異人
カミサマはワタルとポールとを一緒に行動させた。これにポール自身がワタル自身と一緒にいる時間を増やしていることが影響しているのかはわからない。
翌日のことである、ワタルはポールと一緒に案内所に入った。ヴィクトリアが「こんにちは」とかわいらしく迎える。
彼女は二人がカウンターの前につくと「働き者ですね」といって笑った。「でも今日は確実な現場に出ることをおすすめしますよ」
ワタルは小恥ずかしくなって笑った。
「あんな大きな現場にいったって、お金になるようなものは手に入らないのに決まってますから。通話機でもあれば、とりあえず依頼を引き受けちゃって、すぐに応援を呼ぶっていうのもできるのにはできますけど。まあ、すぐに応じてくれる人がいるかもわかりませんし、あまり繰り返してると周りから嫌われちゃいますけどね」
「もうちょっと大人しくするよ」とワタル。「どこかある?」
ヴィクトリアは「そりゃあもう」といって書類を探し始めた。
「どこか安全なところがあると嬉しい」
「魔物がいる時点でそこは安全じゃないんですけどね」ヴィクトリアは冷静に言葉を返しながら書類を探す。
「ポールさんも一緒にいかれるんですよね」とヴィクトリア、ポールは一つ頷いた。
ヴィクトリアがそれならといったときである、彼女の隣の化粧の濃い女が電話を取った。ヴィクトリアも受信機を耳にあてた。
「宝飾の輪から応援要請が入りました」とヴィクトリア、やがて受信機を置いた。「土地の洗浄が遅れたことで、周辺の植物に異変が生じているそうです」
「植物?」ワタルもポールも聞いたことのない話だった。
「ええ、植物が魔物みたいになっちゃってるそうです。そのほかにも、土地に染みついたものから別な魔物が引き寄せられていたりして、大騒ぎになっているそうです」
ワタルはポールを見た。「いってみるかい?」とポール。
ヴィクトリアは二人に「いってみますか?」と確認して、判を捺した地図を渡した。
地図を見るに、宝飾の輪の苦戦しているという現場はずいぶんわかりにくいところにあるらしい。土地の清掃が遅れたとのことであったが、それもこうした道の複雑さが理由であるのかもしれない。
「清掃って大事なんだね」とワタル。「そりゃあ、魔物の体液の跡が残ってたりしたら嫌だけど、それだけじゃないなんて」
「うん。いやあ、しかし、そういうものが植物に影響を与えるとは知らなかった」
「本当。植物が魔物みたいになるって、どういう感じなんだろう?」
ポールは地図を見た。「現場に着けばわかるんだろうけど……」
ポールはワタルがひゅっと息を吸ったのを聞いて足を止めた。
前方にはぼろぼろの服を着た青年の男が一人、長い茶髪を邪魔そうにしている。そやつの目つきが異様に冷たく鋭いのを見て、ワタルが驚き足を止めたという具合である。
「きみ、」ワタルは恐る恐る声をかけた。「きみ、なにしてるの、こんなところで?」
「それはこっちのセリフだ、こんなところになにしにきた?」
「僕たちは魔物狩りをやっていて」とポール。「この近くから魔物の駆除の依頼が入ったから向かっているんだ」
男は、それはそれは不愉快そうに鼻を鳴らした。「なんだか知らないが、ここは俺の縄張りだ」
「縄張り?……」ワタルはあたりを見渡しつつ、野生動物でもあるまいしと内心苦笑した。
なにか音がして男に向き直れば、なにやら物騒なものを突き出していた。拳銃である。
ワタルは無力な両手を突き出した、「待って待って、なんのつもりだよ?」
「俺の縄張りを荒らすなら殺す」
ポールもそっと剣を抜く。
「いやいや、そんなさ、きみ、人間でしょう? ちょっと落ち着いてよ!」
銃声と銃弾を弾く音とがほとんど同時に響いたが、一方の音は銃声にかき消された。ワタルは突き飛ばされたままわけがわからず目をぱちくりする。
さすがはカミサマのお気に入りである。銃弾に剣を振っておきながら落ち着いた様子で立ってなんでもないような顔をしている。
「その銃をしまいなさい」
「異世界人め、化け物が!……」
また知らない言葉が飛び出した。ワタルはぽかんとしてポールと青年の争いを眺める。が、異世界人という言葉はポールも知らなかった。「異世界人? なんです、それ?」
「手前らみたいな、俺らの敵のことだよ」
「なんのことです」
「こっちはなんにも知らずにわけのわからない世界に放り込まれたってのに、手前らは同情の一つもしない、職の一つもくれない!」
ポールはやっと気がついた。「あなた、……」気がついたが、適当な言葉が見つからない。「異人ですか」
男は噛んだ奥歯の奥から唸って、目に荒々しい感情を燃やした。めちゃくちゃに銃をぶっ放すが、自身はカミサマの操り人形で、相手はカミサマのお気に入りである、弾の一つもあたりやしない。
「くそったれ、くそったれ!」
「落ち着いてください、仕事が欲しいなら、僕がどこか紹介しましょう! 他人を襲っちゃいけない、そうでしょう!」
「できるものか! この世界の奴らは、俺たちが別の世界から飛ばされてきたというだけで、悪魔かなにかみたいに扱う。仕事なんか見つかりっこない!」
男はすっかり錯乱している。ポールが「ちょっと!」と叫んだのは、男を冷静にさせるのにまったく役に立たなかった。男は銃口を唇の奥へ押し込んで引き金を引いた。瞬間、ワタルとポールは弾けた乾いた音にびくりと体を震わせて、遅れてやってきた静寂に茫然とした。
ずいぶん経って、ポールがようやく口を開いた、「ど、……どうしようか、この人?……」
ワタルもぼんやりした頭が冷静さを取り戻すのを感じた。「死んでるんだろう」と呟いて、「それなら、埋めてやろう」と答えた。「異人に、身寄りなんてない……どうせね」
ポールは隣にきたワタルを見たが、なにもいってやることができなかった。ヴィクトリアにワタルが異人と呼ばれていると聞いたときにはその存在自体信じていなかったが、今となっては信じるよりほかにない。目の前で死んだ青年も、ワタルも、どこか別な世界からやってきた異人なのであると。
ワタルが青年の腋を抱えた。ポールが青年を足を持った。哀れな青年の墓地を探して歩いた。やがて、それまで前方に見えていた無数の木が蒼々と茂っている中に入った。人の通りそうな場所から逃げるようにして進んだ。
と、ポールが下の方を見て「えっ」と声を漏らした。なにかと思って足元を見回すワタル、後方に人の倒れているのを見つけた。ワタルは青年を下ろして倒れている者に駆け寄った。が、その顔を見て声をかけるのを諦めた。相手は生きてはいなかった。
ここは全体どういうところなのかとあたりを見渡すワタル、ポールと顔を青くした。
「なんだ、これ?……」
まったくここはどういう場所なのか、ちょろちょろと草の生えた湿っぽい土の上、そのそこかしこに人が転がっている。その誰も彼もが今し方ワタルが声をかけようとした者とおなじような顔をしている。
「なんで、……なんだってこんなに人が死んでるんだ?……」
ポールは、今になってやっと、魔物のとは違う赤黒い体液と、転がった体が最後の救いを求めて放つにおいに気がついて吐き気がした。途端、自分の両手に持っているものについて深く理解し、死んだ男の足を放って口を覆った。カミサマのお気に入りがその場で——いや、その場を離れても——吐くようなことはしないが、青い顔に一層濃い恐怖が湧いてくる。
ワタルにもポールにも、自分の知らないところの過去を覗くような能力はない。この場所でなにが起きたのかは、彼らが知ることのないまま、カミサマの手によって綴られる。
結論、ここに転がっている体の魂は、ワタルらが弔ってやろうとしている男の手によって引っこ抜かれた。剣で刺すことだったり、ひたすら拳か靴底を叩きつけられることだったり、肌の上から気管を塞がれたことなんかによって引っこ抜かれた。ではこの男はなんだってそんな凶行に及んだか? なんということはない、このあたりに転がっている者の
男はポールらが暮らすこの世界とは別な世界の、どの家も銃を持っているような地域に生まれ育った。家主に警戒されれば呼び鈴を鳴らしただけの配達員が撃ち殺されることも——そりゃ頻繁じゃないが——あるような地域である。時折そうした物騒な事件が起こるが、基本的には平和で暮らしやすい地域であった。男はその地元を愛し、その治安を守る職に就き、職務に励んでいた。それが突然、時代も歴史もわからない世界に飛んだ。それが自分の無意識的な意志で実現されたのか、なにか呪いのような運命によって実現されたのかもわからない。男はこの世界では異人と呼ばれた。事情は知らないが、この世界の住民はみな異人を嫌っているようで、あちらでもこちらでも嫌われる『異人』に分類された男に居場所はなかった。与えられた役割を果たす能力を買ってくれるような場所も人もなく、それだから金がなく、男には時間ばかりが与えられた。やがて周りの人間から逃げるようにしてこの森に辿り着く。男は死にたくはないから生きなければならなかった。腹が減っては食えそうな木の実を探して恐々噛んだ。がさがさ音を立てる毛物かなにかに怯えて木の陰に隠れた。夜中、風にわさわさ揺らされる木々の葉に震え上がり、どこからか感じる視線と気配に怯え、何か月かを過ごした。
この世界で異人というのはよっぽど嫌われているらしい、ひっそりと暮らそうとした男の元に度々、人が現れた。その誰も彼もが剣だの弓だの物騒なものを持っていた。異人を殺したくてたまらないようだった。それは精神的に追い詰められたこの男の被害妄想だとか幻覚だとかいうんじゃなくて、実際に彼らはそうした武器を持って男を殺しにやってきた。それだから、男は持っていた拳銃で相手を殺した。この世界に飛ばされたときから持っていた拳銃は早いうちに空になった。どうにもしようがなくなって、自分を殺すつもりだった武器で相手を殺した。剣を奪って刺し、銃を奪って撃った。剣は、手入れなんて知らないからすぐに使えなくなった。そういうものは土に転がった持ち主に返してやった。
不定期に襲来するのは武器を易々手放すようなやつばかりじゃなかったから、そういう相手でしかも先に奪った銃が空で使えないときは、自分の体を武器にして相手の殺意に抗った。幸せな頃よりずいぶん軽くなった体重を使ってかろうじて相手の動きを封じ、繊細な気管にありたけの力を込めた。生気のなくなった相手から武器を奪って、背中を切った者に疲れ切った腕で銃弾を飛ばした。ようやくささやかな平和を取り戻すと、幸せだった頃には短かった髪を掻き上げた。
男には疑問があった。この世界の者は自分を異人と呼ぶが、どうしてそんな見分けがつくのだろうかと思った。
しかしそれも、ワタルとポールを見て理解した。整った顔をした男の隣にいる黒髪の男、あれは間違いなく自分とおなじ世界にいたやつだと直感した。同胞が自分を殺しにきたのかと驚いたが、彼らは魔物狩りだという。魔物とやらに遭遇したことはないが、この世界にはそういう魔物とやらがいて、そういうものを駆除するとかそういうことを仕事にしている輩なのだろうと想像した。
男は嫉妬した、黒髪の男の幸運に嫉妬した。あの黒髪の男には自分と違って仕事がある。どこか受け入れてくれる場所がある。異人のくせに!……
「どうする?……」とワタル。「この人たちは何者なんだ?……」
ポールが応じないので、ワタルはそこかしこに転がる者の様子を見て回った。どいつもこいつも、魔物の毒を浴びたような肌の変質を起こしていない。何人か首に手形がついたような者があり、そうした者は顔の色も不自然だったが、それ以外に肌に変化が生じている者となると、ワタルは
「こういうのって、……」ワタルは口元を拭った手で振りながらいった。「どこに知らせるものなの?……」
ちょっとして、「対策所だ」とポール。「事件とか事故の収束のために動いてくれる」——なるほど、そういう機関があるようでなによりだ。以前ワタルとヴィクトリアとの間にされた会話に、魔物狩りから毛皮を盗む者は安価で売っているとかいうものがあったが、そういうことをしている輩もその対策所なる組織が世話するのであろう。なにかと忙しそうな組織である。
「現場を任せてもいいかい」とポール。
ワタルが「死んじゃうかも」と返すと、ポールは「それはいけない」と冷静に首を振った。
「僕は対策所にここのことを伝えにいく。それにきみがついてきちゃ、応援を待っている宝飾の輪の気力と体力が消耗するばかりだ」
ワタルは素直に頷いた。「わかった。きみも気をつけていくんだよ、この人たちを、……」ワタルは改めてこの惨状を見渡した。「……こんなふうにしたやつが、近くにいるかもしれない」
近くにはいる。ただし、直前に顔の中に弾を撃ち込んで動かなくなっているが。
ポールはワタルの言葉に感謝するように頷いた。「きみも気をつけて」
現場には奇っ怪な生物がわらわらしていた。白い毛を持つ四足で移行する毛物に似た魔物や、骨ばった背を丸めて二本の足で歩く毛のない魔物や、足と手とで移行する毛のない魔物なんかは似たようなものをよく見かけるが、草花が意思を持って動く様は奇っ怪というよりほかにない。
「どういう状況です?」ワタルが声を張ると、赤い髪の青年が上方から降ってきた。木の上から飛び降りてきたらしい。
降ってきたのは赤髪のハリー・ジェム、開口一番「あれ? 異人だ」。ワタルは苦笑した。
「まあいいや。とりあえず、あの暴れん坊な草たちをどうにかしてくれる? あっちのでかいのを始末したいんだけど、草が邪魔で動けないんだ」
「わかりました」
とは答えたものの、暴れん坊な草というのを初めて見たものだから、どう対処したものかわからない。
と、花が
「な、困ったものだろ?」とハリー・ジェム。ワタルは「ええ」と苦笑する。
「それじゃあよろしく」といってうろうろしている一般的な魔物に向かっていくハリー・ジェム。それを逃がすものかと追いかける花の魔物。それにだめだめと慌てて剣を振るワタル。
場所は変わり、先ほどの物騒な森の中。転がる亡者を眺めるはポールと対策所の者が五名ほど。
対策所の者のうちの一人が、先ほどの青年を顎でしゃくった。「こいつが、あなたたちにハジキをぶっ放してきたんですか?」
「ええ、そうです……」
ポールに尋ねた痩身の若い男は、うんざりしたようにため息をついて首を振った。「また異人か……」
ポールは男の様子を窺った。「あの、異人ってなんなんですか?」
「自分たちもよく知らないですけど、こことは違う世界からやってくる厄介な人たちです。ええ、本当に厄介な人たちですよ」
「異人っていうのは、見てすぐにわかるものなんですか?」
男はポールの目を見た。「あなたは魔物狩りとおっしゃいましたね。あなたは、」男は片足をぷらぷらと揺らした。「我々とおなじような形の足で歩いて、我々とおなじような体つきをした魔物を見たことがありますか?」
「え? ええ、あります。魔物は本当に、いろんな姿をしていますから……」
「そういう魔物を、人間と見間違えることがありました?」
「いえ、そういうことはありません」
男は「それとおなじですよ」といって、足元に視線を移した。「異人は我々とは異なる人種。珍しい髪色をしているんじゃなくても、珍しい顔立ちをしているんじゃなくても、なんとなくわかるんです、そういう、放っておいちゃいけない存在っていうのは」
「異人って、どうするんですか?……」
「できることなら、見つけ次第こいつとおなじ姿にしてやりたいですよ」男は先ほどとおなじように青年を顎でしゃくっていった。「こいつら異人は、なにをするかわかりませんからね」
「まったくだ」ポールの左に立っていた中年の男が頷いた。無精髭を生やした
ワタルは散々剣を振り回したあとでふと思いついて、魔物の毛皮を剥いで残ったものを入れる——暗い紫色をした——袋に手を突っ込んだ。それで、突っかかってくる植物を「危ない、大人しくして!」と騒ぎながら、暴れる花やら葉を切りつつ根から引っこ抜いた。切られては再生し襲いかかるというのを繰り返していた植物は、根ごと引き抜いた途端大人しくなった。本当に土に染みた魔物の体液が悪さをしているようである。
ワタルは袋越しに植物を引っこ抜いて回る。凶暴な植物がなくなると、袋を裏返して、ただの草花に戻った魔物の植物を封印した。
ハリー・ジェムが騒がしい植物がなくなったのに気がついた。見れば、黒髪の異人が魔物の内臓をしまう袋の口を縛っている。ハリー・ジェムはたまらず笑った。「お前、賢いなあ!」
ワタルは照れくさそうに笑ったが、すぐに顔を青くした。魔物の手が赤髪の青年に伸びていた。
それを切ったのはジョシュア・エヴァンスだった。気取ったふうに着地すると「よそ見はいけませんよ」と一言呟いた。カミサマは気取った男が好きらしい。
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