後編
「暇だ」
患者の居なくなった調律室で、エイブラハムは気怠げに呟く。
「なら、器具の掃除でも手伝ってください」
隣から助手であるアズリーンの声が聞こえて首を持ち上げる。
以前に彼女が小腹を満たすために用意していたアイスを食べて以来、その態度は冷たかった。
「分かった……手伝おう」
「冗談です。天井でも見ていてください」
エイブラハムは言われた通り、椅子に深く腰をかけて天井を見上げることにした。
あの調律院での暴走事故から一ヶ月が経った。
国王を務める青年の計らいでエイブラハムはお咎めなしで済んだ。
彼はエイブラハムに調律を任せると言っていたが、あれ以来接触は無い。
きっと、あの時だけのリップサービスのようなものだろうとエイブラハムは解釈した。
この国の王は持っているスキルの多さ故に激務に見舞われている。
王国が抱える三つの戦場を一人で周り、その前線を押し上げ兵士達を鼓舞している。
休養は〈睡眠耐性〉と〈睡眠圧縮〉と〈睡眠短縮〉の三つのスキルによって1月に1時間のみ。
食事はスキルの組み合わせにより空気から生成したものを直接胃のなかに流し込む生活を送っている。
そして、調律を毎日受けるため、彼は日に一度ほど必ず王城へと戻る。
エイブラハムが国王について知っていたことと言えば、そのくらいだ。
「あー……」
天井を見つめていたエイブラハムが意味もなく首を横に向けると、見覚えのある青年の顔があった。
「やぁ」
「……っ」
「先生っ」
アズリーンがその存在に気付いて、手の平を向ける。
すると、氷の矢が生み出されて青年へと打ち出された。
しかし、その全てを握り潰して蒸発させると、追撃を加えようとしているアズリーンに向かって口を開く。
「『止まれ』」
「……こ、れは」
彼女の体が金縛りにあったように動かなくなる。
自分に起こった現象からスキルの正体を察したアズリーンは目を見開く。
「アズリーン、落ち着け。この方は敵ではない」
「……っ」
「伝わって良かった。命令を取り消そう」
ヴィクティマが指を鳴らすと、固まっていたアズリーンの体が解放されて、地面にへたり込む。
「どうやら今日は患者も居ないようだし、直ぐに診て貰えそうだ。僕は運が良い」
以前も『運が良い』などと言っていたが、これは彼の口癖だろうかとエイブラハムは思った。
「陛下のスキル調律は私にはできません」
「……え?」
「この院で最も優れた調律器がこれですから」
そう言って彼は傍の器械に手を置いた。大きさで言うとサイドテーブル程度しかない。彼の調律はできないということを遠回しに伝えた。
「じゃあ、うちのを使おう」
ヴィクティムはエイブラハムの肩を掴んだ。
「待っ——」
その瞬間、目の前の景色が王城の中に切り替わった。
瞬間移動を可能とする〈転移〉スキルの効果だ。
「ぉ、え」
耐性スキルの類を持たないエイブラハムは三半規管を揺らされて、大きく嗚咽する。中年にあるまじき醜態だ。
涙を拭いて目の前を見ると劇場のような部屋が広がり、その中央には巨大な調律器があった。
そこには、エイブラハムの他にも十数人の調律師が王のために待機していた。彼らはエイブラハムに向けて訝しげな視線を向けている。
「早速始めて良いよ」
調律器の前にある、管の付いた棺桶のような箱にヴィクティマが入ると、彼らのいる空間が光の粒で満たされる。
「投影型か……」
スキル空間を直接投影する調律器は、投影までに手間がかかる代わりに細部を精査する事が可能となる、人一人に使われるには大袈裟な器械だった。
視線を下げると、調律師達がそれぞれにダイヤルを操作している。この銀河のようなスキル全てを整えるのはとても一人では足りないのだろう。
それぞれが無駄の無い動きで、スキルの配置を動かしている。
しかし……。
「それでは痛みが大きい」
干渉し合うスキルを無理やりに動かせば、魂から痛みを生じる。
「経路を割り出すには、時間が足りないんです」
「何のための直属調律師だ、そのくらいは空で計算しろ」
近くに立っていた調律師を退かして、ダイヤルを動かす。空間に浮かぶ粒を睨みながら、時折素早い手付きで指を動かすとスキルは空間の中を落ちるように自然な軌道で配置を変えた。
「凄い……」
ダイヤルを奪われて怒りを覚えていた調律師も思わず感嘆した。
「少し痛みが減った。流石だよ……エイブラハム」
棺桶の中からヴィクティマが軽い調子で声をかけてくる。
今も彼は激痛に襲われているはずだが、それをおくびにも出さないのは、王としての彼のプライドだろうか。
「……痛みがあると訴えなければ、調律師も成長はできません。無くすべき甘さです」
「僕のスキルの調律が難しいのは分かるだろう?」
ふふ、と笑うヴィクティマに対し、エイブラハムは反論しない。
王子として生まれた彼はある一つのスキルを持っていた。
それが〈徴収〉である。
これによって国内の殆どのスキル保持者は持っていたスキルの一部を奪われた。その中には国王が持っていた〈王令〉も含まれており、そのせいで彼は生まれた瞬間に簒奪者となった。
そして〈徴収〉によって増えたスキルは魂のバランスを大きく崩す。これがヴィクティマの調律が極端に難しくなる理由だった。
「……」
エイブラハムは黙って、ダイヤルを回す。
「エイブラハム殿……?」
背後の専属調律師が調律の終わったスキルを動かす彼の行動を不審に思った。
「なにが面白い……ヴィクティマ・エル・オースランド」
「何をっ、エイブラ——」
その瞬間、世界の全てが動きを止めた。
止まった世界で唯一動けるのはそのスキルの発動者であるエイブラハム、そして〈時空操作耐性〉スキルを持つヴィクティマだけだった。
「あぁ、そうか」
ヴィクティマはエイブラハムが何者か気付いたようだった。
「〈時間凍結〉スキル……イヴァン・クロノス」
「そうだ、貴様に息子を殺された男だ」
ヴィクティマが5歳の頃、彼の〈徴収〉スキルによって〈復活〉スキルを奪われたイヴァンの息子は、その後に病で命を落としたのだ。
彼はその時、戦場で兵士として戦っていた。
「貴様が高頻度の調律を必要としていることは分かっていたが、まさか自分から招き入れるとはな……本当に間抜けだ」
数多くのスキルによって不死身の生存力を持つ彼だが、調律の際にはどうしても無防備になる。
そこを突くためにイヴァンは調律師の資格を手に入れたのだ。
現在のヴィクティマはまな板の上の鯉だった。
「あぁ、そうか、そうか。覚えているよ、シーズのお父さんか」
「……何」
イヴァンは顔をしかめる。彼が息子の名前を覚えていることは予想外の事実だった。
「あそこに……緑色の
ヴィクティマは棺桶の中から指先だけを出した。
「あれが、〈復活〉だよ。僕を何度も助けてくれたスキルだ」
それは逆説的に、彼が何度も死ぬような目に遭ってきたことを意味する。
「全部……覚えているのか」
「いや、生まれた時の暴発で奪ったものは、流石に覚えていないよ」
つまり、それ以降は覚えているということだ。
「ほら、あの赤い星は部下から貰ったものだよ。彼は優秀な将軍だったけど、戦い続けることに疲れてしまったんだ。あっちの星は敵のものだね、心も体も凄く強い人だった。そしてあっちの星は……」
彼は調律器に触れていないにも関わらず、そのスキルが誰のものか、覚えていた。今は彼のスキルは耐性系以外は起動していない。
ならば、それらは彼が自身の力のみを使って記憶したものだということだ。
「俺の……息子は、お前に自らスキルを渡したのか……?」
「……そうだね」
ヴィクティマはただ、そう答えた。
「シーズは病気によって、何度も死に、そして生き返るのを繰り返していた」
戦場にいたイヴァンはそのことを知らなかった。
一度も死んだことが無い彼には、それがどれほどの苦痛かは知らない。
「彼は、
天井に伸ばしていた手が棺桶の中に戻る。
「彼の父をこんなに不幸にしてしまった」
「……」
彼の言っていることはこの場だけの誤魔化しなのかもしれない。
〈精神把握〉スキルを持たないイヴァンには彼の言葉が真実かは分からなかった。
ただ、このまま復讐を成し遂げたとして、この胸に残ったしこりが消えることは無い。
「僕は
「どうして……そこで俺の名前が出るんだ」
「シーズが病気の中、戦っていられたのは貴方の背中に勇気づけられたからだよ」
「もう、俺はそんな立派なものでは無い……」
イヴァンは握っていたナイフを落とし、力無く答えた。
「いや、それは今も変わらないよ。だって僕が貴方を見つけたのは、誰かを助けている瞬間だったろう?」
「そう……か」
調律師としての資格を手に入れてからは、技術が錆びないように調律を行っていたつもりだった。
しかし、それを格安で行っていたのは、きっと誰かを助けたい気持ちが彼に残ってしまっていたのだろう。
「はは……くそ」
復讐する筈だった相手は居なくなり、彼は無為な十数年間を過ごしてしまった。そうであるにも関わらず、彼の心中は真逆の感情に満たされていた。
「どうしてこんなに、良かったと思っているんだ……」
息子が憧れていた自分を失わなかったこと。
それを喜ぶ気持ちが湧き上がる。
「——ハム殿ッ!?」
気付けば、時間の凍結は解除されていた。
手早くダイヤルを正常な位置に戻したエイブラハムは、彼らに向かって、手錠が掛けられるように両手を差し出す。
ダイヤルを弄ったと思ったら両目から涙を突然流していたエイブラハムに彼らは困惑した。
◆◆◆◆
「だから!いくらエイブラハム殿でも、組成そのものに自己修正機能を持たせるなど不可能です!」
「〈徴収〉ではスキルの数が変化し、動的に変化する。一々再計算し直すくらいなら、計算機能と再配置機能を組成に持たせた方が早いだろう。ほら、これを見てみろ!実現した例が存在する」
「これが可能なら、調律の時間も、調律の間隔も、格段に増やせる!君たちは陛下の負担を減らしたいと思わないのか!?」
「えぇ!!減らしたいですとも!?しかし、この論文は十個ほどのミクロな場合です、陛下は幾つのスキルを持っているかご存知でしょうか、エイブラハム殿?」
彼は許された。
そもそも、彼が罪を犯そうとしたことを知っているのは、ヴィクティマしか居なかったのだ。
ヴィクティマが口を閉ざせば、誰も彼を罪に問うことはできない。
「1200万だ」
「分かっているなら、これがどれだけ困難なことかも理解できますよね。それとも貴方は神か何かですか?」
「いや……違う。私は——」
そうして、皮肉にも復讐のために磨いた力を、よりにもよって復讐相手の苦痛を和らげるために使っている。
「——私はただの調律師だ」
今日も彼らは
スキルの調律師さん 沖唄 @R2D2
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