1-6 『本日のおすすめ』



「ガキンチョって力の加減を知らねぇよな。あちこち殴られて痛ぇんだけど」

 

 広場で子供達と激しい戯れをしたテルヒコは、テーブルに頬をつけ、げっそりとした顔で節々痛む体を摩りながらぼやいていた。


 ゼリュスが連れてきたバートンの店というのは、所謂喫茶店のような所だった。お茶やデザートはもちろんの事、軽食からガッツリ飯、お酒も取り扱っていて、老若男女全ての人が楽しめるような店だ。街の外れにあるにも関わらず、その店内は賑わっていた。


「アマギさんすごく懐かれてましたね。子供たらしの才能があるんじゃないですか?」


 床に届かない足を空中でパタパタと揺らしながら、ゼリュスはテルヒコの額を指で突っついて遊んでいる。


「お兄サン達、ご注文は〜?」


 オレンジ色のツンツン頭の店員が、テルヒコ達のテーブルへ注文を取りに来た。人の良さそうな笑顔で、オーダー表のような物を手に持っている。テルヒコはその店員の顔を見て、「ワァオ」とアメリカ人のようなリアクションをした。その店員の瞳は、宝石だった。宝石のように光っている瞳、ではなく瞳が宝石そのものだった。


「え、なにその目。すげー綺麗な紫色、アメジストかな」


 思わず漏れた声に、店員が軽快に笑う。


「なに、お兄サン。アステリア見るの初めてなんすか?」


「そうか、テルヒコはリグナスから来たからアステリアのことも知らないのね」


「えっ!? リグナスっすか!?」


 セレフィアの言葉に店員が驚嘆してテルヒコの顔を見る。リグナスと聞けば皆が同じ反応をするので、テルヒコはもうその行為に慣れて怒りすらでない。それに今は男のキラキラと輝く紫の瞳に釘付けだった。


「彼は私達神の末裔テオスシンとは別の人種、星の末裔です。アステリアと呼ばれ、彼等は皆宝石の瞳を持っているのですよ」


 ゼリュスの説明を聞きながらも、テルヒコは物珍しそうに男の顔をじっと見ている。


「……ちょ、そんな見つめられたら照れるんすけど。別に珍しい事でもないんすから、ちゃちゃっと注文決めてくださいよ、お兄サン」


 照れ笑いを浮かべながら、店員がテーブルの上のメニュー表を指差す。「すんません」と名残惜しそうにアメジストの瞳を見つめた後、テルヒコはメニュー表へと視線を落とした。そしてそこに書かれた文字の羅列を見て、苦悶の表情をする。辛うじて値段らしき数字は分かるが、そのほかの文字がさっぱり読めない。ここにきて初めて異世界生活での支障を目の当たりにして、テルヒコはメニューをゼリュスへと押し付ける。


「私このお店のメニューは全て暗記しているので、アマギさん使っていいですよ」


 ゼリュスがテルヒコにメニュー表を押し返す。国の王様が喫茶店のメニューを暗記するとは、どれだけこの店に通い詰めているのか。


「読めねぇんだよ。文字が俺のいた世界と全然違ぇから」


 ヒソヒソとゼリュスに耳打ちするテルヒコ。


「じゃあ私と同じ物を頼んでいいですか? この店でしか食べられない貴重なものですよ」


「お、いいじゃん。俺そういうの結構好きよ」


「それでは本日のおすすめを二つお願いします」


 ゼリュスが声高らかに店員に注文する。テルヒコがセレフィアにメニュー表を手渡すと、セレフィアは二人の注文に顔を引き攣らせていた。こいつら正気か、と顔に書いてある。セレフィアが飲み物を注文して、三人分の注文を書き留めた店員がテーブルを離れる。テルヒコは未だ苦い表情のセレフィアに体を寄せて


「なんだよ、その顔」


「……この店のオーナーは変わり者なの。『本日のおすすめ』はそのオーナー考案のもので、毎日違う食材を使って色々作ってるんだけど」


 そこでセレフィアが言葉を切る。そして「食べたら分かるわ」と強制的に話を終わらせた。「え、なに、怖いんだけど」と詳細をねだるテルヒコを無視したセレフィアは料理が運ばれてくるまで、その沈黙を貫いた。


「本日のおすすめニつと、こちらのお姉チャンはヒモースね、ごゆっくりどうぞ〜」


 先程と同じ店員がテーブルに料理を運ぶ。置き方がすこし雑だが、そこはご愛嬌なのだろう。テーブルに置かれた本日のおすすめは、緑、赤、紫、青、という四色のまだら模様のパイ生地に包まれた『何か』だった。もしかしたら料理の名前があるのかもしれないが、テルヒコにとっては得体の知れない『何か』にしか見えない。湯気が出ているから温かいのだろう。見た目からは味の想像が出来ず、美味しそうとは口が裂けても言えない。その外見の奇抜さから、パイに包まれた中身にも不安が残る。


 「うええ」と声を漏らしたテルヒコに、セレフィアが慈悲の目を向けてくる。この分だと、味も見た目通りの代物なのだろうか。積極的にこのメニューを頼んでいたゼリュスだけが、瞳を輝かせて喉を鳴らした。


 二人の視線を浴びながら、ゼリュスはスプーンでパイ生地に穴を開ける。サク、とパイの割れる音がして、中からほわりと湯気が噴き出した。テルヒコは自分のパイには手をつけず、その中身を見ようとゼリュスの方へ首を伸ばす。パイの中身はどろどろとしていて真っ黒だった。どろどろの液体の中に、固形物も少しだけ混ざっている。しかし真っ黒に染め上げられたそれは、もはやどんな食材なのかも分からない。形容し難い匂いが、顔を近づけたテルヒコの鼻から入り、その脳天を貫いた。


「エッッ、クッッサッ!!!!」


 テルヒコが鼻を押さえて飛び上がる。その反動で座っていた椅子ごと床へと倒れ込んだ。それに対して眉を顰めたゼリュスが


「お食事中に騒がないでください。恥ずかしいですよ、リグナスさん」


「なに!? それなに!? 嗅いだことのない匂いがするんだけど!? それなに!? リグナスにそんなの無かった! それなに!?」


 テルヒコの悲痛な叫びを聞いてゼリュスが料理を見つめる。刺激臭のする湯気を浴びながら「分かりません」と馬鹿の顔で笑い、スプーンでどろどろの液体を掬って小さなお口の中へと運ぶ。味わうようにゆっくりと謎のブツを口の中で咀嚼して、ごくんと飲み込む。そしてそのままニ口目へと進む。それを見たテルヒコが淡い期待をもって、


「……そんな見た目だけど、実は美味しいやつ?」


「いえ、この世のものとは思えないほど不味いです」


 ニカッと笑うゼリュスの歯は、黒く染まっている。妖怪じみた笑顔で料理を食べ進めるゼリュスと、未だスプーンすら握れないテルヒコ。


「流石のあんたも食べる勇気は出ないのね。私も一度ゼリュス様に誘われて食べた事があるけど」


 その時のことを思い出したのか、セレフィアが青ざめた顔で嗚咽を出しながら口を抑える。その反応で、ますますテルヒコは目の前のパイに手をつける事が出来なくなった。ホカホカと湯気を立てるブツが、早く食べてとこちらを見ている。食べ物にこんなにも恐怖心を覚えたのは初めてだった。


「私はここのメニューを全制覇してしまいましたので、楽しみは本日のおすすめくらいしか無いのですよ」


 サクサクと音を鳴らし、周りのパイ生地を黒の沼地へと沈めていくゼリュス。そしてどろどろを吸って大きくなったパイを口の中へと放り込む。


「なんで不味いと分かってる物を好き好んで食うんだよ。やっぱ頭イカれてんのな、お前って」


 ゼリュスがもぐもぐと口を動かしながら、「んー」と声を漏らしてその視線を上へと逸らす。そしてブツを飲み込んでからその口を開く。口の中が真っ黒になっていて、気味が悪い。


「なんでと言われても分からないのです。毎回毎回不味くて、食べた後は必ずお腹を壊してしまうのですが、何故かまた食べたくなってしまうんですよね。今日はどの系統の不味さなんだろうと思うと、体がうずうずして、気づいたらこのお店に来てしまうのです」


「もしかしてヤクブツとか入ってる?」


「ちなみに今日の不味さは国を滅ぼしたくなる系です」


「あんなに自国愛溢れるお前がそれを滅ぼしたくなるレベルの不味さ!?」


 「何事も経験ですよ」と無理矢理ブツを口の中に入れられたテルヒコはその衝撃の味に涙を流し、一口でギブアップした。舌に乗せるだけで、この世に生まれてきた事を後悔してしまう味だった。この店のオーナーはこの世界に何か恨みがあるのだろうと疑いたくなる。テルヒコが残した分はゼリュスが「仕方ないですね」と言いながら貰い受けた。テルヒコは机に頭を擦り付け、「ゼリュス様ありがとうございます」と心の底から感謝を述べた。


 口直しの為にセレフィアと同じ飲み物を店員に頼みながら、テルヒコが辺りを見回す。家族連れや屈強な男性集団、いい匂いがしそうな女子の団体客、カウンターで一人酒を煽る年配男性。客層はバラバラだが、ひとつだけ共通点のようなものがあった。


「それにしても、刺青入れてる人多くない? ほとんど全員が入れてる気がするんだけど、ここって王都なんだよな? 王都とは名ばかりのヤクザの集落みたいな所だな」


「いれずみ? やくざ?」


 もぐもぐと世界滅亡味の食べ物を頬張るゼリュスの首が横に倒れる。そんなゼリュスの胸元を指差して


「なんかほら、皆腕とか足とかに絵が書かれてるじゃんか。ゼリュスの胸んとこにもあるやつ」


「ああ、これはティグマですよ」


「ティグマ?」


 また知らない単語。住む世界が違うと、こんなにも未知で溢れてしまうものなのか。


「ティグマはこの国の文化よ。ちなみに私も足首に」


 頭を捻るテルヒコに、セレフィアが自分の足首を見せる。くるぶしの位置に、弓と三日月が混ざり合ったようなものが描かれていた。


「私のこれはギルリアンの国章ですよ」


 そう言ってゼリュスが自分の衣服を引っ張る。ゼリュスの胸、正しくは鎖骨の間に、見覚えのある紋章。ゼリュスと初めて会った時に創造の力で出した杖の水晶に刻まれていた、あの紋章だ。


「あー、それこの国の国章だったのか」


 胸元を凝視するテルヒコに「アマギさんのえっち」とゼリュスが茶化し、頬を赤らめて胸を隠す仕草をする。


「はぁ? えっちってお前な」


「テルヒコ、今、ゼリュス様に破廉恥な事をしたの? やっぱりあんたには変態の気質が…」


 どす黒いオーラを放ち、瞳孔の開いた目でテルヒコの言葉を遮るセレフィア。それに対してテルヒコが千切れそうな勢いで首を横に振った。むしろ千切れてくれとまで思った。


「今のは絶対俺悪くない! こいつが見せつけてきたんだろうが! 痴女はこいつで、俺は冤罪だ冤罪! おい、お前もこいつの前で変なこと言うなよな! めんどくせぇだろうが!」


 テルヒコがゼリュスに食ってかかると、ゼリュスは腕を横に伸ばしてテルヒコの前に立ちはだかった。まるでテルヒコを守るかのようなその仕草に、セレフィアの動きが止まる。


「セレフィア、確かに今のは私が悪かったです。アマギさんを責めないであげてください」


 珍しくテルヒコの肩をもったゼリュスに、セレフィアがゆっくりとその怒りを鎮める。もう片足が床から離れていて、あの凄まじい蹴りをテルヒコへと叩き込む直前だった。


「あぶねー、助かったぜ。でもまさかお前が味方してくれるとは思わなかった」


「言ったじゃないですか。ここは私のお気に入りのお店なんですよ。騒ぎを起こして出入り禁止になったらどうしてくれるんですか。私はもうここの『本日のおすすめ』を定期的に食べないとダメな身体になってしまってるんですよ。出入り禁止にされたら死活問題なのです。城のお外ではもう少し節度のある行動をしてください、リグナスさん」


「リグナスに節度を求めるな。それとこれはリグナス流のごめんの印だ」


 テルヒコが思い切りゼリュスの腿を抓る。セレフィアにバレないように見えない位置を攻撃するのが姑息すぎるやり口だ。

 

「話を戻すけど、テルヒコはもしかしてティグマを見るのも初めてなの?  もしティグマに興味があるならこれからアルハワさんのところに行く? ティグマのことならティグマ師に聞くのが一番いいわ」


 セレフィアの提案に、テルヒコよりも早くゼリュスが片手を上げて賛同した。

 

「良いですね! アルハワさんは王都で一番のティグマ師です。私も久しぶりにお会いしたいです!」


「ゼリュス様は午後からおさ達との定例会があるでしょう。これを食べたら城に帰らないと」


 ぶぅたれるゼリュスの口を布で拭いて綺麗にするセレフィア。王と従者というより、手のかかる子供を持つ母親のようだ。その後いつまでも不満顔のゼリュスを無理矢理城に送り届け、まだ諦めのつかない瞳でこちらを見る王を無視して二人はそこを後にした。ゼリュスに対して過度な甘さを見せるセレフィアも、仕事となるとそうもいかないらしい。

 

「なぁ、なんか決定事項みたいになってるけど、今から会いに行くそのティグマ師って、怖い見た目のおじさんとかじゃないよな?」


「違うわ、とても美人で聡明な人よ」


 セレフィアの言葉に、テルヒコは期待でその頬を緩ませる。この国に来て以来、初めてのまともな女かもしれない、そんな僅かな希望を胸に秘めながら、足取り軽くセレフィアの後ろをついて行った。

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