1-7 美女は特殊な性癖とともに
「あらぁ、セレフィアさん、おはこんにちばんばんわん〜」
変な挨拶をする人だな、というのがテルヒコのその人に対しての第一印象だった。商店街のようにさまざまな店が立ち並ぶ、オルビスティアの中央大通り。オルビスティア、というのは王都でもあるこの街の名前だ。ここに来れば買えないものは無いと言われているギルリアン王国の天下の台所。そこは常に、何かを求めてやってきた人達で溢れている。道行く人たちの足にぶつかりながら走り回る子供達の甲高い叫び声。客の取り合いをする、怒号ともとれる店の人の呼び込み。お互いの旦那の愚痴や今日の晩御飯の話をしている主婦たちの声。昼間から酒を飲んでいる若者達の乾杯の音。
いつ来ても誰が見ても賑やかなその場所に、その人はいた。
机が一つと、それを挟むようにして置かれた椅子がニつ。それと奥の方には診察台のような簡素な寝具が一つ置いてあるだけのテント。売り物が所狭しと並べられた他の店のテントと比べて、そこはこの場に似合わない不思議な空気を纏っていた。そしてセレフィアが言ったとおりのとびきりの美人が、そのテントの中でこちらに微笑みかけている。
「お久しぶりねぇ、ティグマを込めに来たのぉ?」
少し変な訛りはあるけれど、物腰柔らかな声色。日差しを浴びて輝く赤紫色の髪。これぞ癒し系といえるほど可愛らしい顔。垂れ目の糸目、そしてぷっくりとした唇がなんともエロい。それなのに、その顔に不釣り合いなイカついティグマが、顔以外の肌の全てに彫られている。ヤクザもビックリだ。
「んん〜? 初めましての子ぉやねぇ」
テルヒコに気づいた癒し系お姉さんは、身を乗り出してテルヒコの顔を見る。机に両手を着いているせいで、大きな胸が両腕に挟まれて苦しそうだ。
「ゼリュス様の客人です。ティグマに興味があるようなので、この店を紹介しておこうと思い連れてきました」
「そうなんやぁ、初めましてぇ。わんはアルハワ・パトレマイですぅ。以後お見知りおきをぉ」
聞いたこともない一人称を使うティグマだらけの癒し系お姉さん、もといアルハワが、テルヒコの手を両手で包み込むように握る。寄せられて激しく存在を主張する、溢れんばかりのおっぱいをテルヒコは有り難くその目に焼き付けた。
「テ、テルヒコ、ですッ」
美女に近距離で手を握られるなんて、今までの人生で一度も無かった童貞は、上擦った声で名前を言うのが精一杯。ふがふがと鼻を鳴らしながら、その両目はアルハワのたわわに実った女性のシンボルから離れない。
「テルヒコくん? 可愛くて珍しい名前やねぇ」
細長く綺麗なすべすべの手が、テルヒコの汗ばんだ手をにぎにぎする。その行為にテルヒコの顔はみるみるうちに赤くなっていった。興奮で頭がくらくらする。こういうのを立派な大人の女性と言うんだぞ、と心でゼリュスに語りかける。
「アルハワさん、早く手を離した方がいいですよ! この人少し変態の気質を持っているので」
シュバ、とセレフィアがテルヒコとアルハワの間に片手を振り下ろす。握られていた両者の手が、その反動で離れていく。微かにアルハワの温もりが残る、手汗ビシャビシャの手を握りしめて、テルヒコがセレフィアに怒号を放つ。
「誰が変態だ! 余計なことすんなよ! この破廉恥警察!」
「なによそれ、変な呼び方しないで!万年発情期!」
ギャンギャンと言い争う二人を見て、アルハワがその顔に花を咲かせる。手を頬に添えながら
「とぉても仲良しさんなのねぇ」
「「どこが!!」」
お約束のようなハモリ方をして、また言い争いを始めた二人に、アルハワが「はい、もうおしまいにしよねぇ」と手を叩く。年上の言う事は比較的よく聞くタイプのセレフィアがすぐに頭を下げた。
「店先で騒いでしまってすみません」
「元気なのは良いことよぅ」
アルハワは腕を伸ばしてセレフィアの頭を撫でる。テルヒコはその様子を羨ましそうに横目で見ていた。
「それで、テルヒコくんはティグマに興味があるんやぁたねぇ。込めた事がないのんかなぁ? 何か一つ込めてみるぅ?」
「んーそうっすね……あの、ティグマって痛くないんですよね?」
刺青を彫るのは痛い、というのは経験のないテルヒコですら知っている周知の事実だ。針を肌にブスブス刺すんだから、痛くないわけがない。ある意味拷問だ。しかし国民のほぼ全員がティグマを入れている事と、こんなか弱いお姉さんが全身に入れている事を踏まえると、ティグマは刺青と違い痛みが無いのもしれないとテルヒコは思った。それならば入れてみるのも悪くはない。どんなデザインを入れようかと思案するテルヒコに、アルハワが絶望の言葉を投げつける。
「何言うてるのぉ、ものすぅごく痛いよぉ? もう痛くて痛くて堪らんよぅ」
「大の大人でも歯を食いしばる痛さよ。私はティグマ以上の痛みは無いと思ってるわ」
「わんはお尻やみぞおちに入れた時に、死んでまうぅ〜むしろ殺してくれぇ〜て泣き叫びましたよぅ」
「ツラすぎて仏教徒も改宗するレベルの苦行じゃん、そこまでしてティグマを入れる意味あります?」
お尻を露わにして泣き叫ぶアルハワを想像する。そのエロさに少し下半身が反応したのを隠すように、テルヒコは自分の股間の前で手を結んだ。性的対象にされているとは夢にも思わないアルハワは「ティグマは入れるんやなくて、込める、て言うんよぉ」とテルヒコの言葉を優しく訂正する。
「わんは痛いのんが好きなのよぅ、最初は趣味で自分に込めてたんやけどねぇ。あれよあれよと上達しちゃぁて、今ではプロのティグマ師をやらせてもらてますぅ」
「あ、被虐性愛をお持ちの方なんですか?」
「破廉恥!!」
セレフィアのミドルキックを受けて、痛みに悶えるテルヒコが地面に膝をつく。被虐性愛まで網羅している破廉恥警察、流石の一言である。
「痛ぇなぁ! ずっと思ってたけど何でツッコミがミドルキック!? 無駄に攻撃力高ぇよな!!」
「すいません、変態に触れて手を汚したくないので」
「俺は変態じゃねぇよ! どっちかで言えばアルハワさんの方が変態じみてるだろうが!」
「あはは、テルヒコくん面白いなぁ。わんは痛いのんは好きだけど、流石に興奮したりはせんよぉ」
机の上に並べられたティグマの道具を、我が子を慈しむように触りながら、アルハワは言葉を続ける。
「それになぁ、ティグマはただのお絵かきやないの。時には願いのために、時には祈りを形にするために、時には信仰を示すために。そうやぁて色んなものを込めると、ティグマは神聖な力を持つと言われてるんよぅ。まぁ一種のおまじないみたいなもんかなぁ」
「そう! だからティグマ師は立派な職業なの! しかもアルハワさんのお店は昼夜問わずいつでも開いている唯一のお店なの! あんたが敬意というものを知っているなら、それを払う努力をしてほしいわ」
ゴミを見るような目でテルヒコにガンを飛ばすセレフィア。このままだと唾まで吐いてきそうな勢いだ。流石に女の子に唾を吐きかけられて興奮するような性癖を持ち合わせていないテルヒコは、素直にアルハワへ謝罪の言葉を述べる。「ええよぉ」とアルハワは笑う。
「アルハワさんのティグマは何を込めてるんです? それってほぼ全部蛇のティグマですよね」
ティグマは願いや祈りを込めるお呪い。こうも蛇だけを全身に入れているのは、何か特別な思いがあるのだろう。テルヒコの問いかけにアルハワは「あうぅん」と艶めかしく唸ってから
「わんのティグマはただの趣味やからねぇ、特になにも。まぁ、あえて言うなら蛇は見た目が気色悪いからかなぁ」
テルヒコに向かって蛇だらけの腕を伸ばし、「ゾクゾクするやろぉ」と悦に浸る美女の表情は、明らかに常軌を逸していた。
「嫌いなものを自分の身体に……被虐性愛じゃなくて何か別の特殊な性癖をお持ちの方?」
破廉恥警察、出動。
「テオスシンにとっての蛇は、幸運を運ぶ存在なのよ! それはもうありがた〜〜〜い存在なの! なのに、どうしてあんたはそう無礼なことばかりいうのよ!」
短時間でのニ連撃は流石にこたえたらしく、腰を抑えながら地面とキスするテルヒコに向かってセレフィアが怒鳴る。テルヒコがもう一度破廉恥なことを言えば、次こそミドルキックと共に唾を吐きかけてくるだろう。
「それでテルヒコくん。どないするぅ? ティグマ、込めてみるぅ?」
ようやく立ち上がったテルヒコに、アルハワがペンを振る。ギラリと光るペン先の刃を見て、テルヒコはゴクリと唾を飲んだ。
『大の大人でも歯を食いしばる痛さよ』
セレフィアの言葉が頭の中でこだまする。そんなものお金を払ってまで、むしろお金を貰ってでもやりたくない、怖すぎると心が叫んだ。アマギテルヒコ十八歳、痛み耐性ゼロのチキン野郎だ。
「いやぁ、今ちょっと手持ちも無いし、今んところ込めたい願いとかも無いからやめときます」
へへへ、と情けなく笑うテルヒコ。本当はティグマの痛みに怖気付いてるだけだ。しかしそれを悟られないように、金欠と無欲を盾にアルハワの誘いを断った。「えぇ」とアルハワが艶っぽく声を出す。
「残念やわぁ。もしティグマを込めたいなぁて思ぉたら絶対わんのところへ来てねぇ。テルヒコくん可愛いからサービスしますよぅ」
「はい、それはもう必ず。いつになるか分かんないっすけど、その時が来たら必ず来ます」
アルハワに手を握られ、カッコつけた顔と声でテルヒコは答えた。その尋常じゃない痛みを知った時点で、ティグマを込めるなんて苦行をチキン野郎のテルヒコには出来る筈がない。だからもうこの爆美女に会える機会は訪れない。それだけが悔しいと、テルヒコは心の中で泣いた。
ティグマだらけのイカつい細腕を振るアルハワに頭を下げながら、テルヒコたちは城への帰り道を歩く。その道中、すれ違う人達を見ればほとんどの人が身体の何処かしらにティグマを込めている。随分とガタイの良い道具屋の主人も、道端で騒ぐ若い男たちも、大きな紙袋を抱えた子連れの女の人も、駄菓子屋のような店で買い物する小さな子にさえも、見えるところに必ずひとつはティグマがある。それでもやはり、アルハワ程ティグマだらけの人はそうそういない。
「アルハワさんって超ド級の美人だったけど、やっぱり少し変わってる人なんだな」
テルヒコの言葉に、セレフィアが鼻を鳴らす。
「ティグマだらけの身体のことを言ってるのなら、それはお門違いよ。ティグマ師はその技術向上のために自分の肌でティグマを込める練習をするのだから」
「そうは言っても自分の嫌いなものばっかり全身にやるのは異常だろ。俺は絶対何かしらの性癖の表れだと思うけどな」
本日三度目のミドルキック。「しね」と呟いたセレフィアは、テルヒコを置いて先を行く。いつものように破廉恥と叫ばずに、低音ボイスで死を言い渡されたテルヒコは体よりも痛む心を握りしめながらその後を追いかけた。唾を吐きかけられなかっただけまだマシだと、自分に言い聞かせながら。
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