1-9 テオスシンとアステリア



「アマギさんは、天恵という力についてどう思いますか」

 昔の話をする、と重たげな空気を出していたゼリュスが、いつもの朗らかさを取り戻して問いかける。テルヒコはそれに少し戸惑いながら


「んー、まぁ、あったら便利だよな。特別感みたいなのがあるし、俺も使えるなら使ってみたいなって思う」


 素直な気持ちを言ったテルヒコの言葉に、ゼリュスが頷いた。


「そうです、天恵というのはとても特別な存在なのです。神に選ばれた人、昔はそう呼ばれていました。この国には天恵なれば孝行終わりという言葉があるくらいです。天恵を授かれば、どんな子でもそれだけで親を喜ばせる、という意味です。テオスシンにとっての天恵者とは、どんな宝物よりも価値のあるものなのです。その天恵を、神の血を持たないアステリアの人達は授かれません。天恵者になれないアステリアは、神に選ばれない下等な種族であると忌み嫌われた時代があったのです」


 膝の上で両手を組むゼリュス。先程のように陽気に笑うゼリュスはそこにはいなかった。俯いて地面を見つめたまま、ゼリュスは言葉を続ける。


「そしてアステリアだけではなく、混血も天恵を授かる事が出来ません」


「混血? テオスシンとアステリアの血を持つって事か?」


 テルヒコの言葉に、ゼリュスがやっと顔を上げ、いつもの間抜けな笑顔ではない、哀しさを混ぜた微笑みでテルヒコに笑いかけた。


「アマギさん賢いですね。そうなんです、テオスシンとアステリアの間に生まれた子はふたつの血を持った混血になるのです。そして体に流れる神の血が薄くなればなるほど、天恵を授かることが出来なくなってしまうのです。それが分かった時、テオスシンとアステリアが交わることは大罪となりました」


 薄ら笑いにも見える微笑みを顔に貼り付けたまま、ゼリュスはギルリアンの過去を語っていく。


「それが、ギルリアンが犯した大きな過ちの始まりです。

 いまから百五十年ほど前の話になります。当時のテオスシンは、混血が増えることでいつか天恵が消えてしまうのではないかと恐れました。そしてこれ以上混血を増やさないために、アステリアを滅ぼそうとしたのです」


「滅ぼす……って」


「勿論そのままの意味ですよ。テオスシンはアステリアを皆殺しにする事を決めたのです」


 思わず声が出たテルヒコに、ゼリュスは感情を込めずに淡々と告げる。少し前からゼリュスの声に違和感を感じていたテルヒコはここで確信した。ゼリュスは百五十年前のテオスシンの行いに、本気で怒っているのだと。話し方も、いつものゼリュスらしさが全然無い。ニュースキャスターが原稿を読んでいるような、抑揚のない話し方。


「テオスシンとアステリアは種族の存続をかけて戦い、それは大戦へと発展しました。しかし天恵者有するテオスシンに、アステリアは太刀打ち出来ず、結果はアステリア側の大敗。テオスシンと今後一切関わりを持たないという条件を持ちかけ、アステリアは全滅を免れました。そして国の北東にあるセレニアという街、今は星下街せいかがいとも呼ばれる陽の当たらない小さな街のみがアステリアの居場所になりました。国家反逆罪の烙印を押されたアステリアは、そこから何十年も屈辱を受け続けたのです」


 どんなに手を伸ばしても届かない空の星へと、ゼリュスが真っ直ぐに手を伸ばす。憂を帯びた金色の瞳が、昼の星空を映してやりきれなさに輝く。


「神も星も、昔から変わらずみんな同じ場所にいるのに」


 いつもの声色と話し方に戻ったゼリュスが独りごちた。


「ここは平和な国だと思ってたけど、色々あったんだな。今のギルリアンからは全然想像つかねぇわ」


「言ったではないですか。ギルリアンは普通の国だと。差別も戦争もある、普通の国なのですよ」


 そう言い切ったゼリュスの顔を見て、テルヒコは言葉が出ずにいた。唇は弧を描いているが、それはもはや、泣き顔のようだった。涙が出ていないだけで、心の内は泣いている、そんな笑顔。そんな顔をするくらいなら、いっそ泣いてしまえばいいのに。いつもはどうでもいい事ですぐに泣くくせに、本当に泣きたい時はその瞳に涙すら浮かべずに笑う。その強がりは、誰の為のものなのか。それは王として生きるゼリュスにしか分からないのかもしれない。


「ギルリアンは犠牲の上で成り立っている、外側だけ綺麗な国。ですが内側には大きな悪意の腫瘍があるのです。それは色々なものを壊して、人を傷つけて、心を黒く染めてしまう。この国は長い間、病に冒されているのです」


「国の病に気付いてるのはお前だけ……ってか」


「いいえ、みんな知らないふりをしたのです。自分や周りに直接的な害が無ければ、それでいいと思ったのでしょうね」


 その感覚を、テルヒコは知っていた。

 イジメを見て、イジメられるのが自分じゃなくて良かったと胸を撫で下ろす気持ち。自分が次のターゲットになるのではないかと恐れて、助けを求める声を聞いても、知らないふりをする気持ち。学生時代に経験があった。自分は関係ないのだと、教科書に顔を埋めていたあの日々。苦しくて、でも安心で、ぐちゃぐちゃになった感情を何度トイレで吐き出した事だろうか。


 あの教室にゼリュスが居たら、

 きっと迷う事なく手を差し伸べたのだろう。


「実は私、ギルリアンの国王になってから今までずっと、アステリアをセレニアから解放する為に色々と頑張ってるのですよ。自国の地を自由に歩けないというのは、とても悲しいことだと思いませんか。敗戦後、百五十年もの間、セレニアという小さな街がアステリアの世界の全てだったのですよ。私はアステリアに世界は広い、国は広いということを知って欲しいのです」


「殊勝な心がけだな。お前ってちゃんと王様っぽい事してるんだ」


「もちろんですよ!私はこの国に生きる全ての人を救いたいと思っているのですから」


「王都にアステリアがいる所を見るに、解放作戦は成功してるみたいだな」


 テルヒコはバートンの店の店員や、星獣の干し肉売りを思い浮かべた。


「アステリア解放が認められてから今年で十年になりますかね。未だに売買するだけ、という条件付きですが、アステリアのセレニア以外への立ち入りを許可されたあの日を私は忘れられません。もう嬉しくて嬉しくて、普段あまり飲まないお酒をたくさん飲んでしまいましたよ」

 

「だからさっきのアステリアはあんなにお前に感謝してたのか」


「これがあたりまえの、本来あるべき国の姿なのですから、感謝されるのは少しむず痒いですけどね」


 足をぶらぶらと揺らし、動く自分の影を見ながらゼリュスが照れ臭そうに頬を緩ませる。


「実はですね、最初は外へ出る事を拒むアステリアがほとんどでした。確かに過去を無かったことにして下さい、とは私も言えません。アステリアの人達に今すぐテオスシンがしてきたことを許してくださいとも言えません。しかしアステリアの全てがテオスシンを憎んでいるわけではないのです。それはもちろん、逆も然りです。ふたつの種族の大戦を経験した人はいまギルリアンにはひとりも居ません。お互いがお互いの本当の姿を知らないのです。だからまずは知ることから始めましょうと私は呼びかけ続けました。そして時が経つにつれてだんだんと、外へ出るアステリアが増えてきました。それを受け入れるテオスシンも増えて、ふたつの種族はいまゆっくりと親交を深め続けているのです」


 ここでゼリュスが深呼吸をした。そして徐々に顔を曇らせて、うーん、と呻き声のような声を出す。次の言葉を選んでいるように見える。きっとここからが本題の話になるのだろう。

 

「実はふたつの種族が交わることを、まだ快く思っていない人が多いのも事実なのですよ。テオスシンの中にはアステリアは大戦を引き起こした害悪な種族だと、そういう考えを刷り込まれて育ってきた人達もいます。それが『アステリア差別』です。そして勿論アステリア側にも、テオスシンは自分達の敵だと信じて疑わない人もいます。そういう人達はいまもセレニアから出る事を拒み続けています」


 ゼリュスが下唇を噛んで、悔しさを露わにする。

 

「でも私は誰かから聞いたことではなく、ちゃんと自分の目で見たものを信じてほしい。自分達がアステリアを、テオスシンをどう感じるのか、目を見て話せる距離でそれを知ってもらえる機会が必要だと私は考えているのです。でもそれと同時に、共存を望まない人たちに無理強いは出来ませんし、どうしたものかと頭を悩ませる日々です」


「まぁ、人類皆で仲良しこよしなんて無理だからな。誰にでも絶対馬が合わない人はいるし。……家族でも、血が繋がってても、それは関係ないんだ。それが赤の他人なら尚更だろ。だからセレニアから出たい奴だけ出る、で良いじゃねぇか」


「それじゃあだめなのですよ」


 ゼリュスが干し肉を頬張りだしたのをきっかけに、二人の会話はそこで途切れた。数日間ずっと一緒にいるけれど、ゼリュスの思考も行動もテルヒコにとっては予測不能の連続だ。面倒臭いと言えば面倒臭いし、面白いと言えば面白い。その絶妙なラインがゼリュス。それでもさっきの話を聞く限り、ギルリアンの王様としては色々と考えている事もあるのだな、と少しだけ尊敬っぽい何かが芽生えたのをテルヒコは自覚していなかった。


 ――あ、ゼリュスの子供っぽい自由な感じとか、たまにでる頑固さとか、所々が爺ちゃんに似てる気がする


 テルヒコは祖父と二人暮らし。飼い猫がいるので、正しくは二人と一匹暮らしだ。高校に行かない選択をしたテルヒコにとって、祖父は保護者であり、友達でもある。


 ――爺ちゃん、俺の事心配してくれてるのかな


 一日で帰るつもりだったはず。それなのに、この昼間に輝く不思議な星空を見るのは何度目だろう。


「ゼリュス、あのさ」


「アマギさん、私ずっと想い描いてる理想のギルリアン王国があるのですけど聞いてくれますか」


 食べ終えた干し肉の袋を丁寧に膝の上で小さく折り畳みながら、ゼリュスが絶妙なタイミングでテルヒコに話しかける。ほぼ同時に発せられたテルヒコの呼び掛けは、声が小さかったのかゼリュスには届いていないみたいだった。


「えっ、お前二袋持ってたよな?平らげるの早すぎるだろ」


「アマギさんがボーッとしてる時間が長かっただけですよ。何か考え事をしていたのですか?」


「……いや別に。ていうかお前の理想の国って、どうせお前の創った趣味の悪い石像だらけの国とかだろ」


「そんなわけないじゃないですか! アマギさん、もしかして私のこと馬鹿と思ってますか」


「お、やっと気づいたな。ちなみにここに呼ばれた日からずっと思ってるし、直接言った事もある」


「嘘でしょ!?」


 マジで気づいてなかったのか、とテルヒコは肩を下げる。自分の祖父よりもボケてやがるな、と内心思いながら


「で、お前の理想のギルリアンはどんな国なんだよ」


「それはですね――」



 


********************



 


「お前、やっぱ超頭イカれてやがる。確かにその理想通りにいけばこの国を創り変える事になるな。ていうかどんだけ時間かかるんだよ。めちゃくちゃ壮大な計画じゃん」


 ゼリュスの創りたい理想の国の話を聞いて、テルヒコは笑った。しかし決してゼリュスを馬鹿にするような笑いではない。ただただ、感心していた。ゼリュスのその異常なまでの愛国心に、敬意すら抱いてしまう。


「私に過去を変える力はありません。しかし未来は何度でも創り変えることが出来ます。だから大事なのは過去じゃなくて、今と未来なんですよ!」

 

 太陽の光をめいいっぱい浴びて、綺麗に手入れのされたゼリュスの髪の毛の天使の輪が光る。


「そして未来は人頼みや神頼みではなく、いつだって自分次第なのですよ、アマギさん」


 その言葉にテルヒコはゼリュスの底知れぬ強さを垣間見た気がした。


「……神の末裔が、神の力を持つお前が、神に頼らず生きてんのか。本当に面白いやつだな、お前って奴は」

 



 

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カミサマのいない世界 お酒大好き好きマン @osake__tintin

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