A Family in a Doll House 5

 父が死んだと知らせが入ったのは、それから十日もしない日の朝のことだった。

 やや意外ではあったが、驚きはなく、粛然とした気分はさらになかった。この先向かい合ってどんな理解が生まれるとも思えなかったし、思ったより早く死んでくれたか、という、殺伐とした感想だけがあった。

 仕事先に忌引きを申請して、一応ミノリにも簡単な事情説明のメールを打っておく。好むと好まざるにかかわらず、これから一週間ほどは実家暮らしになるだろうからと色々デミオに積み込んでいたら、病院に着いたのは午後もだいぶん回ってからだった。

 父の死因は脳卒中だった。いわゆるくも膜下出血である。以前から血栓の薬を飲んでいて、血管周りで色々と医者にかかっていることは知っていた。ふらっと倒れたと思ったらもう息がなくなっていたそうで、突然死と言ってもいい状況だったらしい。が、医者に言わせるとあんまり病院の言うことを聞く患者ではなかったらしく(聞いていて笑いを抑えるのに苦労した)、さもありなん、という印象だったらしい。服薬の仕方もしばしば自己流で、他にも色々と小さな不摂生が累積していたのだろうとのこと。

 享年六十九歳。隠居生活みたいな暮らしぶりだったのに、この年でのこの死に方は、あまり褒められたことではない。とはいえ、苦痛はほとんどなかったようだし、ある意味理想的な死に方でもあっただろう。それはまた、周囲への迷惑も最低限で済んだということだ。命はとりとめたものの、その後何十年も大仰な介護が必要になったりするケースだって十分あり得ただけに、死に際だけは素直に故人の〝人徳〟を認めるしかない。

 医師から聞くべきことを聞き終えると、次は葬儀屋との打ち合わせだ。病院御用達みたいな業者がすでに待機しているので、格別葬儀の中身にこだわりがないなら、すぐに話ができるとのことだった。あまり深く考えることもなく、私は、じゃあそれで頼みます、と返した。

 しばらくは慌ただしい日が続くだろう。この十日間、ミノリからは何も連絡がなく(そのこと自体は珍しいことじゃないが)、朝のメールにも何の反応もない。これはいよいよこのまま疎遠になっていくパターンだろうか、などとアンニュイな気分で病院の事務棟の教えられた部屋へ出向くと、初老のスタッフ一名と何事か打ち合わせている様子の、先客の背中が見えた。

 黒の上品なワンピースに、黒のレースのグローブと、ヴェール付きのトーク帽までかぶっていて、フォーマルファッションのカタログから抜け出てきたような喪服姿だ。同じタイミングで亡くなった入院患者の遺族かな、それにしては死んだ早々に気合の入ったカッコしてるな、と後姿を眺めていると、ふと、そのシルエットに強烈なデジャヴュがあるのに気付いた。女性にしてはやや広めの肩、小柄なんだけど筋肉質で、ふわりと漂ってくるオード・パルファン、この香りは――

 ……え、まさか?

 スタッフが視線をこちらに動かし、さっそく事務的な口調で呼びかけた。

「ああ、京谷きょうごく様の息子さんですね。このたびはご愁傷さまでした。おおまかな見積もり出し終わってますんで、このままでよければすぐに上と掛け合いますが、いかがですか?」

「はい? 見積もり、とおっしゃいますと」

「ほぼ間違いなくこういう形になるだろうと、こちらのお連れさんがおっしゃいましたんで、仮の形でプラン決めさせていただきましたが」

 言いながら、ヴェテランらしい葬儀屋が手を向けた先に座っているのは――

「…………」

「…………」

「…………」

「…………んん?」

 しばらく固まったままの私に、ミノリはイノセントな表情で小首を傾げてみせた。

 全然そんな風に見えないが、こいつの、媚びる時の決めポーズだ。

「ええと……。京谷千晃様の婚約中の同性パートナー様……ということで伺っておりますが、何か手違いが?」

 恐ろしく淡々と状況の念押しをする葬儀屋氏。なんでこんなに冷静なんだ。異性装のカスタマーも同性婚の遺族も全部織り込み済みか。時流への適応能力、高すぎだろう。

「いや……間違いでは……ないです」

「では、セレモニーのプランはこの通りということで?」

「はい……いや、えっと、確認……しますんで」

 しどろもどろのままで、私は葬儀屋氏からタブレットを受け取って席に着いた。ミノリがさも当然というように、並んで画面をのぞき込む姿勢で、上半身を私に密着させてくる。

 なんだかかなり罰当たりなことをしている感覚がぬぐえなかったけれども……チョロすぎるぞ、自分、というツッコミを止められなかったけれども……素直に幸せな気分だった。それは否定しようがなかった。



 何しろ七十前で死んだので、父の親族知人縁者はそれなりの人数が健在で、生前の不仲を理由に密葬で終わらせるのはさすがにはばかられた。

 盛大でもないけれど、そこそこの規模でスタンダードな葬儀一式を執り行うとなると、私一人では手に余る。ミノリがサポートに入ってくれたのは、マジでありがたかった。

 大型案件納入前のような騒ぎの中、それでも通夜・告別式・火葬とスケジュールは滞りなく進み、なおも手続きに関するあれやこれやが山積しているものの、一応納骨が済んで一区切りついた形になった日の夕刻、思いがけない人物が現れた。

「よお。押しかけてきたぜ」

「えっ、なんでここが分かったんですか!?」

「ごめん……私が呼んで……」

「新居住まいのところ、邪魔したかぁ?」

「いや、まあ、いいんですけど。ってか、新居じゃありませんからっ」

 ユリーさん。ミノリの元カレ、あるいは元カノ。会うのはミノリの引継ぎ(?)みたいな形で三人で一度呑んで以来だから、七か月ぶりぐらいになるか。仕事帰りだからか、一見ビジュアル系の優男みたいな顔つきで(つまりほぼノーメイクで)、中性的ではあるけれどもメンズスーツに身を整えている。この人は女装したら〝ちょっとバンカラなおばさん〟という感じの、清楚とも可憐とも呼べないタイプなんだけれども、バンカラなりに誰もが女性と思いこむ化けっぷりで、そういう意味では女装スキルの高い人として有名だ。

「色々大変だったのに、ほっといてて悪かったなーと」

「そこはいいですよ。おかげさまでたくさん手伝いに来てくれたし」

 会うのは久しぶりでもSNSでのやりとりはきちんと続いている間柄だ。今回もこちらの話を受けて他の女装仲間に声をかけてくれたらしく、「喪主の友人御一同」という名目でのヘルプ要員が結構集まってくれたのだ。女装仲間とは言っても、こういう場だけに現れたのは普通のおっさん達だ(何人か女性に化け切った猛者もいたけれど)。実をいうとみんな本名も満足に知らない関係だったりするのだけど、いざという時に気さくに現れて労をいとわない仲間がいるというのは、異性装者のネットワークならではの連帯意識ゆえでもあるし、ユリーさんの人徳でもあるだろう。

 本人が自分用に持ってきた惣菜その他も併せて夕食を囲みながら、しばらくはよもやま話が続く。女装仲間の誰それの消息とか、「知り合いの知り合い」から聞いたネットにも出てないようなこの世界の裏情報とか、服の話、コスメの話、などなど。

 この数日の間はミノリが完璧な喪服ファッションコーデを披露してて、実はノンケの人も含めて密かに注目を浴びていた、というネタを紹介したら、あーじゃあ今度はみんな全員喪服ドレス着用ってことにしようか、なんてユリーさんがまぜっかえして、三人とも笑った。現実にはみんな匿名希望で手伝いに来てくれてたんだし、そんなお遊びめいたイベントは、まあ、仲間の誰かの葬儀でかつ遺言があった場合なら、関係者以外シャットアウトして可能なのかなあというところだが。

 食事の時間がおおかた終わったあたりで、おもむろにユリーさんが言った。

「さて……実は今日は、話があってきたんだけどよ」

 まあそうだろう。私は平静に頷いてみせたものの、内心ではかなり緊張していた。私にはあえて予告なしでパートナーの元カノ/元カレが現れたのだ。あたしら、今日からよりを戻すことにしたぜとか、そういうことを宣言されても不思議はない。

 という私の疑念はバレバレだったらしく、ユリーさんがふっと憫笑を漏らして、私に言った。

「それ、多分違うから、心配すんな。でもま、マジな話ってのは確かだ。ミノリのことでな。この子にとっても重大な話だから、気合入れて聞いてくれ」

「は、はい」

「よっし。じゃあな……」

 先輩風を吹かせて(実際、私の一つ上で、女装面でもかなり先輩だったりするのだけれど)話を仕切り始めたのに、ユリーさんはそのままちょっと困った顔になって、あげく、ミノリに丸投げした。

「なんか、どっから言っていいのかわからん。やっぱミノリ、お前から言え」

 いったん嫌そうな顔はしたものの、ミノリは何度かのためらいの後、私に向き直ると、思い切ったように切り出した。

「あの……私がチアキの部屋で初めてドール見た日のこと、憶えてる?」

「え? ああ、あれ……三週間ぐらい前……だっけ」

 色々あって、もう何か月も前のような気がするけれども、記憶ははっきり残っていた。仕事から帰ったら親父からの首切りドール入りの郵便が届いてて、現物を前にぼうっとしてたらミノリがアパートにやってきて、それで――

「もちろん、全部憶えてるけど?」

「あの時、私、ちょっとおかしかったでしょう?」

「ドアをどんどん叩いてたこと? あれはでも、私がちゃんと返事しなかったから――」

「返事が遅いってだけで、半狂乱になって玄関叩きまくったりしねーよ。ふつーのやつならな」

 乱暴な口調ながら、割れ物に触れるような慎重な口ぶりで、ユリーさんが横から言った。

「すまねえ。その日のことだけは、ミノリからちょっと詳しめに聞いてんだ。チアキはミノリのそういうところ、いい意味でスルーしてくれて、こいつも内心ほっとしてたかも知れんが……そろそろきちんとした説明が必要なんじゃね? っていうか、最近、そういうすれ違いが積もって、ケンカとかになってねーか?」

 私たち二人のことは、ミノリからもっと色々と詳しい経緯を聞いていると思い込んでいた私は、つい意外そうにミノリを振り返った。それはまた、ミノリがそういう形で私たちのプライバシーを漏らしていたとしても仕方ない、と思い込んでいたことの暴露でもあっただろう。

 ミノリはますます臆病そうに首を引っ込めて、少し顔色も悪くなってる。ちょっと困惑してユリーさんを振り返ると、この先は自分が言うしかないと思ったのか、いよいよテーブルの上に身を乗り出して、私の眼をじっと見た。

「おめーも薄々気づいてるんじゃねえかと思うんだが……そうじゃなかったら、何をくだらねーことをって思うだろーけど……ミノリはよ、奴なんだよ」

「……はい?」

「やべえのが色々見えてしまうってこと。なんてゆーか、気とか霊とか? いや、本人に言わせりゃ、いわゆる幽霊とかとは違うらしいんだけどよ。ええと、思念のイメージ……とかだったか?」

 言葉の表面をたどる程度には辛うじて話についていけてはいたが、私の思考は完全に目詰まりを起こしてしまっていた。なんでこんな話が急に? いや、言われてみれば、さんざんヒントめいたものはもらっていたのか? 確かにミノリはどこかミステリアスなところもあって、最初の頃はもしかしたら霊感とか強そうなタイプなのかな、と思ったこともあったけれど……。

「この子はさ。実をいうと、宗教家の家の子供でね。いわゆる新興宗教なんだけど、今の時世には珍しく、良心的な貧乏宗教家の、四人きょうだいだかの末っ子で」

「……」

「見えるとか感じるとか、日常的に口走ってる家で育ったってわけ」

「……それが、なんで女装の世界に?」

「そこは知らない。まあ興味があるんなら、後で本人からじっくり話を聞きな」

「は、はあ」

「話戻すと、そういうわけで、ミノリはあたしらが想像もつかないこと、毎日見てるらしい。見てるって言うか、全身で感じてるって言うか」

「それは……すごい話、ですね」

「で、その、人形の郵便が届いてたとかいう日、チアキ、自分がどんなこと考えてたか憶えてるか? ミノリが来る直前の、自分の心の状態?」

「えっ、べ、別に、ただ、ぼんやりしてた……としか……」

 急に自分のことを訊かれて、私は動揺した。少なくとも、憶えてる範囲では、私はあの時、物思いにふけっていて時間を忘れていただけのはず……いや、ちょっと待って――

 あの時、暗がりの中で私が胸の中で妄想していたこと、それは――

「お前さ……あの時、親父を殺しに行ってやるって思ってたろ?」


 宙を睨みながら黙り込んだ私を見て、ユリーさんは慌てたように付け足した。

「いや、別におめーが誰をぶっ殺してやりたいとか妄想しようが、それは自由だ。そこを咎めてるわけじゃねー」

「…………」

「ただよ……もしも、仮に、あの日ミノリがおめーのところに来てなかったら、その後どうしてた?」

「…………私は」

「色々とシャレにならねーことになってた……っいう目も、結構大きかったんじゃねーか?」

 そう、今から思えば、私はもう、あの時点で父がどういうつもりであのドールを送ったのか、半分がた結論を出していた。さすがに父親ドールを男装の姉と恣意的に勘違いしているとまでは思わなかったが、対面して今回の意図を尋ねれば、およそ誠意のある言葉が返ってくるはずがないと、ほぼ確信していた。

 いや、はっきり言おう。私はチャンスだと思ったのだ。自らの怒りをマックスまで煽り立てられる絶好の機会だと。

 熾火のような黒い記憶がよみがえった今のこの勢いで即日父親に会い、過去の怒りに油が注がれたならば、きっと――

 きっとこの男を殺せる、と。

 バカなことを考えていたものだ、などとは思わない。正直、あの男にパンチ一発すら入れられないまま終わったことを悔やんでもいる。

 けれども、そんな自暴自棄な道をすんでのところでミノリが止めてくれたのだとしたら……それで、余計なことしやがってと逆恨みするほど、自分は落ちぶれてはいない、と思う。

 しばらく誰も喋らなかった。二人とも私が感覚的に納得できるまで、辛抱強く待ってくれているかのように、じっと口をつぐんでいる。

 ふと気づいて、私はユリーさんに尋ねた。

「家族の昔話とか、私、ユリーさんに話しましたっけ?」

 さっきの話では、ミノリはそこまでユリーさんに詳しく漏らしてはいないということだったけれども、それにしてはうちの家族に理解のあるような口ぶりだった。

「いいや、だからあたしは、そのドールってのが届いて、おめーが黒いオーラ発散してた日のことをミノリから聞いただけで」

「え、でも、その割には事情を色々ご存じっていうか。……いや、別に私は構わないんですけど……」

 ちょっとだけユリーさんとミノリが視線を交わす。ユリーさんが無言で何かを促しているようだったけれども、ミノリが肩をすくめて首を振り続けるもんだから、ユリーさんが諦めたようにため息をついた。

「――まあ、あたしから言わなきゃ、信じられないか」

「何をです?」

「えっとさ。……ミノリはね……なんだか思念のイメージみたいなものが見える子だって話したよね」

「ええ」

「思念って言っても、横から聞いてりゃ、それ、霊だろって言いたくなるようなケースも割とあってさ」

「はあ……」

「あんた……いるってよ」

「…………はい?」

 ユリーさんがミノリを見た。私もいささか混乱気味にミノリを振り返った。最後の最後までためらっていたミノリは、一度大きく息を吸って吐いて、淡く微笑みながら、私のすぐ右横を指して言った。

「そこ……そこに、いるの。ずっと。……春華さんの、心の名残が」



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