1-2 天恵という名の恵み



 暇つぶしで異世界へ召喚された照彦は、自分を王と名乗る少女と向かい合う形で座っていた。


「じゃあとりあえず、分かんねぇ事だらけだから、この世界の事やお前の事をゆっくり教えてくれよ」


 大きな金色の瞳をぱちぱちさせて頷く少女。照彦はしばらく考え込んで、それから少女へと質問を投げかける。


「お前が言ってるゼウスってのは、ギリシア神話のゼウスのことだよな? つまり神様ってことでいいよな?」


「先程からそう言ってるじゃないですか。ギリシアしんわは分かりませんが、ゼウスは我等テオスシンの祖、神様です」


 またもや知らない単語をさも当たり前のように発言する少女を無視して照彦は言葉を続ける。


「そのゼウスの、えっと、テンケイシャってのはつまりどういうことなんだ? 神の末裔が住む国とか言ってたからお前はゼウスの子孫って意味か?」


「……なるほど、まずそこからなのですね。イチから教えるのではなくゼロからなのですね」


「うん、やっぱお前あんぽんたんだね。クソ馬鹿。どうしようもない阿呆。脳味噌空っぽ人間。お前より野生の猿の方がよっぽど賢いね。ゼロからって、そんなもん当たり前だろうがよ。自分が知ってることを皆が知ってると思うなよ。とくに俺なんかは異世界から来たんだから、予備知識すら無いんだよ。この世界の常識やらなんやらを知るわけがないだろ。赤子に教えるように丁寧にじっくり優しくご教授しろよ」


 容赦のない暴言を交えながら早口で捲し立てる。そんな照彦に、「お任せください!」と無駄にテンションの高いゼリュスが薄い胸を叩く。馬鹿だなんだと言われたことに反応が無いということは、もうすでに言われたことを忘れている鳥頭なのか。それとも自分への中傷は聞こえない都合の良い耳を持っているのか。どちらにせよ照彦にとっては腹立たしさしか感じない。


「まず、この国には天恵てんけいと呼ばれるものが存在します。天恵とは神の末裔、この国ではテオスシンと呼ばれていますが、そのテオスシンのみに許された力です。神に選ばれ、その天恵を受けると神の力を使うことが出来るのですよ。そしてその天恵の力を持つ人のことを天恵者てんけいしゃと呼びます。だから私はゼウスの子孫ではなくて、ゼウスの天恵を授かった天恵者です」


 ゼリュスはそう言って片手を照彦の目の前に差し出した。その手の中に光が集まり始め、形を作っていく。集まった光が弾けると、少女の手の中に立派な杖が姿を現した。持ち手部分が雷のような形をしたその杖の全長は照彦の背と同じくらいで、少女が持つには少しアンバランスな印象を受ける。杖先には葉を象った銀細工、その中央には水晶が浮かんでおり、見たこともない紋章のようなものが刻まれていた。目の前で起こった、その不思議な光景に照彦は固唾を飲んだ。


「これが貴方をここへ召喚することが出来た創造の力、これこそが天恵の力なのです。私は私が考えたものをなんでも創ることが出来ます」


 少女が杖から手を離すと、パッと杖が姿を消す。次に頭の王冠に手をかけると、じわっ、と空気に溶け込むようにして消えていった。頭の上にあった趣味の悪い王冠は、少女が創りだしたものだったらしい。

 

「すげえな、ちゃんと異世界っぽい所あるじゃんかよ。その力を使えばなんでもできるのか?」


「基本的にはなんでも出来ますよ。まぁ、ゼウスの天恵は強大な力ゆえの制約など色々ありますが」


「制約? たとえばどんなのがあるんだよ」


「私が創造したものは私が死んだら消えちゃうとか、そんな感じです」


「ん? じゃあお前が創造して呼び出した俺はお前が死んだ時どうなるんだ?」


「元の世界へ帰ることもできずにその場で死にます。多分、雲散するんじゃないですか?」


 さらりと凄いことを言ってのけた少女に、照彦の時が止まった。体がサラサラと砂のように溶けていく自分の姿を想像する。親指を下に突き立てて「死因:クソ馬鹿王の暇つぶし」という言葉を残して頭の中の照彦は雲散した。そんな未来、許されるわけがない。そんな馬鹿げた死因があってたまるものか。


「……はあああああ!? 何だそのトンデモ設定は!? 俺の命運お前次第ってことかよ!? お前持病とかもってないだろうな!?」


「大丈夫ですよ! 私めちゃくちゃ健康ですし、それにほら、まだ全然若いので! あと七十三年くらいは生きますよ! 生きまくりですよ! それに貴方が望むなら、すぐに元の世界へとお帰しすることもできますから! 天恵を使えば、そのくらいお茶の子さいさいなんですからっ!」


 両手を頭の上でぶんぶん振りながら必死に安全を説く少女。しかし自分の死に様を大分鮮明にイメージしてしまった照彦は不安が拭いきれない。その少女の肩を掴み、揺すり、その可愛い顔に自分の顔を近づけて


「やっぱり元の世界に帰す力も持ってるんだな!? じゃあ今すぐ帰せよ! 異世界人とお話できて楽しかっただろう? いい暇つぶしになったよな、俺もいい経験ができて良かったー。はい、それではありがとう、さようなら」


 後半はほぼ感情の篭ってない声で照彦が唾を撒き散らすと、少女はその瞳に涙を浮かべた。


「そんなっ、せっかく来たのにもう帰るんですか? まだ私の部屋から一歩たりとも出てないじゃないですか! 私の話だけ聞いて満足するなんて絶対勿体無いですっ! 案内しますから街とか行きましょうよ、ね? 異界の人に私の国を案内したいっ! 我が国を自慢したいっ! 後生ですから〜〜」


うわあああん、と床に寝そべり駄々をこねる、自称二十七歳の立派な大人の女性。スーパーで見たことある光景だ、と照彦はその無様な姿を冷めた目つきで見下ろす。


「飽きたら帰っていいですからぁ。ヒック、とにかく私の国を見て行って欲しいんですぅ。頑張って呼んだのにぃ、ヒック、すぐ帰るなんて言わないでくださいよぉ、ヒック、この人でなしぃ」


 べそべそと、時折嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる少女が照彦の足元にしがみつく。勝手に呼びつけておいて、人でなし呼ばわりとは。すぐ人を外道扱いするなんて、とんでもない女だ。しかし、こんなにも泣いて懇願されると照彦の中に少なからず残っている良心が痛む。


「あぁ、もうマジで鬱陶しいな。……本当に飽きたらすぐ帰れるんだよな?」


 ちらりと照彦が足元を見る。ゼリュスが照彦を見上げて、うんうん、と首を激しく縦に振る。


「死ぬ危険はほぼ無くて、そんで俺が帰るって言ったらすぐ元の世界に帰してくれるって約束できるんだな?」


 うんうんうん、と首を激しく縦に振る。


「…まぁ、確かにせっかく来た異世界だしな。興味がないと言えば嘘になるけど……」


 その言葉を聞いて、ようやく立ち上がったゼリュスが、キラキラと瞳を輝かせた。俺は押されると弱いタイプだったのか、と知りたくなかった自分の一面を知った照彦が頭を掻く。


「……そんで、自称王様のお前が国を案内してくれるんだろう?」


「はい! 正真正銘この国の王である私がご案内致しますよ! 是非我が国を堪能してくださいね、私の愛するこの国を」


 鼻水を垂らしながら笑う少女。照彦は「汚ねぇな」と自分の袖口でその鼻水をゴシゴシと拭き取る。鼻水が取れた少女は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。変な所で礼儀正しい奴だな、と照彦はネバネバの粘液に濡れた袖口を見ながら思った。


「……それでは改めて自己紹介を。私はゼリュス・ホルキンスです。異界の者よ、ようこそ、ギルリアン王国へ」


 照彦はようやくそこでまだ自分が名乗っていない事に気付いた。ゼリュスの差し出された手を見て、確率の低い奇跡のようなこの異世界召喚を、少しだけ楽しんで帰ろうと心に決める。いつでも好きな時に元の世界へ帰れるのなら、尚更だ。いい土産話にもなるだろう。


「俺はアマギテルヒコだ。よろしくな、自称王様」


「私のことはゼリュスと呼んでください、アマギさんっ」


 早く早くと急かすように手を引く少女につられて、照彦はやっと異世界への第一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る