第7話 二つのエンジンと、受容の話

 僕のOS『難波武尚』は、少し特殊なハイブリッド仕様だ。

 この船を動かしているのは、二つの異なるエンジン。

 感情を燃料に、時に暴走するほどパワフルなエンジン《僕》。

 そして、理性を燃料に、常に安定した出力を保つエンジン《私》。


 かつて、この二つのエンジンは、僕の中で激しく争っていた。

 それが、生きづらさに直結していたように思う。


 特に、「社会に迎合できない自分を受容する」という、あまりにも大きなテーマを前にした時、その対立は顕著だった。


 エンジン《私》は、冷静に分析する。「受け入れがたい現実も、それを受容し、少しでも明るい未来を描く方が合理的だ」と。

 しかし、エンジン《僕》は、その正論に激しく抵抗する。「そんな簡単なものじゃない!」と、彼は痛みと喪失感で泣き叫ぶ。


 キシさんがプログラムに侵入し、《僕》がスリープモードに入ると、今度は《私》が緊急モードで起動する。推進力を失った船を沈ませまいと、理性だけを燃料に、論理と分析だけで、なんとか船を制御しようとする。しかし、二つのエンジンは本来、二つで一つの船を動かすもの。一方をメインエンジンとしてフル稼働させると、膨大なエネルギーを消費し、船全体が激しく疲弊してしまう。

 そうして、何もできない僕が出来上がるのだ。


 この二つのエンジンが、どうすれば調和できるのか。

 その答えこそが、「受容」の本当の意味だった。


 受容とは、エンジン《僕》の叫びを、エンジン《私》が黙殺することではない。

 それは、《僕》が感じる痛みや恐怖を、《私》が「そうか、君は今、そう感じているんだな」と、ただ静かに受け止めること。《僕》の弱さを受け入れ、その上で、共に進む道を探す、終わらない対話なのだ。


 そして、私は気づいたのだ。

 そもそも、この二つのエンジンは、別々に作られたものではない、と。


 僕の中に、確かに私という設計図はあったのだ。

 それは、父が営む町工場の中に、兄とふざけた笑いの日々に、兄の無言の優しさに触れた時に、母や弟と感情をぶつけ合った時に、小さなパーツとして僕の中に生まれたのだと思う。

 そうした一つひとつの小さなパーツを、僕が丁寧に拾いあげ組み上がったのが、私だった。


 この二つのエンジンが融合する瞬間がある。

 それは、《僕》の経験という名の生々しいデータを、《私》が冷静に分析し、一つの言葉の意味を理解する時だ。その時、僕の船はアップデートされ、航海図はより精密なものになっていく。そんな時は、船はスムーズにこの宇宙を航海していく。


「こうしたい」と《僕》が、新しい航路を指さす。

「良いね。そうしよう」と《私》が、その実現可能性を計算し始める。

「でも、無理かな」と《僕》が、過去の失敗に怯える。

「こうしたら、できるよ」と《私》は、航海図を広げ、危険を回避する最適ルートを提示する。


 そうした、一つひとつの丁寧な対話を通して、いつの間にかハイブリットなエンジンが当たり前になっていった。


 社会の『当たり前』に無理に合わせるのではなく、自分のOSの特性を理解した上で、最適な航路を見つけていく。

 そうやって、周囲に支えられながら、自分だけの航海術という自分らしさを獲得し続ける旅は終わりがない。


 例えば、《私》を強いと言ってもらえるのは、《僕》の弱さを内包しているからなのだろう。その弱さは、強い私を折らせないしなやかさを生む。だから、どちらも私で僕という自分なのだと、そう、思う。


 さらには、僕、や、私、を意識しなくなった時、この社会の在り方は、大きく変わって見えるのだろう。今は未だ、この厄介で、楽しい日々を乗り切る必要があるが、誰もが自分らしさを発揮できるよう、こうして、小さな声を記録していく。

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