第7話 さらば幽霊課長

「ここはちょっと広すぎますね」


霊能者が言った。


ぼくたちはオフィスへ戻り、課長席の前にいた。銀星部長、柿谷先輩、ぼく、それに霊能者。


まだ若い私服姿の彼がオフィスにいるのは違和感があった。黄林主任以下、営業一課のメンバーたちが仕事の手を止めてこちらを見ている。その全員が課長の幽霊を見ているし、夢の中で毎晩会議をやられたりして被害を被っていた。現在の我が課の悲願は売上達成ではない。課長の成仏である。


「こちらは私たちでやるので、君たちは仕事に集中しなさい」


銀星部長に注意され、皆は仕事に戻った。だが、こちらに聞き耳を立てているのは明らかで、仕事はやっているふりである。


今、ぼくたちはどうやって課長を成仏させるか相談しているのだ。霊能者によると、あの世への霊的な通路を作り、そこから課長を送り出すとのことだった。だが、このだだっ広いオフィスの課長席はその目的に不向きだそうだ。もっと狭い空間でまわりを護符だらけにする必要があるとのこと。


「この席に何度か現れているのですね」


霊能者が課長の席を見ながら言った。ぼくたちは一斉にうなずいた。


「彼が出てくるきっかけは何かありませんでしたか?たとえば、誰かがこの席に座ると現れるとか」


「黄林さん!」


ぼくはこそこそと逃げだそうとした黄林主任を呼び止めた。彼は課長代理として課長席に座るたびに現れた課長に突き飛ばされていた。課長を呼び寄せるには絶交の餌だ。


「勘弁してくださいよ。身が持たない」


黄林さんは真剣におびえていた。


確かにだんだん突き飛ばされ方が激しくなっていて、そろそろ大けがをしてもおかしくなかった。


「安全対策は考えるから、協力しなさい。みんなのためだ」


口ぶりとは裏腹に全く心配していなさそうな部長。この人、本当に人間味がない。


「ではこちらに召喚と。どこか小部屋みたいなところないですか?幽霊を閉じ込める」


霊能者はてきぱきと話を進めていく。ふだんは何の仕事をしているのだろうか?きっとそちらでも有能な人に違いない。うちの課に欲しいぐらいだ。


「会議室になりますね。ちょっと離れていますけど」


今にも死にそうな柿谷先輩が先に立って案内する。彼は我が営業部のエースだったのだ。死んだ課長に無茶苦茶にされるまでは。


廊下に出て突き当たりまで行くと会議室がいくつかある。ぼくたちはそこへ向かった。


「ここです。ここがいいです」


四人用の小さな会議室の前。霊能者が声を上げた。


「結構距離があるな」


腕組みをする銀星部長。オフィスの課長席からは廊下を通って数十メートルあった。


「どうやってここまで連れてきましょうかね」


柿谷先輩も考え込んでいる。


あっ。ぼくの頭に休日出勤している時の灰田課長が浮かんだ。


「考えがあります」


そう言うと、三人は一斉にぼくの顔を見た。




その日の深夜丑三つ時、つまり午前二時のオフィス。ぼくたちの作戦が始まった。昼間、皆が仕事している時に幽霊退治もできないし、どうせなら一番お化けが出やすい時間がいいだろうということになったのだ。


「頼むよ」


銀星部長に肩を叩かれた黄林主任が泣きそうな顔をしながら課長席に向かった。主任以外のぼくたち、部長、柿谷先輩、霊能者とぼくは首から紐で護符をさげていた。もちろん霊能者からもらった物だ。これでぼくたちの姿は幽霊に見えないとのこと。


逆に主任は課長に見えないと困るのだ。課長席のまわりにはあらかじめぼくたちが応接室から持ってきたクッションを敷き詰めていた。


黄林主任は課長席に座りノートパソコンを開こうとしたが、その暇はなかった。あっと言う間に課長が現れ、もの凄い勢いで主任を突き飛ばしたからだ。彼は敷き詰めたクッションの向こうまで飛んで行き、ダイレクトに床に落ちた。今度こそやばいかも。


「俺の席だと言ってるだろ!」


課長は怒鳴ると、どっしりと席に座り込んだ。


霊能者が課長をまじまじと見て言った。


「こんなに濃い幽霊を初めて見ましたよ」


まさに煩悩の塊。この世への執着と未練でできた化け物だ。しかもその動機が出世というのだから、何とも底が浅い。早いところあの世に放り出さないと、ぼくたちは仕事にならない。


課長は机に山積みとなっている書類に猛然と印鑑を押し始めた。書類はぼくが準備したダミーの決裁書類だ。そして、これが彼の変な癖なのだが、印鑑を押しながら声を出すのだ。


印鑑を朱肉につけて


「ほい」


書類に判を押す。


「はっ」


生前そのままの姿だ。前に日曜日のオフィスで一心不乱に判を押す課長を見て、ゾッとしたことがあるが、まさにあれ。内容なんか見ちゃいない。完全な盲判だ。後で問題が生じると、すべて部下のせいにして責め立てるから決裁の意味がない。彼は判を押すマシンだった。


また印鑑に朱肉をつけて


「ほい」


ひたすら書類に判を押し続けた。


「はっ」


やがて課長は山積みの書類に盲判を押し終えると、キョロキョロとまわりを見回し始めた。まだ書類がないかと探しているのだ。


その時、ぼくは床の上に捺印前のダミー書類を一枚置いた。それはぼくの手から離れた瞬間に課長に見えたようだ。


課長は朱肉を片手に持ち、もう片方の手で印鑑をつけた。


「ほい」


そして床の上の書類にそのまま判を押した。


「はっ」


実は日曜日にこの光景を見たことがあった。落ちた書類を拾わずに床の上でそのまま判を押したのだ。普通なら書類を机に拾い上げるだろうが、この捺印大好き課長はそうしなかった。人間は死んでからも生きていた時と同じように振る舞うと霊能者に聞いて、この案を思いついたのだ。


ぼくはすぐさま次の書類を少し離れた床の上に置いた。課長が朱肉に印鑑をつけた。


「ほい」


そして判を押した。


「はっ」


ぼくは後ずさりしながら手に持った書類の束からまた1枚紙を床の上に置くことを繰り返した。


「ほい」


「はっ」


オフィスから廊下に出て、ぼくは書類を置きながら後ずさりする。課長は捺印しながらついてくる。


「ほい」


「はっ」


「ほい」


「はっ」


ヘンゼルとグレーテルだ。お菓子ならぬ書類に釣られて、課長はぼくに誘導された。


やがて会議室の前まで来た。ぼくは素早く部屋に入り、机の上に最後の書類を置いた。そして課長が続いて入ってきた瞬間、入れ違いに外へ飛び出した。


「それっ!」


近くに待機していた部長、柿谷先輩、霊能者が会議室の窓やドアに護符をベタベタと貼りまくった。これでもう課長は外に出られない。


会議室では机の上にも書類の山を置いてあった。課長は席に座ると、猛然と判を押し始めた。その様子が窓から見える。


「ほい」


「はっ」


「ほい」


「はっ」


そして書類がなくなった頃。会議室の電話が鳴った。課長は受話器を取る。


「もしもし」


電話をかけたのはぼくの隣にいる銀星部長だった。


「銀星だ」


「はっ、部長!」


いきなり立ち上がり直立不動になる課長。上司相手だとこれだ。まさに権力の犬。


部長はちょっと不安そうにぼくたちの顔を見た。霊能者が小声で言った。


「お願いします」


部長はうなずくと、話を続けた。


「灰田くん、君に話がある」


「はい、何でしょうか?」


「君の昇進が決まった」


「何ですって?」


「部長になってもらう」


「えっ、第一営業部のですか?」


「いずれ、そうなってもらうが。その前に」


「その前に」


「別のところの部長になってもらう。日本じゃないんだ」


「えっ」


「そこで経験を積んでもらえれば、更なる昇進も期待できる」


「私は外国語が喋れませんが」


そうなのだ。課長は客先にちょっと外国人が現れると貝のように黙り込み、柿谷先輩やぼくの陰に隠れていた。


「そこは安心して欲しい。すべて日本語で会話できるよう取り計らっている」


ちょっと考えた課長は意を決したようだった。


「わかりました。お受けします!」


この馬鹿、赴任先がどこかも聞かないうちに受けちゃったよ。彼にとって日本以外の外国はどこでも同じらしい。


霊能者がよしという顔でうなずいている。部長は彼に目配せをすると課長との会話を続けた。


「ありがとう。机の引き出しに辞令が入っているから見て欲しい」


課長は言われた通りに書類を取りだした。もちろん、事前にぼくたちがでっち上げたものだ。


「えっ、どこですか?これ。南米かどこかでしょうか?」


さすがの課長も書いてある赴任地を読んでけげんな顔をしている。そりゃそうだ。


「詳しくはまた説明する。そこの営業部長をやってくれるな?」


「もちろんです。私も男です。お受けします」


どこかわからない土地の営業部長をやれとかやりますとか、どっちも狂っている。だけど、そもそも幽霊と生きた人間が話をしている時点でおかしいのだ。もはや何でもあり。


「じゃあ辞令を声に出して読んで、それを受けると言ってくれるか」


「わかりました」


もちろん、現実の昇進にそんなプロセスはないが、この場合どうしても必要なのだ。


「私、灰田化太郎はサン・ズノカ・ワノムコー支店の営業部長を拝命いたしました」


言いながら課長は涙ぐんだ。


「よしっ!」


霊能者、柿谷先輩、そしてぼくはガッツポーズをした。ついにやった。灰田課長はサン・ズノカ・ワノムコー支店、漢字にすると「三途の川向こう」支店に行くことを承諾したのだ。これで二度とこちらには戻って来られない。


課長が光に包まれ、その姿が薄れてきた。課長は声を震わせながら言った。


「新しい職場で誠心誠意努力します。部長、ありがとうございます。みんなにはいろいろ迷惑をおかけしました。どうぞよろしくお伝えください」


てめえ、迷惑をかけたと自覚していたのか?ぼくはイラッとした。


やがて光の塊となった課長はキラキラと輝きながら姿を消した。


「終わった……」


ぼくたちはどっかりとその場に座り込んだ。まさに精も根も尽き果てたというやつだ。


「しかし、あんなやつが天国に行くなんて納得がいかないですよ」


ぼくが霊能者に言うと、彼はニヤッと笑った。


「私、行き先が天国だって言いましたっけ?」


(完)

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幽霊課長 山田貴文 @Moonlightsy358

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