1-5 愛される理由



 翌朝テルヒコが目覚めると、テルヒコの寝室には例の暴れ鹿アグノティタの飼い主の女がいた。その後ろからゼリュスがひょっこりと顔を出す。にぱっと今日もその間抜けな笑顔を振りまいて


「アマギさん、おはようございます。セレフィアがアマギさんに改めて挨拶したいって言うので連れてきました」


 ゼリュスの前置きの言葉の後に、女が深々と頭を下げる。


「昨日はきちんと挨拶が出来なかったから。アグノティタの事、本当にありがとう。私はセレフィア・エルナンド。プロスタシアよ」


 テルヒコは礼を言う女をまじまじと見つめる。

 腰まで伸びた深緑の髪を、高い位置からポニーテールにしている。前髪は眉毛を隠すほどの長さ、瞳は緑色のアーモンド型。着ているキトンは薄い黄緑色で、腰には装飾のついた黒色の帯をしている。年齢はテルヒコと同じか、少し下くらいだろう。かなり整った顔をしているその女は、完璧にテルヒコの好みドストライクだった。しかしだからどうだと言うこともない。ミドルキックをしてくる時点で、女ではない。そんなやつを恋愛対象にするわけもない。あの痛みをテルヒコはずっと覚えている。


「えっと、プロスタシア、ってこの国の守護神の力を持つ天恵者だっけか?」


 んー、と背伸びをして、寝癖だらけの頭をボリボリ掻きながらテルヒコが欠伸をする。寝起きすぎて、まだ目をショボショボさせている。客が来るならせめて起こして顔くらい洗わせてくれよ、と心で悪態をつく。しかしそういう気遣いができないのがゼリュスだ。きっと何も考えずに、セレフィアを真っ先にこの部屋へと案内したのだろう。テルヒコのだらしない寝起きを目撃することになったセレフィアも可哀想だ。


「よく覚えていますね! セレフィアは月と狩猟の神、アルテミスの天恵者なんですよ」


「あぁ、そっかそっか。お前も魔法使いなのか。……おい、狩猟だと? じゃあその力を使ってあの鹿捕まえれば良かったんじゃないのか?」


 昨日の苦労が無駄に思えて、テルヒコがセレフィアに詰め寄る。セレフィアが首を振りながら「無理よ」と否定する。


「アルテミスの天恵は攻撃的なものが多いので、日常生活ではあまり使い道がなく、とても扱いづらいのですよ」


 さらりと酷いことを言うゼリュス。扱いづらい女認定された張本人は、ショックを受けるどころか笑顔で頷いている。ゼリュスの言うことは全肯定する程、この王様に心酔しているようだった。


「その言い分だと、天恵ってみんな同じ力を使えるってわけじゃないんだな」


「はい、天恵を授けた神によって使える力は異なります」


 奥深いな、と感心するテルヒコに、二人の会話を黙って聞いていたセレフィアが疑念の眼差しを向ける。


「ギルリアンの国民なのに、そんなことも知らないの?」


 テルヒコとゼリュスの視線が重なる。「なんとか誤魔化して下さい」と口パクで伝えるゼリュスに舌打ちしながら、テルヒコが頭をフル回転させる。


「あー……俺リグナスでずっと一人で暮らしてたから、全然分かんないんだよね。自分以外の人間と会ったのは王都に来てからなんだ」


 セレフィアの後ろでゼリュスが片目を瞑り親指を突き立てる。誰のせいでこんな嘘ついてると思ってるんだ、とテルヒコが歯を剥き出しにして威嚇する。


「そう……ずっと一人で。それは寂しかったでしょうね」


 同情の色に染まるセレフィアの顔を、後ろめたさからテルヒコは直視できなかった。

 



************************




「せっかくセレフィアもいるので今日はゆっくりバートンのお店でダラダラとお茶をしばいて過ごしましょう」


「そうですね、しばいてしばいて、しばき倒しましょう」


 街へと続くレンガ道を、物騒なことを言いながら歩く二人の女。色気のない女達だな、とテルヒコは立ち止まって空を見上げた。燦々と輝く太陽と、普通それとは相反する存在である星が広がる空。星の末裔が暮らす国でもあるギルリアンは、昼でも夜でも空の上には目視出来るほどの星が輝いている。不可思議な空だが、それでも美しいと言わざるを得ない。


 この国の建物はその殆どがレンガや石造りだ。服装はキトンが主流で、形や色は人それぞれ。腕輪や首飾り、腰帯などの装飾品で着飾っていたり、ショールのような外套を羽織っている人もいる。そんな人達の中で、下は黒のジャージ、上は灰色のスウェットを着ているテルヒコはどこからどうみても異質な存在だった。すれ違う度に好奇の眼差しを向けられるのは流石に居心地の悪さがある。


「ていうか、よく見りゃキトン以外の服装もあるじゃんか」


 キトンが主流とはいったものの、少数ではあるがキトンの下からズボンを穿いてコートの様な外套を羽織る男の人や、キトンとは違う長袖のワンピース姿の女の人もいる。とはいえどちらも現代日本のそれとは形や雰囲気が違いすぎる。


「なんか全体的に古代というか中世というか、二つの文化が混じってるみたいな、奇妙な感じがするんだよな」


 テルヒコが街人をじろじろと舐め回す様に見る。そっちも好奇の目で見てくるんだから、こっちもそういう目で見てやるぞという気持ちだった。自分だけ居心地の悪い思いをするのはごめんだ、お前らも同じ気持ちを味わえ、と。


「アーマーギーさん! こっちですよ! ここの広場を通ると近道になるんです!」


 遠くでゼリュスが手を振っている。その横でセレフィアが呆れた顔をしていた。テルヒコが女の人を変な目で見ている、けしからんとでも言いたげな瞳だ。


「へいへい、今行きますよ」


 街人観察をやめて、テルヒコが二人の元へと走り出す。ゼリュスが贔屓にしているというバートンの店に行くことが、今日の三人の目的だった。



「よぉ、セレフィア。見慣れない連れだな」


 広場を歩いていると、ベンチに腰掛ける中年の男が、セレフィアに声をかけてきた。その男に、セレフィアは呆れた声で返事をする。


「ギル、また仕事をサボってこんな所にいるの?」


「ギルさん、さぼってばかりではだめですよ。また奥さんに怒られて、『離婚届に判を押せー!』ってどやされてしまいますよ」

 

 セレフィアの言葉の後にゼリュスが、男の無為徒食に対してのお節介な言葉を付け足して言及した。ギルは自分の事を知っているかのように説教じみた事を言う少女を見て、ポカンと口を開けた。それを見てセレフィアがふふ、と笑った。


「その反応をするのも無理はないわね。ちょっと小さくなっているけれど、この子はゼリュス様よ」


 ギルは開いていた目をさらに大きく開いて、


「ゼリュスちゃん!?」


 大きな声でその名を叫んだ。テルヒコが思わず耳を塞いだほどの大声だった。そのギルの声に驚いた鳥達が一斉に空へと羽ばたいていく。近くにいる人達がこちらを迷惑そうに見ている。


「嘘だろおい……本当にゼリュスちゃんだ! ハハハ! おい、皆! 見てみろ! ゼリュスちゃんがちっこくなってやがるぞ!」


 スピーカーのようなギルの声を聞いて、広場にいた他の人達がゼリュスを見る。ゼリュスはその人達へと愛想のいい笑顔を振り撒きながら手を振った。


「え? 王様? なんでそんな姿に?」

「やだ、ゼリュスちゃん可愛い!」

「うわ! 本当に王様が小さくなってる!」


 わらわらと人が集まり、やがてゼリュスは広場にいた街の人全員に囲まれる形になった。その名を呼ばれ、そしてゼリュス自身も街の人の名前を呼び、一人一人の目を見ながら話すその姿は、国民に愛される王の姿そのものだ。ゼリュスを取り囲む輪の中から押し出される形であぶれたテルヒコは、近くのベンチに腰掛けながらその様子を見ていた。その横にセレフィアが静かに腰掛ける。それを横目でちらりと見て、テルヒコが口を開く。


「ゼリュスの奴、随分と国民から慕われてるみたいだな」


「当たり前じゃない。ゼリュス様に無礼な態度を取るのはあんたくらいなんだから」

 

 セレフィアはその緑色の瞳で、瞬きすらせずにゼリュスを見ている。

   


「ねーねー、本当にゼリュスなのー?」


 子供たちがゼリュスの服を掴む。ゼリュスは膝を折り、その子達の頭を順番に撫でながら、


「そうですよ、ちょっと今は身長が縮んでしまってお胸も無くなってしまいましたが、私はゼリュスですよ」


「ゼリュスにお胸なんてあったっけ?」


「妄想じゃねーの? ゼリュスは妄想の神の天恵者だから」


「なんですと! 私は! 創造の神ゼウスの天恵者です! 妄想の神じゃありません! ユージィは悪い子ですね! 悪い子にはこうしてやりますよ! 神様の裁きです!」


 ゼリュスが子供の脇腹をこしょこしょとくすぐる。黄色い声をあげて、子供達が笑う。そしてそれにつられてその場にいる全員が笑顔を見せる。大人も子供も皆、愛らしく怒る小さな王に対しての大きな愛情と敬意の色を目に宿して、笑っている。空の太陽や星よりも輝くその笑顔が、広場を照らしていた。


「ゼリュス様は確かに少し幼稚な所があって、それが馬鹿に見えてしまう事もあるかもしれない。でもそれは心根が真っ直ぐで、嘘のない人だからだと皆分かってるの。あの人はなによりも国民の事を真っ先に考えることの出来る人。だからあの人の周りには常に人が集まる。だからこの国の人達は、勿論私自身も、ゼリュス様が大好きなの」


 セレフィアが口端を上げ、テルヒコと視線を絡めた。


「…私、断言出来るわ。きっと、貴方もゼリュス様を好きになる。ゼリュス様の事を知れば知るほど、あの人の事を好きになるって」


「変な予言すんなよ、そんなこと絶対無いから」


 セレフィアの言葉に納得出来ないテルヒコは唇を尖らせる。テルヒコにとってのゼリュスは、ムカつく言動ばかりするし、すぐ泣くし、頭のおかしい生粋の舐められ体質の女。現に今も子供達にからかわれていた。だからこそセレフィアの言う事は何一つとして理解できない。

 

「セレフィアー! アマギさーん! どうしてそんなところにいるんですかー?」


 輪の中に二人がいない事に気付いたのか、ゼリュスが大きく手を振りながら手招きしている。子供の一人がこちらへとやってきてセレフィアの手を握った。


「一緒に遊ぼ、セレフィア姉ちゃんと…」


 ちらり、とテルヒコの方を見た子供が口籠る。変な服装をした知らない男に少し戸惑っているようだった。テルヒコが子供に顔を近づけると、その子は目をまんまるにしてセレフィアの手をより強く握りしめる。


「俺の事はテルヒコ兄ちゃんと呼びな、ガキンチョ」


 テルヒコが子供の脇に手を入れて持ち上げ、そのまま肩車をする。「テルヒコ号発進!」の掛け声と共に、ゼリュスを取り囲む輪の中へと駆け出した。


 

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