第4話 神の奇跡

 シュエの首にかかる細帯――ストラは、教会に所属する者の証である。

 両端には神聖な十字と星屑が、白銀の糸で繊細に刺繍されている。灰色のストラは、助祭という階級を示していた。


「そしてこちらの少年が、亡くなったセイラン司祭のお孫さん、ハオくん」


 青年が掴んでいたシュエの腕を放した。

 シュエはその場から去ろうとはしなかったが、さりげなく、青年から庇うようにハオの前に立った。


「どちら様でしょう」


 ハオは、その頼りなくも優しい背中越しに、顔をのぞかせた。青年は、特に気を悪くした様子もない。


「警戒する必要はないかと」


 そう言って、青年がコートのボタンを外した。

 内側に着ていたのは、シュエとほぼ同じ、飾り気の無い黒い立襟の上下。その首に、光沢のある布でできた細帯をかけている。


 白銀の刺繍が描く神聖な十字と星屑、そして両端には刺繍と同じ色の房飾りが付いている。房飾りが付いているのは、助祭であるシュエより上の階級、司祭であることを示している。

 教皇庁に所属する、聖職者の証のストラ。布地の色は、ハオが初めて見る黒い色をしている。


「黒い、ストラ……審問官……!?」


 シュエの呟きに、青年が胡散臭い笑みを浮かべ頷いた。


「審問官のユエと申します。セイラン司祭の死について調べるために、教皇庁から派遣されて参りました」


 黒いストラが風に吹かれ、舞うように揺れた。




* * *




 ハオが住んでいるのは、ハルモニアという国の端。周囲を森に囲まれた小さな村である。

 緑が豊かで、家も人もまばらで、丘の上にある領主館が最も大きくて立派な建物。領主館に次いで大きな建物が、村の中央にあった教会である。

 刺激も娯楽も面白みもない。まるで、教会の説教のように退屈な村だ。


 村人の大半が生まれた時から死ぬまでこの村で暮らしており、誰もが親戚か友人か知り合いである。

 村人以外の者といえば、ごく稀にやってくる行商人や、森で迷った行商人、あるいは流れ者といったところだろう。


 村がよそ者に対して特別排他的、というわけではない。普通の人相手であれば、最初に少し警戒して、しばらくすればそのうちに打ち解ける。

 例外があるとすれば、隣国のアロニア人や教会の人間、あるいはシュエのような魔術士や、ハオのような罪人。


 初めはよそ者だった助祭のシュエは、すでに十年をこの村で過ごしている。もう村人と呼んでも許されるはずだ。

 シュエは誰かに対して高圧的な態度を取ることもない。その穏やかで親切な気性から、本来であれば村では歓迎されない魔術士にも関わらず、それなりに受け入れられている。


 村人は基本的にそう悪い者たちではない。気のいい村人、と呼べるかは微妙だが、普通に嫌な奴がいて、良い奴もいて、大抵そこそこ無関心で、それなりに親切。ハオ以外には。


 小さな村の中心には、教会がある。司祭のセイランは、その教会を管理する立場だった。

 気難しい老人で、助祭であるシュエの上司で、血縁上はハオの祖父。両親のいないハオにとっては、唯一の肉親で保護者だった。


 そんな村で事件が起こったのは半月前。正確には十七日前の夜中である。

 その晩、司祭のセイランが死んだ。


 前を歩くシュエの背中はどこかぎこちない。緊張しているのだと一目で分かる。

 それがどういう種類の緊張なのか、ハオには心当たりがあり過ぎて、それでも心配することしかできない。


 司祭の死。教会のこと。

 刺青を持つハオのこと。これから先のこと。


 教皇庁から派遣されてきたというユエは、ハオの後ろをゆったりとした足取りで、周囲を見渡しながらついて来る。


 木々はあるものの、村は家がまばらで特に冬が近い今の季節は見晴らしが良い。本当であれば、村のどこからでも教会の尖塔が見えていた。


 燃え残った教会の前にもう一人、ユエと似たような旅装の青年が立っていた。青年はユエを認めると、真っ先に不満そうな声を上げた。


「――教会、思ったより焼け落ちてる」


 帽子を目深に被り、ユエと同じく荷物を背負っており、コートの下は見えないが、きっと教会の黒い服を着ているに違いない。


「こちら、助祭のシュエさんと、セイラン司祭のお孫さんで、ハオくん十一歳です。シュエさん、ハオくん、こちらはシン。私の相棒で、もう一人の審問官です。シン、ご挨拶なさい」


 不満そうなシンの声を無視して、ユエがシュエとハオを紹介する。


「ねえユエ」

「まずは挨拶をしなさい」

「……シンです。よろしくお願いします」

「あ、はい。シンさんですね。あの、こちらこそ、よろしくお願いします」


 ぼそぼそと喋り、小さく頭を下げたシンに、シュエも深々と頭を下げた。


 シンはユエよりも頭ひとつ分ぐらい背が低い。目元を完全に覆う長い前髪と、それを抑えるツバ付きの黒い帽子で、顔の上半分が隠れている。

 そのせいで、どこを見てるのか、何を考えてるのか分からない。ユエとはまた違う意味で胡散臭い。

 その肩に、背よりもいくらか高い、細長い棒状の何かを抱えていた。布で巻かれているので、何か分からない。


 全体的に、どこか掴みどころがない。ユエもシンも、それぞれに怪しく、二人揃うとさらに胡散臭い。


「んー、確かに、見事に焼けてますね。こんがりと」


 ユエのつまらない感想を聞きながら、ハオは足元にあった黒く煤けた小石を爪先で転がした。

 確かに、見れば誰だってそう思うぐらい、教会は焼け落ちている。


 まだ風に運ばれず残っている灰と炭が、わずかに何かが焼けた匂いを漂わせていた。それが本当に漂っているのか、錯覚なのか、判然としない。


 元は、尖った屋根の先端まで二階か三階分ぐらいの高さがある建物だった。

 祭壇と、祭壇に向かって並ぶ椅子があるだけの教会は、厳かで、気難しい司祭と同じぐらい、ずっと変わらないものだと思っていた。


 剥き出しの土の上に、教会の外壁が建物の輪郭を残している。途中で崩れて、入口のあった扉付近は二階部分も半ばまで残っているが、その上にあった屋根は崩れ落ちた。


 半月前、崩れ落ちた屋根の隙間に、司祭の黒焦げの死体は収まっていた。

 祭壇の前で、崩れ落ちた屋根に潰されることなく、人の形を保っていた。

 だからこそ、それが元は人だったもので、司祭だと判断ができた。


 それを奇跡だとシュエは言っていたけど、ずいぶんとつまらない奇跡だ。

 そんな奇跡をありがたがれと言うのか。そんなものを押し付けるような神なら、やはりたいしたものではない。

 そう、ハオは思っている。

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