第8話 僕と私のPDCAサイクルの話
仕事の世界には、PDCAサイクルという言葉がある。
Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)。この4つのサイクルを回し続けることで、業務を継続的に改善していく、という考え方だ。
私は、この概念に福祉の仕事に就いてはじめて出会った。
最初は「また小難しいビジネス用語か」と、僕の翻訳機がエラーを吐き出そうとしたが、しかし、どうにも気になる概念だった。
そんな概念が私の物になっていったのは、紛れもなくサービス管理責任者として、様々な人の個別支援計画と向き合ってきたからなのだろう。
利用者さん一人ひとりの「こうしたい」という願いを元に計画(Plan)を作成し、具体的な支援(Do)を行い、その結果を振り返り(Check)、より良い方法を模索する(Action)。そうしてまた、そうなった結果出てきた、「こうしたい」という願いを元に計画(Plan)を作成していく。
その繰り返しの中で、私は気づいたのだ。このサイクルは、他者を支援するためだけのものではない。と。いつしか、私自身が自分と向き合うための、かけがえのないツールになっていたことに。
今では、この概念こそが、僕の船のブリッジで毎日繰り広げられている、あの終わらない作戦会議そのものであると分かる。
このサイクルによって、よりスムーズな僕との対話が生まれ、それが私が歩む方向の指針となっているのだ。
Plan(計画):《僕》が、航路を指さす
全ての冒険の始まりは、いつだって感情のエンジン《僕》の、衝動的な一言からだ。
「こうしたい」
彼が、新しい航路を指さす。それは、論理や計算に基づいたものではない。ただ、「面白そうだから」「誰かの役に立ちたいから」という、純粋な感情の燃料が燃え上がった瞬間の、魂の叫びだ。兄を失ったあの痛み、利用者さんの孤独に触れた時の無力感。そんな過去の経験が燃料となり、「もう誰も、あんな思いをしてほしくない」という切実な願いが、僕たちの航海の「P(計画)」になる。
Do(実行):《私》が、舵を取る
その衝動的な計画に、理性のエンジン《私》が応える。
「良いね。そうしよう」
彼は、《僕》の情熱を無視しない。そのエネルギーを推進力に変え、船を未来へと進めるために、冷静に航海の準備を始める。過去の失敗事例をデータベースから参照し、できるだけ《僕》が傷つかない安全な航路を探す。これもまた、《僕》を守るための、《私》なりの愛情表現なのだ。これが、最初の「D(実行)」だ。
Check(評価):《僕》が、光と影を語る
しかし、どんなに周到に準備しても、航海にトラブルはつきものだ。
以前書いた、利用者さんからの拒絶。あの時、船のブリッジでは、《僕》が激しく泣き叫んでいた。
「ほら、言わんこっちゃない!やっぱり僕らは嫌われた!もう痛いのはイヤだよ!」
過去の失敗という名の小惑星帯が、彼の脳裏をよぎるのだ。船体の傷、失った仲間、嵐の記憶。彼は、この航路に潜む危険性を、誰よりも知っている。
「だけど…」と、彼は続ける。
「だけど、何か分からないけど、あの人の本当の気持ちが、少しだけ分かった気もするんだ」
失敗の痛みの中に、ほんの少しだけ残っていた他者への理解という喜び。この光と影の両方から目を逸らさない評価こそが、僕たちの航海の、あまりにも正確で、痛みを伴う「C(評価)」なのだ。
Action(改善):《私》が、新しい航路を示す
その《僕》の正直な評価を、《私》は決して笑わない。
「ああ、そうだな。痛かったし、悔しかった。でも、私たちは大切なことに気づいた」と、彼の光と影を一度受け止める。その上で、私は航海図を広げ、危険を回避しつつ、その「気づき」を次の航海に活かすための最適ルートを再計算する。
「次は、私たちの『正しさ』を伝える前に、まず相手のOSの言語を、もっと学んでみよう。そうしたら、もっと上手くやれるよ」
それは、《僕》の弱さを無視するのではなく、その弱さと喜びの両方を前提として組み込んだ、新しい航海計画。これこそが、僕たちの旅を前に進める、最良の「A(改善)」なのだ。
この、厄介で、そして愛おしい二人三脚のPDCAサイクルの中で、僕との内なる対話が成されていく。
弱くて臆病な《僕》が計画し、《私》が実行する。《僕》が過去の光と影から評価し、《私》が未来への希望を込めて改善する。
そして、改善の先で、《私》は《僕》に問いかける。
「さあ、改善点は見つかった。今度はどうする?」
すると、《僕》がまた、新しい航路を指さすのだ。
「あれをしたい!こんなことできるかな?」
こうして、僕らの航海は続いていく。
この終わらない対話の先に、僕だけの航海術という自分らしさが、少しずつ、しかし確実に築かれていくのだと、私は信じている。
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鬱と生きる~優しい世界で自然体で生きていくために~ 難波武尚 @satonoha
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