように佇む、白い肌の女性がいた。


 目を閉じているせいで、瞳の色はわからなかったが、透き通るように綺麗な銀の髪には見覚えがあった。その頂点から微かに伸びる、一対の耳には見覚えがあった。その繊細さを覚えるほどに華奢な身体つきには見覚えがあった。


 だからこそ、俺には。

 彼女がカヤさんの「お母さん」であるようにはとても見えなかった。

 それは、先日の天幕の中で、熱に浮かされて苦しんでいたカヤさんにそっくりの。


 親子というにはあまりにも似すぎた、カヤさんに瓜二つの女性が、そこにはいた。


 ただ一点だけ見覚えのないことに、彼女の目と鼻の間には、丁度一太刀分の刀傷があった。

 それだけが、彼女と彼女が確かに別人であることを、証明しているように思えた。


「彼女の名前はカヤ。本物のカヤ・シルバーキャット」


 淡々と呟いた声は、もちろん隣のカヤさんから発せられていた。

 ランプを手に持つ彼女の表情は、丁度明かりの影になっていて伺い知れない。

 ただ、彼女は覚悟を決めたようにはきはきと、伝えるべき事実だけを述べていく。


「カヤはここから遥か東方、東の遺跡群を挟んだ向こう側に位置する、獣人の国の士族でしたが、彼女がまだ酷く幼い頃、彼女の家は襲撃を受けました」


 そう言う彼女の口調は酷く他人事めいていて、とても自分のことを話しているようには思えなかった。「私」でも「彼女」でもなく、「カヤ」と呼ぶ彼女の生い立ちが、カヤさんであるはずの彼女から発せられていく。


「私は事の顛末を詳しく知るわけではありませんが、元々数ある士族の中でも厳しい状況に置かれていた彼女の家は、一度の襲撃で酷く損耗し、結果としてカヤは国を追われることとなりました」


 その語り口は酷く曖昧で、そのことがカヤさんの境遇を知らしめているようでもあった。

 すなわち、カヤさんはそれらのことを、自分で体験したわけではなかったのだろう。

 だとすれば、彼女は何者なのだ?


「そろそろ、私の正体について語りましょうか」


 俺の疑問に答えるように、彼女は言葉を続けていく。


「私は、お母さんに名前を貰ったんです。

 今は当たり前に馴染んでしまった、カヤというかけがえのない名前を」

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