第60話

 マスターの話が終わると、お母さんは深いため息をついた。


「……事情は理解しました。

 それで『朝陽あさひが居ないと店がつぶれる』という話になるのね」


 私はお母さんにすがりついて告げる。


「私、ここで働き続けたい!

 ここに来る人たちを笑顔にする仕事を続けたいの!

 これって、行けないことなのかな?!」


 マスターが落ち着いた声で私に告げる。


朝陽あさひ、今はそっとしてあげなさい。

 朝陽あさひのお母さんは、そこまで余裕がないからね。

 心が納得するまで、少し時間が必要だろう」


 そうなのか。


 いきなり信じろって言われても難しいのかな。


 お母さんが小さく息をついた。


「ここに朝陽あさひが就職したら、朝陽あさひはどうなるの?」


 マスターが穏やかな声で応える。


「形の上では今まで通り、店員として勤めてもらうことになります。

 本質的には『僕の巫女』として、仮契約を結ぶ形です。

 本殿を補修し続ければ、勤めあげることはできます」


「……小金井こがねいさんは、朝陽あさひとの交際をどう考えてるの?」


 マスターが寂しそうに目を伏せた。


「僕は『バイトの間だけ一緒の時間を過ごす関係』で充分だと思っています。

 それ以上の関係を結ぶのは、朝陽あさひのためにならないかと」


 私はあわてて声を上げる。


「勝手に決めないでよ!

 それで私が幸せになると思ってるの?!

 私はこのお店が大好きで、ここでみんなを笑顔にしていきたいんだよ!」


 お母さんが私を見て告げる。


「じゃあ朝陽あさひ、あなたは小金井こがねいさんと結婚するつもりなの?

 子供は? 教育は? やっていけると思うの?」


「それは……」


 私が答えに詰まると、浜崎のお爺さんが楽しそうに告げる。


「ともかく、朝陽あさひさんが高校を卒業するまで時間はある。

 祭りが巧く行けば、大学卒業くらいまでは持つ。

 現実的な進路を考えつつ、ここへの就職も視野に入れる。

 それぐらいが落としどころではないかな?」


 お母さんがため息をついた。


「……わかりました。

 それぐらいなら譲歩はできます。

 ――朝陽あさひ、それでいい?」


「うん……。

 ねぇお母さん、ここのバイトを許してくれるの?」


 お母さんが困ったように微笑んだ。


「だって、朝陽あさひはここが好きなんでしょう?

 あなたの気持ちはさっき、痛いほど伝わってきた。

 だから高校生の間は許してあげます」


「――高校を卒業したら?!」


「その時は、あなたの進路次第ね。

 ここに就職するなら、浜崎さんにも責任を取ってもらうわ。

 たとえ朝陽あさひが喫茶店を辞めることになっても、就職口を斡旋してくださるのでしょう?」


 ――お母さん、したたかだな?!


 浜崎のお爺さんが苦笑を浮かべてうなずいた。


「いいだろう、その時は浜崎グループ傘下の企業に入社してもらう。

 それで納得してもらえるなら、安いものだ」


 お母さんが席を立って告げる。


「少し納得するまで、時間をください。

 朝陽あさひが高校を卒業するまでには、なんとか飲み込みますから」


 マスターと浜崎のお爺さんがうなずいた。


 私はお母さんと一緒に、浜崎のお爺さんに車で自宅に向かって送られて行った。





****


 六月下旬、土曜日の夕方に『潮原しおはら竜神まつり』が開催された。


 境内の中央にやぐらが組まれ、小さな音でどこからか祭囃子が聞こえてくる。


 あちこちに出店が並んでいて、近所の人たちが子連れでお祭りを楽しんでるみたいだった。


 その出店の中にある喫茶コーナーに、私とマスターがいた。


 コーヒーや紅茶、緑茶を提供するだけの、ささやかなスペースだ。


 マスターに釣られた女性客の利用が多くて、ちょっとした賑わいを見せていた。


 マスターの姿をスマホで撮影する人も見かけるくらいだ。


 私はお客さんに対応しつつ、マスターのそばで一息つく。


「ふぅ、マスターの人気はすごいね」


「そうかい? 珍しいものを見に来ただけじゃないかな」


 この人は……自分がきれいだって自覚がないな?


 孝弘さんが姿を見せて、私に手を挙げる。


「お、やってるな!

 どうだ? 『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』出張店、繁盛してるか?」


「ちょっと忙しすぎるかな。

 でもなんでマスターを引っ張り出したの?」


 孝弘さんが得意げに笑った。


「祭りには名物が必要だろう?

 『そこでしか会えない名物マスター』なんて、人を呼ぶにはいい材料だ。

 これなら一般人でも、小金井こがねいさんの姿を見れるからな」


 そりゃあ、私がそばにいれば普通の人でも見れるらしいけどさ。


「マスターを客引きにしたっていうの?

 信仰する神様なのに、それでいいの?」


「今は『名前を覚えてもらう』だけでいい。

 朝陽あさひっていうかんなぎが居る間は、それで充分な効果が見込める。

 ――それで合ってるか? 小金井こがねいさん」


 マスターが優しくうなずいた。


「そうだね。今までと違う力の集まりを感じる。

 これなら朝陽あさひにかかる負担も、かなり軽減できるはずだよ」


「ほんとに? それならいいんだけど。

 でも雨にならなくて良かったね」


 マスターがクスリと笑った。


「僕を祀るお祭りで、雨天中止なんてことにはならないよ。

 これでも水の神様だからね。

 天気ぐらい、なんとかできるから」


 なるほど、言われてみればそうかもしれない。


 境内を見渡すと、まだまだ出店や来客は少なくて小ぢんまりとしていた。


 いつかはこのお祭りが、賑やかになるといいな!



 私とマスターは、お祭りが終わるまで喫茶スペースで接客に追われ続けた。





****


 お祭りの翌日、『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』では早苗さなえ歩美あゆみが疲れ切っていた。


「昨日は大変だったよ。

 私たちだけで、ここで接客してたんだもん」


 マスターが歩美あゆみに告げる。


「ごめんね、無理を言って。

 でもありがとう」


 マスターは分身をお店に置いて、コーヒーを入れていたらしい。


 店員は早苗さなえ歩美あゆみの二人きり。


 だけど『あやかし』たちもお祭りの空気に誘われて、昨日は結構な賑わいだったそうだ。


 歩美あゆみがふぅとため息をついた。


「これでマスターと朝陽あさひの力になれるなら、お安い御用だけどね。

 でも私も進級したら、シフトにフルタイムで入れなくなるわ。

 こうしていられるのも、今だけよね」


 私はきょとんと歩美あゆみに尋ねる。


「そうなの? 歩美あゆみは何をするつもり?」


「高校生のうちに、いくつか資格を取ろうと思ってるの。

 勉強時間を増やすから、私は週の半分だけバイトをすることになるかな」


 早苗さなえが退屈そうに告げる。


「別に、バイトしながらここで勉強すればいいじゃん。

 今もこうして暇してるんだし。

 でも進路かー。私もここに就職しようかなー」


「あら、ここだと男性との出会いがないわよ?

 独身のまま終わりたいの?」


「う、それを言われると……」


 マスターがクスクスと笑って告げる。


「どんな選択を取ろうと、僕は受け入れるよ。

 希望があれば、いつでも言って欲しい」


 希望かー。


 高校卒業してここに就職するのか。


 大学卒業してここに就職するのか。


 それとも他の場所に就職するのか。


 ……マスターと結婚するのか。


 私の前には、いくつもの可能性が広がっている。


 そのどれを選ぶのも、自分の責任だ。


 いつかはそれを選ばなきゃいけない日が来る。


 だけど今は、ただこの瞬間に心を込めて仕事をしていきたいな。


 高校生活という『宝石のような時間』。


 私はその時間を、どう過ごしていくんだろう?





 カランコロンとドアベルが鳴る。


 私はカウンター席から飛び降りて、エントランスに滑り込む。


 常連客の姿に対して、心からの笑顔で迎える。


「いらっしゃいませ!

 『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ!」



 ここは『宝石のような時間』を届ける幻の喫茶店。


 子供の間だけ夢を見れる、私たちのネバーランド。


 いつか大人になった時、ここから巣立っていかなきゃいけないかもしれない。


 それでも私は、『今』を大切にしていきたい。


 店内でコーヒーを楽しむお客さんの笑顔を見ながら、私たちはマスターと微笑みを交わし合った。

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宝石のような時間をどうぞ みつまめ つぼみ @mitsumame_tsubomi

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