第6話 他者との関わりが下手くそな僕が、他者と関わる私の話
第6話:他者との関わりが下手くそな僕が、他者と関わる私の話
「人は、一人では生きていけない」
みなさんも、一度は耳にしたことがあるだろう。
もちろん私も、一人で生きているわけではない。最強のパーティーメンバーであり、かけがえのない乗組員たちが、僕の船にはいる。
ただ、私がこれまで生きてきて、今更ながらに痛感していることがある。
心の中にいる僕は、他者との関わりが、致命的に下手くそだということだ。
いや、そもそも、現在の私がどれだけ理屈を並べても、心の中にいる僕は、ただ寂しいと泣きじゃくるのだ。理性の「私」が「大丈夫だ、一人でも生きていける」と自分に言い聞かせても、感情の「僕」は「嫌だ、一人は寂しい」と駄々をこねる。そんな僕との関わり方を、私は持て余している。
僕は、過去の傷や痛みを、今も生々しく記憶している。
一番ひどい時、妻も僕との関わり方が分からないという。
「放っておいて」
僕がそう叫ぶ時、彼女は黙って距離を置く。昔はそれが、見捨てられたようで堪らなく寂しかった。でも、後になって彼女は言った。「あなたが一人でトンネルの中にいる時は、邪魔をしちゃいけないと思った。だって、あなたは必ず光を見つけて、自分の足で戻ってくるって、信じているから」と。
彼女のその信頼が、僕にとっては一番の薬であり、同時に一番重いプレッシャーでもあった。「信じられている」という事実が、トンネルの出口を指し示すコンパスになることもあれば、「期待に応えなければ」という、出口を塞ぐ分厚い壁になることもあった。そんな自分が大嫌いで、だけど、どうしようもなくて。それを、たまらなく悔しく思う。
僕は、人に傷付けられ、人に癒されてきた。
その繰り返しで、今の僕がいる。かつて、何もできずに部屋に引きこもっていた僕に、友人がただ一言、「生きてるだけで良いんじゃね?」と言ってくれたことがある。その言葉が、どれだけ僕を救ってくれたことか。
きっと僕も、誰かをたくさん、たくさん傷付けてきたことだろう。
もし、それと同じだけ、誰かを癒せていたのなら。
もう少しだけ、自分を好きになれるのかな。
そんなことを、時々夢想する。
人との関わりの中で、僕らは自分という存在を形作っていく。
そして、その集合体が「社会」だ。
今、その社会で頻繁に叫ばれているキーワードに、『多様性』がある。
多種多様な考え方、感じ方を認め合い、争いのない世界を実現する。それは、私が心の底から願う、理想の世界だ。
けれど、現実はどうだろう。
SNSを見ているだけでも、そこには「批判」と「中傷」が渦巻いている。
批判とは、物事を吟味し、評価すること。認め合いを前提に、より良いものを生み出すための、健全な行為だ。
しかし、中傷とは、根拠のないことで、他者の尊厳を傷つけること。そこには、何の生産性もない。
心の中にいる僕は、今も人との関わりの中で、嫌われることを一番に怖がっている。
けれど、現在の私は、少しだけ違う。
自己否定から自己受容、そして自己理解という長い旅路を経て、私は自分だけの「航海図」を、自らの手で書き加えてきた。だからこそ、自分のOSの価値を信じられるのだ。
たとえ嫌われる可能性があったとしても、自分の信じることを語りたい。社会の『当たり前』と違う意見を言うことや、誰かのためにあえて厳しい判断をすることを、恐れずに選択したい。そう思っている。
しかし、その覚悟が、必ずしも良い結果を生むとは限らない。
サービス管理責任者として、ある利用者さんのために、良かれと思って私のOSが導き出した最善の策を伝えたことがある。長年引きこもり、社会との接点を失っていた彼が、再び外の世界と繋がるための、論理的で、実現可能なステップバイステップの計画だった。まずは週に一度、決まった時間に起きること。次は、家の近くのコンビニまで散歩すること。一つひとつが、社会復帰への確実な一歩になるはずだった。私の言葉は、きっと数学の公式のように、正確で、そして「正しかった」のだろう。
けれど、返ってきたのは「あなたの言葉は分かりにくい」「もう、あなたとは話したくない」という、静かな拒絶だった。彼のOSは、僕のOSが弾き返してしまう「感情」という言語で、助けを求めていたのだ。彼は、正しい答えを求めていたのではなかった。ただ、トンネルの中で一緒に座ってくれる誰かを、求めていただけだったのだ。
私の『翻訳機』は、またしても致命的な誤訳を犯したのだ。嫌われることを恐れなくなったはずの私の中に、「ほら、言わんこっちゃない。だからお前はダメなんだ」とでも言いたげな、あの頃の臆病な僕が、静かに顔を出す瞬間だった。胸が締め付けられ、冷や汗が背中を伝う。あの頃と同じ、完全な敗北感だった。
この二人の関係は、時に矛盾し、衝突する。
「こんな考え方を話したら、また誰かに嫌われるかもしれないよ」と、心の中の僕がささやく。
「ああ、そうかもしれないな。でも、それでも書くんだ」と、私はペンを握る。
この内なる対話こそが、「他者と関わる」ということの、本当の始まりなのかもしれない。それは、まるで扱いの難しい猛獣をなだめすかすような、根気のいる作業だ。傷つきやすく、臆病な僕の存在を、私が認め、「大丈夫だよ、怖かったね」とその声に耳を傾ける。そして、僕の痛みを理解した上で、それでも私は、「でも、行かなければならないんだ」と、自分の信じる未来へと、船の舵を切る。
妻が言った「長いトンネルの中で見つける光」とは、いつだって、妻や子どもたちの強い光の存在だ。それだけじゃなく、僕を支えてくれる人たちの言葉一つひとつが、足元を照らしてくれるからこそ、その光に辿り着けるのだ。
だから、臆病な僕と、前に進もうとする私。この二人を無理に一つにしようとしたり、どちらかを消し去ろうとしたりするのを、私はやめた。ただ、そこにいることを認める。
それこそが、多様性という言葉の、本当の始まりなのかもしれない。遠くにある社会を変える前に、まず自分の中の多様性を受け入れてあげること。
弱くて臆病な「僕」がいてもいい。それでも前に進もうとする「私」がいれば、それでいい。その二つの考えが共存できる心の中こそが、あなたにとっての優しい世界であり、そんな一人ひとりの小さな世界が集まって、本当に認め合う社会が作られていくのだと、私は信じているから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます