第59話

 六月に入って最初の土曜日。


 私とお母さんは、浜崎のお爺さんの大きなリムジンに乗せられていた。


 テーブルの向こう側に座る浜崎のお爺さんは、穏やかに微笑んでる。


 マスターは私の隣に座って、手を握ってくれた。


「大丈夫、朝陽あさひは心配しないで」


「うん……」


 浜崎のお爺さんが楽しそうに告げる。


「そう不安がることはない。

 伊勢佐木いせざきさんの質問に答えるだけだ」


 私は小首をかしげた。


「だったら、うちで話せば済んだんじゃないですか?」


「ハハハ! 朝陽あさひさんは気にしないでくれ。

 きちんと誠意を見せようと、そう思ってるだけだからね」


 誠意? どういう意味かな?


 お母さんを見ると、ちょっと緊張した様子で浜崎のお爺さんを見つめていた。


「どう見せてくださるのでしょうか」


「まず、伊勢佐木いせざきさんの懸念を伺っておきたい。

 朝陽あさひさんの進路に不安がある。それでいいのかな?」


 お母さんが小さくうなずいた。


「喫茶店に就職なんて、不安定すぎます。

 小金井こがねいさんとの交際は認めましたが、就職まではまだ認められません」


「あの店は我が浜崎家が経営する店だ。

 潰れることはないよ。

 それでもまだ不安なのかな?」


 お母さんの目が迷うように泳いだ。


「浜崎さんが資産家なのは理解していますが。

 だからといって、朝陽あさひがつぶしの利かない道を選ぶのを、黙って見ていられません」


 浜崎のお爺さんがマスターに尋ねる。


辰巳たつみはどう思ってるんだ?」


 マスターが穏やかな声で応える。


朝陽あさひのお母さんと同じ意見だ。

 朝陽あさひはきちんと就職をして、自分の道を進んだ方がいいだろう」


 私は思わず声を上げる。


「でもそれじゃ、喫茶店が無くなっちゃうじゃない!」


 お母さんがきょとんとして私を見つめた。


「なんで朝陽あさひが居なくなると、お店がつぶれるの?」


 ――『私がかんなぎだから』なんて、どう説明するの?!


 私が応えに困っていると、浜崎のお爺さんがニコリと笑った。


「それを今から、確かめに行こう。

 実際に目で見るのが、一番早いだろう」


 何を見に行くんだろう……。


 私は不安を覚えながら、マスターの手を握り返していた。





****


 リムジンが潮原しおはら神社の前で止まった。


 浜崎のお爺さんが告げる。


「さぁ着いたよ。降りようか」


 困惑するお母さんと一緒に、みんなで車を降りる。


 お母さんは神社を見渡して告げる。


「古い神社ですね。ここが何か?」


 浜崎のお爺さんがお母さんにニヤリと告げる。


「まずは神社の中を見ていこう。

 ここは潮原しおはら神社。我が家が所有する場所だ」


 ゆっくりと歩きだすお爺さんのあとに、お母さんが続いて行く。


 私とマスターは手をつなぎながら、その後ろに続いた。


 境内には鉄パイプの山ができていた。


 最近、閉店後の神社を見てなかったからなぁ。


 いつの間にこんなことになってたんだろう?


「あの鉄パイプは何ですか?」


「月末くらいに、ここで小さな祭りをしようと思ってね。

 孝弘の発案だが、その準備を急ピッチで進めている。

 潮原しおはら竜神祭り――記録では、百五十年振りくらいだ」


 マスターが眉根を寄せて応える。


「源三、そんなことをして意味があるのか」


「少なくとも、『潮原しおはら竜神』の名を世間に触れ回ることができる。

 孝弘は『信仰が伴わなくても、知られることに意味がある』と言っていた。

 それは一面では真実だろう」


 本殿の前に来たお爺さんが、その扉を開いた。


「さぁ伊勢佐木いせざきさん、中に入ろうか」


 お母さんはおそるおそる、本田の中に入っていった。


「僕たちも行こうか」


 私も頷いて、マスターに連れられて本殿に足を踏み入れた。





****


 本殿の中は目立った汚れもなく、きれいに掃除されてるみたいだった。


 だけど雨漏りのあともあるし、柱も傷んでる。


 ふと思い出して、浜崎のお爺さんに尋ねる。


潮原しおはら竜神の名前は、忘れられてたんじゃないんですか?」


「そうだよ? だから百五十年前は『無名の神』としてお祭りが行われたらしい。

 やはりそれでは、力不足だったのだろうね」


 お母さんは本殿を見回して告げる。


「ただの廃墟にしか見えませんが、これが何か?」


「ここが辰巳たつみ――竜神を祀る神社だ。

 潮原しおはらに伝わる竜神伝説、それに登場する竜神が辰巳たつみだよ」


 きょとんとしたお母さんが、浜崎のお爺さんを見つめた。


「今、小金井こがねいさんの名前が聞こえましたけど、どういう意味ですか?」


辰巳たつみは竜神、神だ。

 ここの祀られている神が辰巳たつみだ、と言ったんだよ」


 お母さんが険しい顔で声を上げる。


「冗談はやめてください!

 私は朝陽あさひの進路の話を聞きに来たんです!

 これのどこが『誠意』なんですか!」


「ふむ、やはりそうなるね。

 やはり実際に目で見るのが一番だろう。

 では、神社の入り口に戻ろうか」


 本殿の外に出ていってしまった浜崎のお爺さんを、お母さんは困惑したように見つめて居た。


「何が言いたいの、いったい」


 私はおずおずとお母さんに告げる。


「お母さん、言う通りにしてみよう?」


 はぁ、と深いため息をついたお母さんは、渋々と本殿を出ていった。





****


 神社の入り口で本殿に向き直った浜崎のお爺さんが、お母さんに告げる。


伊勢佐木いせざきさん、あんたも良く見ておきなさい。

 ――辰巳たつみ、店を開けてくれないか」


 マスターが小さく息をついて応える。


「逆に混乱させるだけだとおもうがな。

 ――伊勢佐木いせざきさん、本殿を見ていていください」


 困惑したようなお母さんが、言われた通りに本殿を見つめた。


 私が本伝を見つめていると、急に濃い霧が現れて神社を包み込んでいった。


 その霧がサーっと晴れていくと、そこには見慣れた『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』の姿。


 へぇ~、開店っていつもこうやってるんだな。


 お母さんが驚いたように声を上げる。


「――なに?! 何が起こったの?!」


 浜崎のお爺さんが、お店に向かって歩きだした。


「続きは店内で話しましょうか。

 ――辰巳たつみ、頼むよ」


 小さく息をついたマスターが、小走りで喫茶店のドアに向かった。


 私はお母さんと一緒に、『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』に向かって歩きだした。





****


 カランコロンとドアベルが鳴り、私たちは店内に入っていった。


 マスターはカウンターの中でエプロンを付け、コーヒーを入れ始めてる。


 浜崎のお爺さんが奥のテーブルに歩いて行き「ここにしようか」と腰を下ろした。


 眉をひそめて店内を見回すお母さんに、私は告げる。


「ほらお母さん、こっちだよ」


 私はお母さんの手を引いて、浜崎のお爺さんが座るテーブルへと案内した。



 テーブルに着いたお母さんが、私に告げる。


「ここって、最初に来たお店で間違いないわよね」


「そうだよ? 私のバイト先。

 いつもは開店してるときしか私も来ないから、今日は少しびっくりしちゃった」


「――びっくりどころじゃないでしょ?!

 突然、神社が喫茶店になったのよ?!」


 私はお母さんの勢いに押されながら応える。


「だってここ、そういう場所だし。

 私はちゃんと最初から知ってたから、大丈夫」


「……私に黙ってたって言うの?」


 私はうなだれながら応える。


「だって、信じてもらえないと思ったし」


 マスターが人数分のコーヒーを持って、テーブルにやってきた。


「ともかく、これを飲んで落ち着いてください。

 こうなったらすべてお話しますから」



 それからマスターは、このお店の秘密をすべて、お母さんに打ち明けていった。

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