A Family in a Doll House 6

 実は姉がずっと私に寄り添っていた、とミノリから聞いて、私は反射的に理屈だらけの常識論を脳裏に展開した。いやいや、それはない。話として飛躍しすぎている。そもそも、そこにいるよと言われてる当の本人が何の実感も持てないのだから、存在しているとしても意味がないのでは、 etc, etc。

 なぜそんな無粋なことを考えていたかというと、そうでもしないと泣き出しそうだったからだ。まさかそんな話題になるとは思っていなかったところへ、とっくに死に別れたと思っていた姉との対面劇である。うるっと来ない方がおかしい。

 けれども、ぽつりぽつりとミノリが話を進めるにしたがって、私の気持ちは今度は全く逆方向へ傾いていった。なんとかロマンチックな気分を高めよう、せめて維持しよう、とする方向にである。というのも、彼女が語る姉の〝意識の名残〟なるものが、全然興をそそられるものではなかったからだ。

 いわく、それはあくまで故人の精神の残像、あるいは影のようなものなので、マンガに出てくる霊体のように、触れたり対話したりはできない。

 いわく、「背後霊」ではないので、ピンチの時に危険を知らせたりこちらの身を守ったりということもない。

 いわく、二十四時間三百六十五日いるわけではなく、時に姿が見えなくなることもあるし、存在感にも濃淡の幅がある。

 いわく、あくまでミノリが漠然と感じ取っている、気ともイメージとも言い難いものなので、顔のディテールとかがくっきりわかるような存在でもなく、手足が生えているのかすらも怪しい、等々。

 一通りの説明を聞き終える頃には、ミノリの実家が宗教の元締めみたいなものらしいのに、なんで貧乏暮らしなのかの理由が、あますところなく理解できた気がした。四六時中何を感知しているのか知らないが、こんな興ざめな〝霊視〟を披露されたんじゃリピーターは定着しようがない。

「……まあでも、春華さんのキャラクターの……核、みたいなもの? は、ずっとあるんで……漠然とだけど、色々読めるって言うか……だから」

 私の家庭の雰囲気や、姉との関係なんかもだいたい把握できていたのだという。のみならず、姉が死んでなお父に呪いを残しているというわけではないこと(そういうこと自体は実際にあるという話だったが)、母の〝ドール殺し〟を――死後の薄い意識の上でではあっても――それとして受け入れ、共感もしているようだということまで、折に触れて感じ取っていたのだという。

 それだけ死者の意志が確認できるのなら、それはそれで便利なのか……とはいえ、こういう話をどこまで真に受けていいものだろう。ミノリ本人に悪意はなくとも、異様に鋭い観察力や推理力を、霊だの意識だのの語彙に置き換えて活用してるだけの勘違いスピリチュアル系とも解釈できてしまうわけで――

「今、私のことを勘違いスピリチュアル系かもって思ったでしょ?」

「えっ!?」

 一瞬大いに慌てた私だが、ユリーさんが爆笑してミノリも苦笑で済ませてくれたので、ほっとした。いやしかし、今の、なんでわかったんだ?

「おめー、顔に出すぎなんだよ。……まあでも、これで理解はできたろ? ミノリが今まで言いたそうにしてて、結局何も言えないままだった事情がよ」

 私はミノリを見た。まだどこか私の反応をびくびくしながら窺っているような様子を目の当たりにして、やっとのことで彼女がこれまで何を恐れ、何に気を遣ってきたのか、わかってきたような気がした。

「そういうことだったんなら、もっと早くに教えてくれてたら……」

 悔し紛れにそう口に出してみる。が、すかさずユリーさんがかぶりを振って、

「こういう話はタイミングってものがあんだよ。だいたいおめー、父親ぶん殴りに行こうとカッカしてる時に、こいつが取りすがってきてよ、実は私は色々見える体質で、ほら、そこにお姉さんの心の名残が、なんて喋り出したら……おめー、信じるか?」

 返事代わりにしかめっ面をしていると、今度はミノリがぽつりぽつりと抑え込んできたものを放していくように、何事かをつぶやき始めた。

「こういうの、みんな信じないの。……深刻なケースになるほど、みんな信じたがらないから……それはわかってるから、仮にもっと早くに話して、チアキがむきになって否定して、私を嘘つき呼ばわりして、あげくに色んな不幸なこと、全部私のせいにして……」

 なんだかこことは別の世界の物語が語られ始めたんで、私は目をむいた。変なスイッチが入ったのか、ミノリの口調にだんだん熱がこもっていく。

「それで私から離れてどっかに行っちゃっても、それはいいの。きちんと話せなかった私も悪いんだと。でもっ」

「ちょ、ちょっと、ミノリ?」

「でも! そうやって私がヘンなこと言ったせいで、チアキが反対方向に突っ走ることになったら! チアキ、ダメになっちゃう! 誰のことも信じないで、誰の言うことも否定して、いちばんダメな選択して、いちばん不幸な目に――」

 いつの間にかぽろぽろと涙を流しながらむせび泣くミノリの姿で、私は大いに慌てた。こんなにも相手のことを一途に思って、アンビバレントな思いの中で苦しんでいたなんて――

 と、思わずミノリの肩を抱いて、なんだかもらい泣きまでしてしまいそうな気分になった時、傍らからユリーさんが言った。

「チアキ。注意しろよ。その泣き落とし、ミノリの十八番だからな」

「えっ!?」

 素っ頓狂な声を上げた私の横から、涙で顔を伏せたままのミノリが腕を伸ばして、ユリーさんの背中をびしゃんと叩いた。

「てっ!」

「えっ、えっ?」

 混乱しながらミノリの顔をのぞき込むと、口は笑っている。ユリーさんも苦笑いしながら、

「ったくよ。あたしがこいつとパートナー解消したの、わかるだろ? めんどくさいやつなんだよ、こいつ」

「ええと、つまり?」

「うん、半分は照れ隠しでやってんだけどな。今のミノリのセリフ、別に嘘は言ってねーよ。でも、まあ、ああいう家で生活してたからさ。嘘つき呼ばわりとかも、いっぱいされてたみたいで……最後の最後で信じてもらえなくても、傷つかないようにって、つい芝居がかった演出入れるように」

 そこは単純に面白がってたんじゃないかと思うが、そういう面もあるんだろうな、と納得した。私はそれ以上何も言えなくなって――率直に言えば、めんどくさくもあったんで――黙ってミノリの体を抱きよせて、感極まった彼女が泣きじゃくるままにさせてやった。

 薄い笑みを見せながらしばらく私たちの愛の交歓を眺めていたユリーさんだったが、そのうちに何となくつまらなくなったのか、おもむろに咳払いして、急に現実的なことを訊き出した。

「――ところでチアキよ。なんか、ここしばらくあっちこっちから聞き捨てならねー話が聞こえてくるんだけど……おめー、ミノリにプロポーズしたのか?」

「えっ!? い、いや、私は……そんなこと言って……」

「じゃあミノリの方がチアキにプロポーズした?」

「そ、それも違うと……」

「なら、なんでミノリがチアキの婚約者ってことに大々的になってんのさ」

「えっと……いつの間にかって言うか……」

 ミノリ本人は、私の腕の中で、なんだかいたずらっぽく含み笑いを押し隠してるような表情。ちらりとそちらを見やってから、ユリーさんははぁーっとため息をついて、

「あらかたミノリが既成事実作ってしれっと押し通してるとかだろーが。チアキよ、大事なことだぜ。こんなんでいーんかよ?」

「そ、そういわれましても」

「あーまー、それで仲良くやっていけるんなら、もう何も言わねーけどよ……全く、今更だけどお似合いだな、おめーら」

「はあ、どうも……」

「で、式はいつよ?」

 ミノリと目を合わせる。確かにきちんとしたことは何も話してないし、実はたった今まで、具体的なことは何も考えてなかった。

 でも、いちいち言葉にしなくても、もう二人とも心は決まってるような気がした。不思議と、この先の希望日程までもう意思疎通できている気分だった。

「来年の春……できたら、三月ぐらい?」

「マジで本決まりになってんのかよ。ちゃんと招待状送れよ」

「それはもちろんです」

 葬儀を振り返っての話をしていたはずが、一周回って結婚式の話になってしまった。こういう流れになってしまったら、相続内容の整理も含めて、新しい生活をどうするか、急いでミノリと話し合う必要があるな――。

 ふと、急にあることが気になった。大至急処理しなければならないというわけではないけれども、なんとなく、今日この場でけりをつけてしまった方がよさそうなこと。

「あの、ユリーさん。ミノリも。少し、相談したいことがあるんだけど――」




 門の横にデミオを停めて垣根越しに見た実家は、魂が抜けたような空っぽな印象だった。しばらく無人にしていただけで、家とはこんなにも雰囲気が変わるものだろうか。まあ、人の出入りがない二月の庭と言えばどこもこんなものかもしれないが。

 ミノリと私は無言で庭の中に入り、目的の場所を物色した。なるべく柔らかい土がいいので、結局以前父がムダに土いじりをしていた場所――かつての母の菜園跡を選んだ。レンガで囲ってあった隅のあたりを、持ってきたスコップで二人してほじくり始める。

 直径二十センチ、深さもそれぐらいの小さな穴ができあがると、ポケットから小さな容器を取り出し、ふたを開ける。

 中に入っているのは灰だ。あの、首切りドールの成れの果てである。母から父を通して私の元に戻ってきたはいいが、二十年がかりのいわくつきの代物であるし、みのりから聞かされた姉や母の意図も考え合わせると、修理してセットに復帰させるのもはばかれた。

 思い余ってミノリとユリーさんに相談すると、ミノリはあっさり、

「燃やしちゃえば?」

 と宣った。確かにそれがいちばん後腐れのない処分ではあるだろう。とはいえ、市の「燃えるゴミ」にしてただ袋に詰めるもどうかと思う。と言って、こけしのような質感の固い木のドールなので、ライターできれいに燃え尽きてくれるようにも見えない。

「じゃー、うちのとこの窯で蒸し焼きにしてみるか」

 実は本職が彫金師というユリーさんが(そっちの道に入ったのは割と最近で、しばらく手首周辺に包帯を巻いてばかりだったのも、慣れない作業でケガしてばかりだったからだとか)、ささやかな親切を申し出てくれて、結果、一週間後にドールはきれいな灰の塊になって戻ってきた。

 この後はどうしようと思い、ミノリに相談すると、だったら、と実家に埋めることを提案してくれたのだ。このドールは失敗した家庭生活の遺骸のようなものなのだから、元の場所できちんと輪廻の輪に戻すべきだろう、と。

 容器の中身を全部底に空けてみると、予想はしていたが灰の分量はごくわずかで、風に飛ばされないうちに急いで土を戻す。

 たったこれだけの作業。

 それでも、私の家族がたどってきた長い長い道行が、ようやく一つの区切りをつけられたんだなと思うと、潮騒のような感慨が胸に押し寄せてくる。

 ミノリが隣で埋めたばかりの穴をじっと見ている。何となく思い立って、私は右手を開きながら訊いてみた。

「今、姉ちゃんっている? どんな風に見える?」

 一度その場所をじっと見てから、ミノリは少し寂しそうに、

「実を言うと、最近、すごく存在が薄いの。……多分、もうすぐ消えるんじゃないかなって」

「そうか」

 あっさり頷く私を見て、ミノリは意外に思ったらしく、

「つらくない?」

「いや、最初から見えてなかったし……っていうかね、話聞いてると、まあ一生付き添ってはくれないんだろうなと思ってたし……それ以前に、今までとりあえず私のこと見守ってくれてたんだったら、そろそろ暇を出してやらなきゃなって」

「そう」

「ところで」

 ぐるっと家の全景を眺めまわしてから、私は気になっていたことを訊いた。

「姉ちゃんの意識の名残みたいなのがいるっていうのはいいとして……親父の意識って、私とかこのあたりとかにいたりするの?」

「いない」

 即答である。ちょっと面食らって、

「いや、それはミノリには見えにくいとかじゃなくて? ほんとに、どこにもいないの?」

「うん。私も、気になってはいたんだけど……本当に全然見当たらないから……早々に昇天したんじゃないかな」

 どこの宗派の死生観だかわからない解釈を織り交ぜながら、あっけらかんと答えるミノリ。

「思うんだけど……ああいう人って、潜在意識下では、自分のマズいところ、よくわかってるから……色々きまり悪くなって、さっさと退場したってことじゃないかと」

 これまたどこの人生観かわからない解釈だけど、なんとなくそれはありそうな気がした。

「不器用なことで」

 つい漏らした感想に、自分でもちょっと驚いた。

 そう、この頃になって、父は情の薄い人というより、とてつもなく不器用な――一種の障碍しょうがいめいたことを抱えていた人間だったのではないかと思うようになってきたのだ。

 というのも、家族との心のコミュニケーションがどうしようもなくダメダメだったのに、死に際の自身への処置を見ていると、文句のつけようがないほどきちんとしていたからだ。

 本人ははっきりと、自分が長くないことを予想していた。葬儀が済んで、これから続く家の整理や相続の手続きなんかにげんなりしていると、司法書士を名乗る人物が現れて、前払いで全部もらってますからと、面倒な作業を一通り処理していってくれたのだ。

 家の整理も、話に聞くほど面倒な作業ではなく、下準備みたいなことをしていてくれたことは明らかだった。

 親父はこの実家に思い入れが相当あっただろうし、ゆくゆくは私が家ごと相続して、家庭を築いていくことを夢想していたはずだが、相続した直後に売り払うなら、それはそれと達観もしていたような節がある。私がさっさと売却処分するにしても、スムーズにできるように、色々と配慮していたような痕跡があるのだ。

 これだけの気遣いができる人が、なぜ――と、今更のように考えてしまう。とりあえず思ったのは、父は気が回る方向が実務的な方向だけに限られていたのではないかということ。会社員としてはそれなりに出世もしたし、それも併せて考えると、単に――もしかしたら本人が責任を取りようがない事情で――あるべき資質が欠けている人だったのでは、と思うのだ。

 だからと言って、あの男を憎む気持ちは変わらないし、理解してやれるとも思わない。けれども――

「帰ろうか、チアキ」

 明るく呼びかけるミノリの声で、私は我に返った。

に帰ろう!」

 笑みを返して、私はミノリの後に続いた。そう、最近になって、私たちはボロアパートから引っ越したのだ。それほど住宅ランクが上がったわけではないけれど、今の私たちには「二人のおうち」がある。それはきっと、母が、姉が、もしかしたら父も、手に入れようとして入れられなかった、得難い場所になっていくことだろう。

 デミオに乗る前に、一度だけ私は家を振り返った。そして、近い将来、ここを購入した家族が、庭仕事や家の中のあれやこれやにいそしみながら、明るく笑い合っている姿を想像した。

 最後まで好きになれなかった家だけど。私には暗い思い出を引きずった家屋としか受け取れないのだけど。

 せめて、祈っておこう。どうか、ここに住まう人々に、幸せが訪れますように。

 土の中に埋めた私たち家族の思いが、輪廻の先で和やかな笑顔となりますように、と。



   <了>




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ドールハウスの家族 湾多珠巳 @wonder_tamami

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