事件
夜、まだ人々が活動している頃である。
若い男に小汚い脇道に連れ込まれ、顔を殴られる中年の男。この日は妻の誕生日だもので、ちょっと贅沢なケーキを買って軽やかな気持ちで帰路を進んでいた。
その仕打ちがこれである。見知らぬ若造に殴られたと思ったら腹を蹴られ、くずおれた背中を踏みつけられる。大事に抱えたケーキの箱に若男の手が伸びる。
中年の男は大事なケーキを渡すまいと必死になる。「やめろ、やめろ!……」
これが若男の方の気に入らない。「うるせえ、くそじじい!」と怒鳴って中年男の頭を乱暴に蹴り上げる。
若男は中年男の抱えていた箱を奪うと、菓子屋の名前が書いてあるのを見て、にたにた笑った。その場で箱を開けると、崩れたケーキを汚れた手で掴んで頬張った。
中年男の方は涙やら鼻血やらでびしょびしょになった顔で若男を見上げる。「くそったれ、くそったれ、異人め!……」
瞬間、中年男は顔に強い衝撃を受けて意識を失った。
おなじ日のおなじような時間、またちょっと別なところである。割合人通りの多い道で、身なりのいい男が素朴な服を着た小柄な女にぶつかられた。男は「すみません」といったが、女は胸のあたりで両手を重ねていて、怯えたような顔をしている。それで「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返して逃げ去った。
女の手には自身の身なりに似合わない質のよさそうな革財布。
この夜、妻の誕生日にケーキを買うような男がいれば、妻がありながら若い女になびく男もいる。
「ねえ、お兄さん」と媚びを売る女。「あたし——」
甘ったれた声で囁く女、真面目ぶって「いけない、私には妻が……」などとほざく男。
女の誘いがうまいのか男が軽いのか、場所は変わって
「くそアマ、ふざけやがって!……」
女は腕で男の首に、脚で男の体にしがみつくながらも、軽々とベッドから引き離された。
男は女をベッドに振り落として、自分のやられたように首を絞めようとする。この女も金欲しさにこの事件を起こしたわけであるから、大人しく締め殺されるわけにはいかない。相手の脚の間を蹴り上げて、割合長い脚を使って男を引き寄せると、ごろりと体の向きを変えて馬乗りになった。それからまた首に手をやって攻撃する。
女は男の感情的な目が怖くなって気が急いてくる。「早く! 早く死んでよ!……」
死んでくれといわれて素直に死ぬような者は少ない。この男も素直に死ぬようなやつではなく、女は相手の首を圧迫したままずいぶん長い時間を過ごすことになった。
ようやく事が済むと、女は男の持ち物を漁った。金それ自体か、金に変わりそうなものを探す。質のよさそうなものは、物乞いをするときに渡せば嫌な顔をする相手を黙らせられるのである。が、結局たいしたものは見つからず、あまりいいものではなさそうな財布を頂戴するにとどまった。
これが異人たちの生活である。異人とはこういうことをする輩だとの認識が広まっているせいで職が見つからず、職が見つからないから評判どおり目についた相手を攻撃して生活に必要なものを盗む。しかもこの世界の住民は金が好きだから、多くの場合、相手が異人であろうと金さえ払えばその分のサービスを提供する。それがまたこうした事件を生む。
不定期に理由もわからず湧いてくる異人、そのどいつもこいつもがこうして暴れ回っていたら、対策所の者がこやつらを憎むのにも無理はない。
俺、なぜかカミサマに嫌われて 白菊 @white-chrysanthemum
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