第42話 罪と罰

「ごめんね、せっかく話を聞いてくれたのに……」

「本当にすまない。俺達おれたち信用しんようしてくれたのに……」


 武山邸たけやまてい裏庭うらにわに作った犬たちのはかの前で、二人は深々ふかぶかと頭を下げた。


 黄昏時たそがれどきの夕日にらされた墓標ぼひょうから光が生まれ、徐々じょじょに巨大なけものの形をとる。


 例の双頭そうとうの犬だ。

 しかし、犬の色は黒ではなく白。


 狂暴きょうぼうさはなりをひそめ、おだやかかつやさしげな表情ひょうじょうで二人を見下ろしている。

 いや、正確せいかくには二人ではなく――二人と一匹。


 説得せっとくの声もとどかないほどうらみのかたまりだったこの霊が、これほどまで沈静化ちんせいかしたのは二人がれている幽霊犬ゆうれいけんのロクが理由だ。


 数時間前――、


 ……

 …………

 ………………


 ――ワンッ! ワンワンッ!


「ロク!?」


 幽子が偽神剣ぎしんけんりかかる直前、突然とつぜんロクが飛び出し犬と幽子の間にって入った。


 ロクは双方そうほうに軽く視線しせんを送ると、その場で大きくいなないた。


 ――ワォォォォーン!


 ロクの声を聞いた双頭の犬はしばらくの間ロクとにらみ合う。

 幽子と一郎は固唾かたずを飲んでその光景を見守る。


 数分ほど両者は睨み合った後、双頭の犬がその場にすわった。


『お座り』のポーズを取った双頭の犬からはもう殺気さっきは感じない。

 体毛も黒から白へと変化し、怒りでえていたひとみの中に理性りせいの光が宿やどっている。


 ――同じ境遇きょうぐうの彼にめんじて、

 ――話を聞こうじゃないか。


 二人の心に直接そんな言葉がとどいた。

 犬が耳をしてくれる気になった後は、トントン拍子びょうしに話が進む。


 ――ひどころされ方をしてうらむのはわかるけど、それはあなたのためにならない。

 ――完全に悪霊化あくりょうかしてしまうといずれ誰かにはらわれる。


 ――そうなった場合、天国にも地獄にも行くことなくたましい消滅しょうめつしてしまう。

 ――殺された犬たちの亡骸なきがらをちゃんととむらった上で、加害者かがいしゃである麗華れいかにもきちんと謝罪しゃざいさせる。


 ――二度とこのようなことをしないよう約束やくそくさせる。

 ――だからこの場はいかりをおさめ、手を引いてもらえないだろうか?


 二人を信用した双頭の犬はコクリとうなずきその姿すがたを消した。

 説得による浄霊じょうれいが成功した二人は双頭の犬との約束通り、麗華の手によって殺された犬たちの墓を作り、自分たちのできる範囲はんいねんごろに弔った。


 ………………

 …………

 ……


 そして現在――、


 再び現れた双頭の犬は怒りにくるうことなく穏やかな表情のまま、二人と一匹を見下ろしている。

 約束はいまたされてはいないというのに。


 ――もういい。

 ――もう十分。


 二人の心にそんな声が届いた。

 ハッとした二人が顔を上げると、双頭の犬の姿はどこにも見当みあたらなかった。


「幽子、あの犬はどこに?」

成仏じょうぶつしてくれたみたい。どこにもあの子の気配けはいを感じないわ」


「そっか、良かった」

「私たちにできることはもうないわ。帰りましょう」

「そうだな。ロク、帰ろう」


 ――ワンッ。


 二人と一匹は車に乗り、武山邸を後にした。

 自宅まで残り半分となったタイミングで、一郎はある疑問ぎもんを口にする。


「そういえば、何であの犬は成仏したんだろう?」


 自分たちは全ての約束を守ることができなかった。

 墓をてて弔いはしたが、麗華に自分のつみみとめさせて謝らせることはできなかったのに。


「八割は守ったから、まあいいやって思ってくれたのかな?」

「違うわ」


「え?」

「霊たち幽世かくりよ存在そんざいにとって約束は絶対だもの。お話の中に出てくる悪魔とか、やたらと契約けいやく五月蠅うるさいでしょ?」


「ああ、そうだな。じゃあ何で?」

「多分、確信があるんでしょうね」


「確信? 何の?」

「自分がやらなくても、いずれ誰かがやるだろうって」


 ……

 …………

 ………………


『こんにちは~♪ 美容系びようけいMETUBERのREIKAです♪ みなさん、はだうるおってますか?』


 ――ぷるぷるだよ~♪

 ――REIKAブランドの商品マジ神。

 ――あれ? REIKA撮影さつえい場所いつもとちがくない?


『ええ、そうなんです。実は実家から配信してるんですよ』


 ――そうなんだ。

 ――どうして?


『んー、プライベートなことなのでそこは秘密ひみつで♪』


 ――えー、知りたいよ~。

 ――REIKAのプライベートが知りたい。


 ――プライベートじゃなくてもいい。

 ――何か教えて?

 ――新しい情報カモン♪


『え~? じゃあ、そうですね~、この前私が企画きかくした新しい化粧品けしょうひんがいよいよ商品化するんです』


 ――え? マジ?

 ――超テンション上がるぅ~♪


『今日試供品しきょうひんが届いたので、早速さっそく今から使いますよ! よーく見ててくださいね?』


 ――ピンクのクリーム。かあいい♪

 ――うん、かあいい。

 ――今入ってきた犬もかあいい♪


『え? 犬?』


 視聴者しちょうしゃからの犬という単語に麗華は反応はんのうした。

 しかし、部屋へやの中には犬などいない。


 ――REIKA犬かわいいね♪

 ――いっぱいいるけど何匹ってるの?

 ――さすが実家が太い。


『い、いっぱい……? うちは犬なんて飼ってませんよ!?』


 ――え? またまた~(笑)

 ――じゃあそこの犬何?


『だ、だからどこにそんな犬……!』


 ――だからそこだよ。

 ――REIKA後ろーっ!

 ――あ、何かめっちゃデカい犬が入ってきた。


『え? え?』


 ――っていうかこれマジで犬なの?

 ――ありえんくらいデカい。

 ――何か合体してね?


『あ、あぁ……』


 ようやく麗華にも犬の姿を見ることができた。

 大きさは二メートルほど。

 実在じつざいしていたら、おそらく百キロはえているであろう体重。


 その半透明はんとうめいの巨大な犬は怒りを瞳にたずさえて、ゆっくりと麗華へとせまっている。

 麗華は一瞬いっしゅんでパニックになった。


「キャアアアアアアァァァァァァッ!」


 ――え? これ映像えいぞうじゃないの?

 ――放送事故?


 ――んなわけねーだろ。

 ――こんなデカい犬がいるか。

 ――でもREIKAガチでびびってない?


「こ、来ないで! 来ないで! 来るな! 来るんじゃねえ!」


 手当たり次第しだいに物を投げつける麗華だったが、全て素通すどおりしてかべにぶつかる。

 ね返った一部のものが配信機材きざいにぶつかり、彼女の配信はここで終了となった。


 さらに何かを投げつけようと近くにあったものを手に取る麗華。

 それがスマホだと気付きづいた彼女は、即座そくざに幽子に電話をかけた。

 ツーコールもしないうちに電話がつながる。


『もしもし? どうしたの?』

『どうしたじゃねえ! な、何でまた幽霊が出るの!? あんた除霊じょれいしたんでしょ!?』


 あせりから言葉遣ことばづかいが非常ひじょうきたない。

 その様子ようすからどんな状況じょうきょう理解りかいした幽子だったが、淡々たんたんとした受け答えをくずさない。


 思ったよりも早かったな。

 幽子は心の中でそう思いつつ、麗華からの質問しつもんに答える。


『私は除霊なんてしてないわ。私がしたのは除霊じゃなくて浄霊じょうれい

『浄、霊……?』


素人しろうとじゃ違いがわかんないだろうから簡単かんたんに言うと、除霊は霊をはらうことで、浄霊は霊をきよめること。祓うと霊はいなくなるけど、清めるだけならそこに残るわ』


『はぁ!? な、何で祓わなかったわけ!?』

経緯けいいが経緯だったからね』


 おそわれる前に何でけて出たのか、状況を理解りかいできていた。

 あんなむごい殺され方をして、弔いもされずにゴミとしてあつかわれた犬たちが、麗華を恨んで化けて出るのは当たり前のことだ。


『私は何のつみもない人をくるしめる悪霊あくりょう人外じんがいを一方的にボコして、精神的せいしんてきめて、自分の方から『殺してください』と懇願こんがんさせた後に、私への感謝かんしゃべながら消滅しょうめつさせることは大好きだけど、同情どうじょう余地よちがあるなら便宜べんぎはかるわ』


『そ、そんな……』

『ましてや、今回みたいな美容のためとかいうクソくだらない上に、自分勝手な理由で命をうばわれた可哀想かわいそうな犬たちだもの。最終手段として祓おうとは思っていたけど、できれば祓いたくなかった。当然ものすごく怒っていたけど、結果的けっかてきに説得におうじてくれて良かったわ。私こう見えて動物好きだし』


 悪をなぐったりったり、ストレス解消かいしょうのために斬りきざんだり、徹底的てっていてきにイジメ倒すのは大好きだけど、小動物を殴る趣味しゅみは無いの――と幽子。


『説得に応じたって今言ったわね!? じゃあ、何で今目の前にいんのよ!?』

『多分別の犬なんでしょ』


 武山邸をらした双頭の犬の霊はきちんと浄化じょうかされ成仏した。


『あなたを襲った犬の霊は間違まちがいなく私の目の前で成仏したわ。その場に一郎くんもいたから見間違いということはない。新たに霊に襲われたのだとしたら、それはあの犬とは別の霊よ』


『別の……霊?』

『そう。心当たりない……わけないか。エリザベート=バートリー夫人ふじんリスペクトだもんね』


 犬の血で湯浴ゆあみしたり。

 犬の肉を加工かこうして食べたり。


『武山さん、あなた私たちにペットと家畜かちくの違いがわからないって言ったわよね?』

『え、ええ……』


『ペットは人間と共生きょうせいするように進化してきた動物、家畜は利用りようできるように進化させられてきた動物よ』


 犬と猫、牛と豚の違いはそこだ。

 同じ動物でも進化の過程かていが違うのだ。


『共にらせるように進化してきた動物が、そうでない扱いをされた。そうすると魂のり方にエラーが出てしまい悪霊化しやすいの。昔話で犬や猫がたたることはあっても、牛や豚が祟らないのはそういうことってわけ』


『じゃ、じゃあ、私がしたことは……』

『エラー出まくるに決まってるでしょ。レトロゲームで電源でんげんを入れたままソフトを力まかせに引っこくようなことをやっているもの』


 そんなことをり返したら当然こわれる。

 壊れた結果けっか現状げんじょうだと幽子は説明する。


『新しく犬の幽霊が出たってことは、あんたまたやったんでしょ?』

『や、やってない! あなたたちに言われてからはもう!』


『本当に? よーく思い出して?』

『本当にやってない! 神様にちかってもいい――』


 そう口にした時、麗華は視界しかいにある物をらえた。

 今日の配信で宣伝せんでんしようと思っていた例の試供品だ。


『こ、こここここここ…………!』


 これだ、間違いない。

 豚の血やあぶらを使った医薬品いやくひんがあることを知り、犬の血と脂を使って研究していた化粧品けしょうひん


 保健所ほけんじょから犬を引き取れば材料の一部をタダで確保かくほできると両親にプレゼンした結果生まれた新商品。

 近いうちに発売しようとしていたこれが、こんな事態じたいを引き起こすなんて。


『心当たり、あったみたいね』

『た、たたたたたたた……助けて物部さん!』


見捨みすてるのも寝覚ねざめ悪いし、そうしてあげたいところだけど無理よ』

『どうして!?』


『だって私も一郎くんも、あなたの実家の場所を知らないもの』

『あ……』


『そもそも今から行っても間に合いそうなの? 車で何十分かはかかるんじゃない?』

『そ、それは……それはぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!』


『……いて。私じゃ今のあなたを助けられない。助かるための方法を教えるから自分で何とかするのよ』

『は、はい……!』


 おそろしいけど仕方しかたがない。

 自分が助かる方法はもうそれしかないのだから。

 麗華は困難こんなんに立ち向かうための覚悟かくごを決める。


『そ、それでどうすれば……!?』

『新しい犬の幽霊、その子たちの肉体をちゃんととむらうの』


『………………はい?』

『だから! 新しい幽霊たちの肉体を、一つ一つお墓を作ってきちんと弔ってあげるの! あなた自身が心をめてあやまりながらね! 私たちが今日やったみたいに!』


 幽子の言葉で一瞬で覚悟がくだった。

 そんなことは不可能ふかのうだ。


 何故なぜなら、血を抜いた犬の身体からだは生ゴミとしてすでに処分済しょぶんずみだからだ。

 虐待ぎゃくたいうたがわれないよう、街中のゴミ回収場所に分散遺棄ぶんさんいきしている。


 今から全て回収して弔うなど物理的に不可能。

 つまり――み。

 つみ――、


『そ、そそそそそそ、そんなの無理! 今すぐ来て! 助けて! 私を助けろ物部幽子ォーッ!』


『だから無理って言ってるでしょ! あんた自身でやらなきゃ――』

『無理って言ってるだろ! いいから来い! 金なら払う! いくらでも払うから助け――』


 ――バキャッ。


 麗華のスマホが砕け散った。

 目の前まで迫った巨大な犬の霊が、目にも止まらない速さで『お手』をしたからだ。


 超高速のお手は麗華の右腕みぎうでを折りたたむかのようにゆかたたきつけた。


「あぁーーっ!? いたい! 痛いよぉーっ!? 私の、私の腕! 腕ぇーっ!」


 軟体なんたい生物のようになった右腕をかかえてのたうちまわる麗華を見下みおろし、犬はニヤリと満足そうに笑った。

 そしてゆっくりと、人間を丸呑まるのみできそうなほど大きな口を開ける。


「ひっ…………」


 口の中には無数のけものの目。

 麗華は失禁しっきんした。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……! 私が悪かったです! 反省はんせいしました! 二度とこんなことはしません! 遺棄いきされた肉体は何としても回収して弔います! 私の悪行あくぎょうすべ暴露ばくろしその罪を背負せおいます! だから……だからお願い! 命だけは助けて……!」


 ――いいよ。

 ――命だけは助けてあげる。


「あ……」


 麗華の心の中に霊の声が届いた。

 心なしか巨大な犬も、口の中の無数の目も笑っているように見える。


 よかった、助かる。

 麗華は安堵あんどした。


 ――命だけは。


「え?」


 バクリ――と巨大な犬の霊が麗華を丸呑みにした。

 麗華は悲鳴ひめいを上げることなくこの世から消えてしまった。

 巨大な犬の霊の復讐ふくしゅうは終わり、風景ふうけいけ込むようにやがて消えた。

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