1-8 ギルリアンの過ち
テルヒコの寝室として用意された城の空き部屋。一人用としては広すぎる部屋に、貴族用ですか?と聞きたくなる程豪華な寝具。ふわっふわの上質な羽毛毛布と程よい硬さの枕。寝具の傍には、なにやら物凄くいい香りがするお香のようなものが常時炊かれている。上質な睡眠を与えてくれるそれらを、テルヒコはとても気に入っていた。石造りで質素な見てくれの城だからあまり期待はしていなかったが、腐っても王の住居と言う訳か、とテルヒコは変な納得の仕方をしていた。
そしてそんな最高の環境で提供される、上質な睡眠を妨げたのは、朝でもその馬鹿元気を失わないゼリュスの声だった。
「アマギさん、おっはようございまーす!! あれ!? まだ寝てるんですか!? もうとっくに太陽は私達の真上を照らしてますよ!?」
「子供はどんな時でも元気なんだな」
ぽそりと呟き、まだ半分夢の中の頭を叩く。
「これ私の仕事部屋に落ちていたみたいですよ。シーラから今朝受け取ったんですけど」
右拳を握りしめたゼリュスが、テルヒコの元へと走ってくる。シーラ、と言うのはこの城の女中の名前だ。城には通いの女中が何人か居るらしいが、テルヒコは未だに誰とも顔を合わせた事がない。
「これ、アマギさんの物ですよね。私は覚えていますよ。この世界へ来た時に、この綺麗な玉を持ちながら、神秘に包まれた私を光悦とした表情で見つめるアマギさんの顔を。私の余りにも美しい姿を見て、思わずこの玉を手放してしまったことも知っているのです」
ぐたぐたと妄想めいた記憶を語りながら、ずい、とテルヒコの顔の前に拳を差し出すゼリュス。寝起きのテルヒコはゼリュスに突っ込む事もせず、ゼリュスの拳がゆっくりと開かれるのを見ていた。
開かれた手の中には、小さな銀玉。
テルヒコはそれを受け取ると
「ああ、パチンコ玉か。そういやこれ拾おうとした時にここへ呼ばれたんだっけ」
「パチンコダマ?」
首を傾げるゼリュスに、テルヒコは右手で捻るような動きをしながら
「俺の世界の遊びなんだけどさ。この玉を飛ばして真ん中のアタッカーに……って言っても分かんないよな。簡単に言うとギャンブル、賭け事に使うものだよ。これは俺の生活の一部だった」
銀玉を見つめてテルヒコが笑う。朝から晩まで打ち込んでいた遊技機が懐かしい。旧友を見るような目をするテルヒコの横に、ゼリュスが腰を下ろす。揺れた灰色の髪の毛から、いい匂いがふわりと鼻をくすぐった。手の中で銀玉を転がすテルヒコに、ゼリュスが問う。
「アマギさんは賭け事がお好きなんですか?」
「んー、そうだな、普通に面白いし、好きだよ。それやってる時は喜んだり悔しかったり、感情が揺さぶられるから、俺ちゃんと生きてるなーって実感出来るし」
「それならば私とも賭け事をしましょう」
ゼリュスが両手を叩き、提案する。また変な事に巻き込まれるんじゃないかと、テルヒコは信用ならない顔をする。
「断る」
「えっ、何でですか?賭け事がお好きなのでしょう?」
「なんか悪い予感する。お前ってちょっと疫病神気質だし」
「……ああ、なるほど、アマギさんは私に負けるのが怖いんですね?」
「はぁ? なんでそうなるんだよ。本当にお前ってあんぽんたんだな」
「だってそうじゃないですか。吹っ掛けられた勝負を受けずに逃げるなんて! 根性無しー! 負け犬! アマギさんのことは親しみを込めて今日からチキンさんとお呼びしますね」
「はぁあああ? チキンじゃねぇし、闘牛だし! そこまで言っといて吠え面かくゼリュスさんの顔が見れるの楽しみだなぁ? 早く見たいなぁ? 賭けの内容はどうするぅ? 言っとくが生憎俺は一文ナシだぞ、舐めんなよ!」
ゼリュスの勝ち誇った顔を見て、見えすいた挑発に乗ってしまった事をテルヒコは後悔した。
「賭けの内容はアマギさんが元の世界へ帰るかどうかにしましょう」
賭けの内容を聞いて、なんだそんな事かとテルヒコは胸を撫で下ろす。てっきりとんでもない事を言い出すんじゃないかと内心ヒヤヒヤだった。ゼリュスは頭がイカれてるので、何を言い出すか分かったもんじゃないのだ。
「私はアマギさんがこの国を気に入って元の世界に帰りたくないと、私に泣いて縋り付く方に賭けます」
「なんだよそれ、あり得ないな。この国に来た初日、俺は鹿に蹴られてるんだぞ。あの恨みはまだ忘れてねぇからな。俺は絶対に元の世界へ帰る方に賭ける」
ゼリュスが「しまった」という顔をする。異世界初日の珍事件を、テルヒコがまだ許していないとは夢にも思わなかったらしい。テルヒコは終わり良ければ全てよし、とはならない男なのだ。自分がされた事はいつまでも忘れないし、いつまでも根に持つ男。
「あれはなんやかんやでいい感じに終わった事じゃないですか! まだ怒ってるんですか!?」
「怒ってはないけど、あの恨みが消える事はないって事だよ」
「アマギさん大人気ないですよ!」
「恨みに大人も子供も関係ねぇよ」
言い返せなくなったゼリュスが、唇を尖らせる。恐ろしさのカケラも無い顔でテルヒコを睨みつけ、その手から銀玉を強奪する。
「これは賭けに使うものなんですよね。これを賭け金代わりに使いましょう。アマギさんがこの国から帰りたくないって言ったら返します」
「だからそれはマジであり得ない。そんなもんじゃなくて俺の臓器全部賭けてもいい」
「臓器はもっと大事にしないとだめなんですよっ!?」
軽はずみな言動をするテルヒコにゼリュスが驚きからか、激しく崩れた表情で突っ込む。
「うわ、すげーブス」
素直なテルヒコの感想に、ゼリュスは自分の頭をテルヒコの胸の辺りへと叩きつけた。俗にいう頭突きだ。カハ、と短い息を漏らしテルヒコが胸を抑える。軽い頭のくせに、なかなかの攻撃力だった。
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城で朝食を食べた後、テルヒコ達は街の中心にある広場に来ていた。昨日バートンの店に行く時に横切った広場とは別の、それよりも大きい広場だ。アルハワの店がある中央通りに繋がっているとゼリュスは言った。その広場の端の方には大きな噴水があり、その中央にある石像の口、目、鼻、耳、ありとあらゆる穴から水が出ている。
「これが私が創りし最強の噴水、その名もゼウス噴水です。どうですか、凄くないですか? この国の名所のひとつだと自負していますよ」
ドヤ顔で胸を張るゼリュス。本日のギルリアン好き好き大作戦(ゼリュス命名)の舞台は城から歩いて三十分程の距離にあるこの広場。名前はオルビス広場といい、綺麗に整備された花壇が取り囲む、大きな公園のような場所だった。国民の憩いの場になっているらしいそこは、家族連れが多い。しかし若いカップルやお年寄り達の集会にも使われているようで、広場内は大勢の人と活気に溢れている。
子供達のはしゃぐ声を背中に、自信満々に噴水を紹介するゼリュス。全ての穴から水を噴き出す滑稽な石像を見たテルヒコは「うわ」と引き気味な声を漏らした。
「……気持ち悪すぎ。そういえばお前変な王冠も創ってたよな。あと全然似てない俺の石像とか。創造の神様のくせに、デザインが壊滅的すぎる。こんなもん生みだれさて、創造の力は恥ずかしくてきっと泣いてるよ。可哀想に」
「この芸術の良さがわからないなんて、アマギさんは本当に残念な方ですね」
「いやマジでお前にだけは言われたくない。絶対国民全員が、皆の広場に珍妙なもの創りやがってふざけんなって思ってる」
「そんなことないですもん! じゃあ私今から広場にいる人全員に調書とってきますからね! アマギさんは負け顔を晒す練習でもしててください!」
本気で全員に聞いて回りそうなゼリュスの服をテルヒコが掴んで、物理的にその動きを止めていると
「お兄ちゃん、
小さな馬車を引いた男が、広場の外からテルヒコ達へと声をかけてきた。この国の移動手段は殆どが馬車らしい。例外もあるようだが、テルヒコは未だ馬車以外は見た事がない。
「セイジュウ?」
聞き馴染みのない言葉に、テルヒコはゼリュスを掴んで引っ張っていた手を離す。引っ張られていた服を急に離されて、ゼリュスが勢いよく地面へと頭を埋める。派手な音を立てて倒れたゼリュスを無視して、テルヒコは男の馬車へと近づいて行った。「一個、五百ラクマだよ」と笑いかける綺麗な宝石の瞳、声をかけた男はアステリアだった。屋内でしか見た事が無かった宝石の瞳は、太陽の光を受ける事でさらにその輝きが増して、神聖なもののように思える。息をするのも忘れて、テルヒコは黙ってその輝きを見続けた。すると、そんなテルヒコを男はギロリと睨みつける。
「あんだよ、あんたもしかしてアステリア差別派か? アステリアが作ったもんは食えねぇってか?」
自分の顔をじろじろと見ながら、何も言葉を発さないテルヒコに対して、男が眉を吊り上げる。その声は明らかな憤怒と軽蔑が込められていた。突然の態度の変化に慌てるテルヒコとそれを睨みつける男の間に、遅れてやってきたゼリュスが割って入る。
「そんなことはありません。いただきますよ、モーメンタムさん」
「……んん? もしかしてあんた……王様じゃねぇか!? 小さくなってるって噂では聞いてたけど、本当だったんだなぁ」
二十七歳の大人がいきなり子供の姿になっていても、それをすんなりと受け入れる男。昨日の人達も違和感無く受け入れてた事を思い出して、テルヒコは改めてこの国は不思議な事象に慣れている異世界なんだなと思い知る。ゼリュスと何度か言葉を交わした後、男はテルヒコを見て小さく頭を下げた。
「王様の連れだったとはな。変なこと言ってごめんよ、お兄ちゃん。金は受けとらねぇ、持っていきな」
ほらよ、と男が何かを投げつける。テルヒコが両手で受け取ったそれは、赤茶色をした太い木の板のような物がたくさん入った袋だった。
「なんだこれ。木片か?」
「この国の北東にある
「それは褒めすぎですよ、王様。それに俺らがセレニア以外でも商売出来てるのは王様のおかげだから。本当に感謝してますよ」
男がテルヒコに渡したのと同じ袋をゼリュスにも渡そうとする。
「そんな、悪いですよ、モーメンタムさん」
謙遜しながらもしっかりと肉を受け取る、抜け目のない王様。口の端には涎が垂れている。王様のくせに卑しいやつだな、とテルヒコの中でゼリュスの評価がまた一つ下がった。
「俺達のために頑張ってくれてるあんたには、感謝してもしきれねーんだ。こんな物でいいならいくらでも持っていってくれ」
そう言って嬉しそうに笑う男から、干し肉の袋をもう一つ受け取るゼリュス。全部で三つの袋を貰ったテルヒコ達は男に別れを告げて、広場内のベンチに腰掛ける。
「お前は遠慮とかもう少し覚えた方がいいと思うぞ。あ、ウマッ。んやだ、なぁにこれ、めちゃくちゃジューシィ」
ゼリュスに忠告しながら干し肉を口に入れたテルヒコは、その美味しさに思わずオネェ口調になった。噛むたびにパチパチと旨味が弾けて口の中に広がる。本当に干し肉なのかと疑いたくなるほどの柔らかさ、厚みもあって一枚だけでも十分な食べ応えがある。
「ふふん、好意は素直に受け取るのが、私の信条なのですよ。あ、それと二袋は私のものですからね」
テルヒコに取られまいと、懐に干し肉の袋を隠すゼリュス。食い意地の張った王様だ。
「がめつい女、卑しん坊め。それにしてもアステリアって本当に皆、目が宝石なんだな。……あ、それとあの人アステリア差別とか言ってたけど、あれってどういう意味だ?」
テルヒコの問いかけに、干し肉を摘むゼリュスが手を止め、その金色の瞳がテルヒコへと向けられた。宝石には劣るが、この瞳もなかなか綺麗だとテルヒコは密かに思っている。口が裂けてもそんな事直接言わないけれど。そんな綺麗な飴細工のような瞳に暗い影を落として、ゼリュスは言葉を紡いだ。
「それについて知るのなら、昔の話をしなければなりません。この国が犯した、決して許されない過ちを」
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