第一章 神との邂逅
1-1 王の暇つぶし
「だあ! クソが、また単発かよ」
目の前の画面に、ボーナス終了の文字。その横で女のキャラクターが笑顔で手を振っている。その女に向かって、男は憎しみを込めた中指を突き立てた。そして自分の横に座る、ずっと大当たり中の恵比寿顔のおじさんを横目で睨みつけ、己の茶色の頭を掻きむしりながら男は席を立った。自分で染めた茶髪は、初めての染髪であった事も相まって少しだけムラのある仕上がりになってしまっている。美容室に行けば綺麗な色に染め直してくれるだろう。しかし、美容室という場所を男は毛嫌いしていた。そんな場所に行くくらいならバリカン坊主の方がいいとまで思っている。初めて行った時、やたらとフレンドリーな美容師にプライベートを根掘り葉掘り聞かれたのがとてつもなく嫌だったのだ。
そんな男のいる場所は遊技場――所謂パチンコ店である。そこは美容室嫌いな男、天城照彦にとって第二の家だった。ジャラジャラとパチンコ玉の流れる音、リーチ!と叫ぶ液晶画面、流行りの曲やアニメソングが流れる店内。静寂とは縁のないそこは、天国にも地獄にもなり得る場所。映像と数字が絶え間なく流れる画面の前に座り、同じ数字が揃う事をひたすらに願い、金を突っ込む場所。天城照彦は一日の大半をこの遊技場で過ごしている。
「十万負けだよ畜生。あの台、いつか殺す」
物騒なことを言いながら、照彦が店内の廊下を歩く。すれ違う度にお辞儀をする丁寧な店員に悪態をつきたくなるほどその心は荒んでいた。ポケットに手を入れ、この世の全てのものに心の中で呪いをかけながら下を向いて歩く。「あの子絶対大負けしたんだ」と照彦を見た人は思うだろう。不機嫌を隠しもせず荒い足音をたてて出口へと向かう照彦は、ふと、床に落ちているパチンコ玉に気づきその足を止める。日常茶飯事の光景。いつもはさほど気にも留めないが、今日はその銀玉から目が離せなかった。大負けしている手前、銀玉の一玉でさえ欲しいと、そういう深層心理が働いた結果だったのかもしれない。
腰を曲げ、吸い寄せられるように床の銀玉へと手を伸ばす。銀玉に指の先がふれて、その冷たい感触を脳が認識した瞬間、波が引くように、遊技場の騒音が消えた。店内のBGMやアナウンスも、遊技機の音も、休憩所で話す客の声も。テレビの音を消音に切り替えたように、全ての音が消えた。床に手を伸ばした格好のまま、照彦は今起きている不自然さに戸惑った。何かが起きている。絶対におかしい。人は予想外なことが起こるとその身を固くして動けなくなる、と何処かで聞いたことがある。照彦の現状は、まさにそれだった。
「……顔を上げなさい……」
動けずにいる照彦の真上から声が降ってくる。真上というよりは、全方位から聞こえてきたように思える。多分それは、発された声が壁に反響したために、四方八方に飛び散ったからだろう。心に語りかけてくるような、重い響きのある声だった。音の無かった空間から聞こえてきた突然の声に、照彦の身体がビクリと跳ねる。そしてその声に導かれるように、銀玉を握ったまま照彦はゆっくりと、本当にゆっくりと、スロー再生されたかのようにその身体を起こした。
日本人にしては珍しい薄茶色の瞳に映ったのは、いつもの見慣れた遊技場ではなかった。予想はしていたが、その事実を受け入れるにはまだ心の準備が足りていない。音を鳴らしながら光る遊技機も、たくさんいた客や店員も、照彦が先程まで見ていたもの全て、何も無い、誰もいない空間。床も壁も柱も、全てが白色に染められた見覚えのない部屋に、照彦はいた。
そんな真っ白な部屋の中央に、椅子がぽつんと置かれている。立派な金色の装飾が施されたその椅子に腰掛けて、静かにこちらを見つめる人影。自分の置かれた状況に、未だ理解の追いつかない照彦はその人影を見つめることしかできなかった。
「ようこそ、異界の者よ。我が名はゼリュス。
全知全能の神ゼウスの天恵を給う、この国の王である」
柔らかな笑みを浮かべ後光を従えるその人は、いや、少女は、その姿にそぐわない厳かな口調で語りかけてきた。十二、三歳くらいだろうか。あどけなさが色濃く残る、愛らしい顔立ちをしている。青を薄く織り交ぜた灰色の髪の毛を揺らして、不釣り合いで派手な王冠をその小さな頭に乗せている。白を基調とした、キトン風の装い。その全てに違和感を覚えた。
「…え?」
カツン、と照彦の手から銀玉が溢れ落ちる。自由を得たそれは、隅々まで磨き上げられた真っ白な床を嬉々としてコロコロと転がっていく。少女がその玉の行く先を、大きな金色の瞳で追いかける。猫が本能的に動くものを追うように、少女のその行動は、少女の意図ではなくただ反射的に行われたように思えた。玉の転がる音しかしない世界で、その音はやけに大きく響いて、二人の鼓膜を揺らし続ける。
少女の玉座の下で、銀玉はその歩みを止めた。しばらくゆらゆらとその身を揺らし、やがて完全に動かなくなる。それを見届けた少女は銀玉から視線を外し、まだ呆けた表情をしながらこちらを見つめる照彦に、ニコリと微笑む。
「どっ、どうでした!? さっきの私、神様っぽかったですか?なんか不思議な力持ってる感、出てましたかっ?」
先程と同じ人物なのかと疑いたくなる程、口調を変えた少女が年相応にはしゃぎ始めたのを見て、照彦はいよいよこの状況の理解難易度の高さを思い知る。椅子の上でくねくねと身体を動かしながら「どうでした?どうでした?」と問いかけ続ける少女は、呆気に取られている照彦を見てその動きを止めた。そして「コホン」と小さく咳払いすると
「ようこそ、異界のものよ。我が名は」
「あ、すいません。聞こえてます。全部聞いた上で、理解が追いつかないから一旦無視しました。すんません」
出会いをやり直そうとする少女の意図に気づき、照彦は手を上げ言葉を制止した。出鼻をくじかれた少女は恥ずかしさからかその幼い顔を赤色に染める。
「な、何かしらの反応が無いとこちらとしても面白くありません。無視なんて非道な人がする事ですよ。『ここはどこだ!?』とか『美しい貴方は一体誰なんだ!?』とか言うのが、一般常識だと思うのですけど。貴方は礼儀知らずな方なんですねっ」
知らない一般常識を強要する少女。その上礼儀知らず呼ばわりとは、どちらが非道か分からない。腕を組み、頬をリスのように膨らませて、全身全霊で怒ってますよアピールをしている少女に照彦が抱いた感情はひとつ。
「なんだこいつ、超絶めんどくせえな」
ぽつりと呟いた言葉は少女には届かない。唇を尖らせながら、照彦を見つめる少女。とりあえず照彦は少女の要望を叶えるべく棒読みで「ここはどこだー」と言ってみる。すると少女は嬉しそうにその大きな金色の瞳を輝かせた。
「よくぞ聞いてくれました、異界の者よ! ここは神の末裔と星の末裔が住まう国、ギルリアン王国。神々に守られ、星々に照らされた国です。どうですか、素晴らしいでしょう! 胸の高鳴りが抑えられないでしょう!」
椅子から飛び降りて、言葉の端々で変な決めポーズをしながら少女が照彦に近づいてくる。そして目の前まで来ると、くるりとその身体を一回転させて、最後に渾身の決めポーズと決め台詞を言った。
「そんな素敵な国へ貴方を召喚した私こそが、この国の王、ゼリュスです」
鼻の穴を膨らませながら意気揚々と話す少女は、競馬場で馬券を握りしめているオッサンのようだった。つまりは興奮していて暑苦しい。その興奮気味な少女を見て、照彦は徐々に冷静さを取り戻していた。一人だけ異様にはっちゃけている人がいると、周りが白けてしまう現象に似ている。
決めポーズを崩さない少女を無視して、照彦は腕を組み、手を顎に添える。そして頭をフル回転させて、この状況について考えた。自分の事を、少女が異界の者と呼んだことで、ここが今まで自分の暮らしていた世界では無いと理解する。驚くほどあっさりと、照彦はその事を受け入れた。そうでなければこのめちゃくちゃな状況の説明がつかないからだ。そうやって一つずつ、照彦は自分の置かれた状況を咀嚼していって、それでも納得出来ない事を少女に突きつける。
「なんとなく状況は分かった。これは俗に言う異世界召喚ってやつだな。でもお前が王様って、流石にそれは冗談だろう。こんなお子ちゃまに国を任せるなんて異世界と言えど冒険国すぎるだろ、行く末が心配なんだが」
「お子ではありません! 私はこう見えて
その言葉を聞いて、照彦の脳裏にひとつの可能性が浮かぶ。自分が何故急に異世界へ呼ばれたのか、国の王様が何故子供の姿をしているのか、それらに納得がいく理由を思いついて、照彦は口角を少し上げた。そしてゴクリ、と唾を飲み込んでから神妙な面持ちで、
「…つまりお前は、なにかしらの呪いでその姿にされたから、その呪いを解く手伝いをさせるために俺をここへ呼んだのか」
「……? この姿は呪いではありませんよ。
この姿になったのは私の自己責任なのですから」
照彦が導きだした答えを、少女は一蹴した。さらには「貴方は何を言っているんですか?」と目を細めて照彦を訝しむ。完全に照彦のことを頭のおかしい人だと思っているような顔だ。照彦の怒りゲージが一つ溜まった。
「はぁ!? じゃあ何で俺をこの世界に召喚したんだ。なんか助けてほしい理由とかあるんだろ、それが召喚物のお約束ってもんだろうがよ」
「お約束? 貴方をここへ呼んだことに特に理由はないですよ。ちょっと暇だったので、強いて言うなら暇つぶしです」
「暇つぶし!?」
前髪に手を置き、片目を瞑って舌を出すという茶目っ気たっぷりの顔でとんでもないことを言い放つ少女に、照彦が思わず声を荒げる。驚いて目ん玉が飛び出た、とはこういう状況をいうのだろう。照彦は自分の目を指で触り、まだそこに眼球がちゃんと収まっていることを確認してから
「え、じゃあ何? 俺はお前の暇つぶしで異世界に飛ばされたの? 理由もなく?ただ暇だったから?」
「えへへっ」
少女が肯定の意味だと思われる笑い声を出す。
「魔王が世界征服企んで平和が脅かされてるとか、強大なモンスターに支配されて困ってるとか、そういう危険なものは一切無し?」
「はい、そういうのは特に無いですね。まおうやもんすたーがどういうものか分かりませんが、ギルリアンは至って普通の国ですよ。貴方にとって危険な事は基本的にありません」
相変わらずニコニコとその可愛らしい笑みを絶やさない少女に、照彦は軽い目眩をおこす。なんてこった。
アニメや漫画で見た異世界召喚とは程遠い。
まさか何の理由もなく、ただの暇つぶしで異世界に召喚されるとは。十五の時に祖父の家に引き取られて、高校にも行かず毎日暇つぶしでゲームやアニメを見ていた照彦。祖父に教えられたパチンコもその一つだ。暇つぶしに特別な意味もそれをする理由も無い。ただ単に暇だからそれをやる。照彦自身、暇つぶしとはそういうものだと、身に染みている事だった。
「……んで、その普通な国の暇な王様は、魔法使いか何かなんですかい。どうやって俺をここへ呼んだんだよ」
「それはもちろん
「なんだそれ」
テンケイ。聞いたこともない単語に頭を捻る照彦を見て、少女が肩をすくめてこれ見よがしに首を振る。おまけにものすごく腹の立つ顔で、大きな溜息まで吐いてみせた。照彦の怒りゲージが二つ溜まった。
「理解力の乏しい方ですね。私は創造神、全知全能の神ゼウスの天恵を授かった
なぜならば!と人差し指を高らからに掲げ、勢いそのままその指を照彦の方へと向ける。小さなぷにぷにの手が可愛らしい。
「私は全知全能の神ゼウスの天恵者だからです!」
「うん、何から何までわからん。これ俺の理解力の問題じゃないな、お前の伝達能力の低さが原因だな」
小動物のような顔をして小首を傾げる少女。あまりにも話の噛み合わない展開に、照彦のこめかみがズキズキと痛む。少女の見た目相応の頭の軽さに、本当に二十七歳なのかと疑いたくなる。身体と共に脳みそまで小さく縮んでしまったのだろうか。仮にそうなら不便で可哀想だ。照彦の心に、少女への同情の色が広がる。
もしかしたら本当は二十七歳でこの国の王様というのは、このいたいけな少女の妄想なのかもしれない。この頭の弱い少女は、そのオツムの程度の低さから誰にも話を聞いてもらえなかったのだろうか。このおバカな少女は、誰も構ってくれない寂しさから妄言を振りまく悲しきモンスターになってしまったのかもしれない。それならば、自分がこの少女を癒やしてあげよう。話を最後まで聞いてあげよう。肥大になった彼女の与太話に笑わず最後まで優しく根気強く付き合ってあげよう。そして一刻も早く元の世界へ帰る方法を探そう。召喚する力があるのならば、元の世界へ帰す力もこの少女は持っている筈だ。そのためにまず、この少女に取り入るのが賢い手かもしれない。
「よし、ちょっと話の主導権を一旦俺にくれ。大丈夫、お前の話は全部俺が聞いてやるからな」
照彦が笑顔でポン、と少女の肩を優しく叩く。
「ちょっと、勝手に触らないでください。あとその顔気味が悪いので近づけないでください」
「殺すぞ、クソガキ」
照彦の怒りゲージが限界を超えた瞬間だった。
元の世界へ帰るためとは言え、こんな奴に優しく出来るか、と少女への確かな殺意を胸に抱きながら、照彦は気味が悪いと言われた笑顔をスッと消した。「とにかく俺の質問に答えろよ」と震える拳を押さえつけながら言うと、少女は「あい」と気の抜けた返事をした。
――ああ、なんだか先が思いやられる
お間抜けな笑顔を振りまく少女に、照彦は今世紀最大級の溜息を漏らした。
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