第5話 最強のヒーラーと、僕が背負う重荷の話

 家族を失って初めて、私は自分が何よりも重い荷物を背負っていることに気づいた。父が、そして兄が、僕という名の宇宙船から次々と下りていき、広大な宇宙に一人取り残された時、船内に潜んでいたそいつは、いよいよ本性を現したのだ。


 そいつは、僕のOSにアクセスし、メモリを食い尽くす最悪のハッカー。僕が背負う何よりも重い荷物の正体。


 そのハッカーの名は、希死念慮。

 僕は、そいつを「キシさん」と呼んでいる。


 僕の船には、常にキシさんがいる。システムのメモリが不足し、プロテクトが弱まると、彼はその隙をついて内部に侵入し、厄介なプログラムを注入し思考を無限ループさせるバグを発生させる。


「消えてしまえば楽になれる」


 その思考が、出口のないトンネルの中で、ただグルグルと廻り続ける。煩わしいが、彼を駆逐する特効薬は未だ見つかっていない。僕が身につけた唯一の対処法は、寝ることだった。スリープモードに入ることで、キシさんの無限ループを強制回避する。しかし、当然ながら、船外(社会)活動は行えない。


 そんな、スリープモードで漂流するだけの僕の真っ暗な宇宙船に、ある日、ひとりの新しい乗組員がやってきた。

 それが、妻との出会いだった。


 けれど、彼女は最初から「ヒーラー」だったわけではない。

 彼女には彼女のOSがあり、僕のOSとはもちろん違う。出会った当初、僕の『翻訳機』が彼女の言語を誤訳するように、彼女のOSも、僕のOSが出力する厳密すぎる言語を前に、きっと何度もエラーを起こしたはずだ。僕らは何度も衝突し、そのたびに互いのOSの非互換性を嘆いた。


 しかし、そのむき出しの感情で衝突した一つひとつが、僕らにとっては、お互いのOSの仕様書を一行ずつ読み解いていくような、かけがえのない時間だった。彼女は、僕のOSの複雑さに戸惑い、悩みながらも、決してこの船を下りようとはしなかった。そして、対話という名のデバッグ作業を重ねるうちに、彼女はいつしか、僕のOS『難波武尚』の、世界で一番の理解者となり、船の医療士(ヒーラー)になっていったのだ。


 彼女がどう思っているかは計り知れないが、今思えば、僕にとっては、あの衝突ですら、愛おしい思い出だ。

 僕の宇宙船が、本当の意味で変わったのは、僕らの間に、新しい乗組員が一人、また一人と加わっていった時だ。


 長男が生まれた日、僕らの真っ暗な宇宙船に、はじめて小さく太陽が灯った。

 そして長女が生まれ、その太陽はさらに力を増し、末っ子が生まれた時、その光は僕の宇宙の隅々までを照らす、絶対的なものになった。


 そして、その太陽の光に照らされて初めて、僕は気づいたのだ。自分の宇宙船の片隅に、これまでずっと埃をかぶっていた機能が搭載されていることに。それは、光をエネルギーに変換するための、小さな『ソーラーパネル』だった。


 これまでも僕の周りにはたくさんの星が輝いていた。けれど、僕のソーラーパネルは、なぜかその光には反応しなかった。それは、心を閉ざし自らが遮断していたからかもしれない。

 しかし、子どもたちという太陽の光を浴びて、僕の隣にいた彼女は、僕だけの月として、優しく輝き始めたのだ。


 彼女の優しい、子どもたちの力強い光は、これまで閉ざしていた心に風穴を開け、僕のソーラーパネルを起動させてくれた。彼女の言葉、彼女たちの笑顔、ただ一緒にいてくれるという事実。その全てが、僕のエネルギーへと効率よく変換されていった。

 彼女が隣で回復魔法と一緒にプロテクションという防御魔法をかけ続けてくれるから、僕のOSのファイアーウォールは強化され、キシさんの侵入を阻んでくれる。彼女が隣にいて、子どもたちが太陽であり続けてくれるから充電もでき、心の平穏が訪れる。そのおかげで、僕は少しずつ防御にメモリを割く必要がなくなっていき、それに伴い、明日に向かえる余裕が生まれた。


 もちろん、いくら彼女という月や子どもたちの太陽が輝いていても、僕のOSから『キシさん』が完全にデリートされたわけじゃない。彼は、バッテリーを今も劣化させ、隙あらば暴れてやろうと息を潜めている。


 けれど、決定的に変わったことがある。


 私は、守りたい存在の力で充電できることに気付いたのだ。


 重荷は消えない。けれど、僕の船にはもう、それを分かち合い、心配してくれる最強の乗組員たちがいる。

 子どもたちという太陽と、妻という月。ポンコツな船長(僕)を支えてくれる、かけがえのないクルーだ。


 そして、僕が手に入れた本当の「伝説の装備」とは、外から与えられたものではなかった。それは、彼らの光をエネルギーに変えるために、僕の宇宙船にもともと搭載されていた『ソーラーパネル』のことだったのだと、涙が出るほど、あっけなく気づいた。


 だから、私はまた、この最強の仲間たちを道しるべにして、前を向いて笑顔で進める。

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