エピローグ 夏の始まり

 武山麗華たけやまれいか消息しょうそくふたたび確認されたのは、彼女が自宅じたくから消えて三日後のことだった。


 時刻じこく深夜しんや0時――居酒屋いざかや帰りの大学生が、聖蹟桜ヶ丘せいせきさくらがおか駅前のコンビニ近くにある廃品回収はいひんかいしゅう場所にて、ゴミぶくろもれていた彼女を発見した。


 彼女は非常ひじょう衰弱すいじゃくしていたが、発見後すぐに救急搬送きゅうきゅうはんそうされたため命に別条べつじょうはなかった。


 現在意識いしきを取り戻したため、自宅からの突然の失踪しっそうの理由とこの三日間どこでどうしていたかを警察けいさつは質問したが、たずねる度にひど錯乱さくらんするため捜査そうさ難航中なんこうちゅうである。


 発見時に彼女が所持しょじしていたスマートフォンに何らかの手がかりが残されていることを期待きたいしたい。


 ……

 …………

 ………………


「あれ? ねこっち?」

猫山ねこやまさん?」

「お、ゆーちゃみといっくんじゃん。二人もひめのお見舞みまいに来た感じ?」


 麗華の様子を見に来た帰り道、幽子と一郎は帝央ていおう大学病院の入り口にて友人の猫山寧々子ねねこと出会った。


「まあ、そんなとこ」

「どうでもいいけど俺ときみって今日で会ったの三回目だよな? 実質じっしつ二時間くらいしか一緒いっしょの時間をごしていないわけだが、いっくん呼ばわりはどうなんだろう?」


こまけえことは良いんだよ! ほら、よく言うでしょ? 友情は時間の長さに関係ナッシングって。一緒に飯食って酒飲んだなかじゃん。もう友達通りして親友マブダチだろコノヤロー♪」


 ギャルの親友認定にんてい早いな――と一郎は思った。

 幽子の友達だし、裏表のない素直すなおな子だし、まあいいか。


「もう行ってきたんでしょ? 姫の様子どうだった?」

「まあ、何というか……」


「行かない方がいいかも……」

「え? マ? そんなひどいの?」


 無言で幽子が首肯しゅこうする。

 目はくぼみ、はだはガサガサ。


 極度きょくど栄養失調えいようしっちょうで全身はほそり、肋骨あばらぼねがくっきりとかび上がっている。


 何があったのか分からないが、恐怖きょうふかみの半分が白髪しらがじりに。

 その上全身に歯形はがたのようなあざきざまれ、かつての容姿ようしは見るかげもない。


「今は鎮静剤ちんせいざいねむっているけど、きている間はずっと錯乱さくらんしているみたい」

「泣いてあやまりながら失禁しっきんかえしているとか何とか」


「そんなにかー……じゃあお見舞いとかしない方がいい感じっぽいなあ。退院後を考えるとそんな姿見られたくないだろうし」


 退院――正直できるかはあやしいと思う。

 幽子の見立みたてでは、彼女の心は半分ほど食われていた。


 心が元通りになるまでには長い時間がかかるだろう。

 また、元に戻ったとしても、もう普通ふつうの生活が送れないことは確定かくていしている。


 今回の失踪事件を調べる過程かていで、彼女のしてきた動物への虐待ぎゃくたいが明るみに出たのだ。

 こちらのけんも警察が調べているので、外部にれるのは時間の問題だろう。


 犬の血で湯浴ゆあみする女子大生。

 現代のエリザベート=バートリー夫人。


 そんな見出しでマスコミがさわぎ立てるのはそう遠くない。

 彼女の両親もこの件に関わっているため、実家の方も大炎上待ったなし。


 恐怖に心をむしばまれたままの入院生活と、退院後に一生石を投げられるであろう生活。

 どちらにしても彼女に待っている今後の人生は地獄じごく以外にない。


「やっぱあたしこのまま帰るわ。二人とも車で来てるんでしょ? 乗せてってよ」

「いいけど、ちょっとり道するぞ?」


「どこに?」

「武山さんの住んでた方の家。五匹ほど犬がいるのよ」

「彼女がああなっちゃったから世話せわしているんだ」


 ……

 …………

 ………………


 武山邸に到着とうちゃくした三人は裏庭のドッグランへ向かった。

 五匹の犬はのびのびとあそんでいたが、三人の姿を見るなりおびえて小屋の中に逃げてしまう。


 しかし、この数日世話をしたことで幽子と一郎のにおいをおぼえたのか、おそる恐るだが姿を見せてくれるようになり始めている。


 もうしばらく人間にれてくれたら、信用できるブリーダーさんを探してたくすのがいいだろう。

 つらい目に合ってきた犬たちだから、今度こそ幸せになってしい。


「あぁ~♪ かわいい♪ うちの子にした~い♪」

「猫って名前に入っているのに犬が好きなの?」


「うっせえな(笑)。犬も猫もかわいいからいいんだよ!」

「そんなかわいい存在にめっちゃ怯えて距離きょり取られてるんだが」


「うぉぉぉぉ……マジでショック! こらーっ! お前らあたしにびびるな! 仲良くしろーっ!」


 寧々子が犬たちを追いかけ回す。

 犬たちのストレスにならないかちょっと心配だが、まあ大丈夫だろう。


 犬は他者の感情にさとい動物だ。

 寧々子に敵意てきいがないことはそのうちわかる。


 犬たちのことは寧々子にまかせ、二人はその場をはなれて犬たちのはかへ向かう。

 二人でしゃがんで手を合わせた後、一郎は父親に電話をかけた。


 麗華のやったことは近いうちに世間せけんに広まり、この屋敷やしきと土地はワケあり物件として売り出されるのは間違いない。

 その時に安く購入こうにゅうしておけば、後々実家の利益りえきになる。


 何より実家の物にしておけば、その間はここで眠る犬たちが静かにらせるだろう。

 ワケあり物件が適正相場てきせいそうばに戻るには、長い時間が必要だから。


 ――ワンッ。


 そろそろ帰ろう――と、影から出てきたロクがえた。

 二人はロクをひとですると立ち上がり、一礼してその場を後にする。


「なあ、幽子」

「うん?」


「今回の件、多分ロクも……」

「私もそう思う。見つけた場所が場所だったから……」


「俺、武山さんを許せねえよ。正直、あんなになって可哀想かわいそうだとか微塵みじんも思ってない。ざまあみろっていう気持ちしかかないんだ」


 彼女のやったことは動物虐待ぎゃくたい、命への冒涜ぼうとくだ。

 今あんなことになっているのは当然のむくいだと思う。


 でも、どんな罪であれあんな姿を見てしまったら、まともな人間ならば多少なりとも同情どうじょうねんいだくのが普通だと思う。


 自分にはそれがない。

 まったくそんな気持ちが浮かばないのだ。


「自分じゃまともだと思っていたけど最近までかるこじらせてたし、俺……人としてどこかこわれているのかな?」


「別にそれでもいいんじゃない?」


 わりと重い質問にも関わらず、幽子は実にあっけらかんとそう答えた。

 どうでもいい――と。


「社会生活に問題なければ壊れてようがそうでなかろうが関係ないわ。人間の心なんてだいたいどこか大なり小なり壊れてるもんよ。子どものころならともかく、大人になるにつれ社会にまれて、精神すりらしていくわけだし、どこかけるのが普通でしょ」


「……そんなもんか」

「ええ、そんなもんよ。だからその程度ていどの壊れ方で気にむ必要は一切いっさいなーし! っていうか、一郎くんの壊れ具合ぐあいなんてせいぜいこんなもんだし」


 そこらに落ちていた木のえだひろって、両手でペキンとげた。


「ぶっちゃけ私なんてこんなもんじゃないから。悪霊がんでるワケあり物件ぶっけん大好きで、ストレス解消かいしょうのためにイジメいて精神的せいしんてきめるのが趣味しゅみの女よ、私? 壊れ具合をたとえたら只今ただいま絶賛ぜっさん半壊中はんかいちゅうの武山さん、もしくはそのご家庭かていレベルだもん。やべー女だと思わない? やばいくらいぶっ壊れているわよ?」


「自分がやべー女だという自覚じかくはあったんだな」

「もちろん。悪霊イジメるの大好きとかやべー女以外の何者でもないでしょ。でも、私はそのやべー部分と上手く付き合えているもん。だから、全く気にしていないわ」


 むねって幽子は言う。

 その言葉に一郎は心が軽くなった。


「さてと、もう少し歩くペース上げよっか。話しているうちにロクの姿見えなくなっちゃったし」

「そうだな。早く追いついて影の中に入れないと猫山さんに見つかる」


「いやいや、ねこっちにロクは見えないでしょ」

「わかんないぞ? 猫って苗字みょうじに入っているから霊感れいかん強そうなイメージあるし」


「もし見つかったら何言われるかな?」

「あたしも欲しい一択いったくじゃないか? 幽霊だからって差別さべつしなさそうだし」


「そしたらあげる?」

「あげるわけないだろ。ロクは俺んだぞ。成仏じょうぶつするまで面倒めんどう見るさ」


 そして面倒を見ている間は、できるだけ幸せな時間を作りたいと思っている。

 その時間を作るためには、自分一人では役不足やくぶそくだとも。


「幽子」

「何?」


 ならんで歩く幽子に、一郎は唐突とうとつに話しかける。


「好きだ。俺と付き合ってくれ」

「うん、いいよ」


 五月の下旬げじゅん――春の終わりに一組のワケありカップルが誕生たんじょうした。

 今年はきっと『熱い』夏になる。

 つないだ手の間に生まれたあせが、一郎にそう予感させた。

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旧版:ワケありマニアの幽子さん 塀流 通留 @UzukuSouhei

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