Vol.4-2:句養④(~2019年3月)

【『群青』より】

やはらかく肺を使ひてしやぼん玉  (第19号)


「石鹼玉」10句でまとめた連作「カンバスに釘」より。

肺をめいっぱい使う様子を「やはらかく」と表現した点、その様子をそのまま「使ひて」と言った点が評価の分かれ目か。今見ても別に悪くないなーと思いつつ、もっとやれるだろ、とも。

ただ、俳句は要素を足しすぎるとうるさくなってしまうので、こういった身体感覚の句はなるべくシンプルな書きぶりでまとめるのがいいのかもしれない。

説明チックになってしまっているのは「を」が原因かなと。中七を「肺つかひたる」とするだけでも結構句の雰囲気が変わる気がする。

あと、俳句として面白いかと言われると、上手ぶってこけてる感が否めない。でも嫌いじゃないですよ、僕は。



花間集かかんしゅう買つて家路の先のひき  (第20号)


ひきがえる」10句でまとめた連作「三つ編み」より。

これも、上手ぶってこけてる。今見返すとこんな句ばっかだね、当時の僕。

花間集は、簡単に言えば中国の詩集。まあ、それは百歩譲るとして、中七下五の無駄が多すぎますね。

シンプルに直すなら「花間集買うて家路の蟇」でいいし、俳句の省略への理解の浅さや、何かと言いたがる癖が抜け切れていない典型的な例だと思う。

鳴き声に特徴がある蛙なら「花間集買うてあをがへるの家路」みたいに語順を変えられるんだろうけど、蟇だしなあ。

「家路」ももうちょい面白い道帰りたいって今なら思っちゃう。



器みなあかるき冷し中華かな

ソーダ水各駅停車しかないが

ひんやりとまはる蠅捕リボンかな  (第21号)


連作「各駅停車」より。この3句は、比較的上手くいったと思うんだけど、どうでしょうか。

1句目と3句目は「器あかるし」「ひんやり回る」みたいに、相変わらず「それっぽい」表現を目指したんだろうことが伺えるけど、不思議とわかる気がする。

2句目は、句会で出した時は「ラムネ飲む」だった記憶。それを「飲むって言わなくてよかった」とご指摘があり、変更したような気がする。確かに。

中七下五の「各駅停車しかないが」のフレーズに、何を取り合わせるかで景がガラッと変わりそう。この句では炭酸飲料を飲みながら待っているどこか夏の爽快感も感じるけど、「溽暑」とかだと一気に地獄になりそう。




【俳句雑誌「奎」より】

くろあげは信号無視をためらわず  (2号)


僕はこの2号から参加。現在が33号だから、季刊(4冊/年)だとして丸8年も経つのか。句歴10年の僕からすれば、随分と長い時をお世話になっていることになる。「奎」の方々、本当にありがとうございます。

俳句雑誌「奎」では、ほとんど現代仮名遣いで出しているため、「ためらはず」の表記じゃなくなっている。

この場合は旧仮名の方が良かったかも? と思いつつ、現代仮名遣いだからこそ信号というルールに引っ掛かっている人間など知らずに爽快に飛んでいく黒揚羽の様子が伺えるとも。

旧仮名だと、この勢いというかスピード感というか、何か違う気がする。結果オーライ?



どれも一度風に抱かれる鵙の贄  (3号)


風に晒される様子を「抱かれる」と表現したのは、既に命なき「贄」に対して使う表現としては珍しく優しい。だって、ここに風が冷たく刺して来たらそれは現実じゃん?

別にファンタジーを詠もうと思ったわけじゃないけど、吹きすさぶ風に晒されてることをそのまま言いたいなら、表現方法は俳句じゃないと思う。

こういった表現が許されるのも俳句の面白さだし、その面白さに僕はハマった。



なんとなくだるいみかんにたどりつく  (5号)


単なる炬燵の句として読まれてしまうと、作った側としては少し泣く。

というか、作った当初は炬燵は1ミリも想像していなかった。

俳句において、情景描写や取り合わせの面白さはもちろん大切だが、せっかく文字を使っているのだからそちらに注目して詠む・読むのも面白いと思う。

全部ひらがなで書くことによる間延び感だったり、口に出した時の語感だったり、俳句を「遊ぶ」ことを難しく考えすぎなくてもいい気がする。



指揮棒が指揮者あやつる万愚節  (6号)


僕ってこんな句詠めたんだと思いつつ(なんて言っておいて、できた時ガッツポーズした記憶があるけど)、この因果の逆転にこそ、俳句で表現できることの面白さが詰まっていると思う。

指揮者の方々って、指揮棒を構えて動き出した瞬間から人が変わったようになるじゃん、あれ、面白いよね。

季語「万愚節」は面白さ全振りで「やりすぎ感」を感じる人もいると思うけど、これくらいパワーのある季語じゃないと、この面白さって受け止めきれないと思う。



夜をそっとあるいて波はさむいひかり  (8号)


夜のみなとみらいを歩いていた時に作った句。なお、8号の連作「海のたてもの」は全てその時に作った。

なんでみなとみらいに居たのかは覚えていない。というか、たぶん何しに行ったわけじゃなかったと思う。住んでるところほぼ埼玉なのになんでそんなとこに居るの?

自句自解はダサいと言われがちだけど、僕は嫌いじゃない。その僕でも、この句は自分から語りすぎない方がいいと思う。

「なんかいいかも」みたいな句があってもいいんじゃないかな。


「奎」に出してた句は自由律もそれなりに多かったんだけど、いざ選んでみると定型に収まっているものばかり。

自分は基本的にパズルみたいに俳句を作っているので、「文才」だったり「季語を表現する」だったりに対するコンプレックスが顕著に出ている気がする。



【おまけ:メモから2句】

どこまでも憎まれつ子の卒業歌


かつての「石田波郷新人賞」に出した連作「登校初日」うちの1句。

「憎まれっ子世に憚る」なんて諺があるけど、この子もその例に漏れないと思う。

根っからの憎まれっ子の彼は、きっと卒業した後もその憎まれっ子ぶりはそのままなんだろうな。

その予感が、卒業の歌を歌っている様子や声からもありありと見えてくる。

個人的に、この句は結構上手くいったと思った。ただ、如何せん他の句の「上手ぶり」が、今となっては見ていられない。

連作って、難しいよね。



サルビアの道を聖女の反抗期


「Fate/Grand Order」のキャラクター「ジャンヌ・ダルク・オルタ」を連想して詠んだ句。

サルビアの形状や赤さがずっと並ぶと、宝具「吼え立てよ、我が憤怒ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン」っぽいな、くらいで作った記憶。

メモには「松山空港 FGO3句(2018年8月20日)」と書いてあるので、おそらく同期の子たち2人とFGOのアーケードで遊んでいた時だと思う。

僕の最推しは「ジャンヌ・ダルク(オルタじゃない方)」なんだけど、この句が自分の中で妙にしっくりきちゃって、一時期コメント欄これでした。

俳句はおもちゃだからソシャゲも詠める。




以上、供養でした。

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自己紹介 茜﨑楓歌 @Fuuka_Akanezaki_Haiku

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