第4話 家族という名の、宇宙船の話

 幼少期、僕にとって家族は『当たり前』の世界だった。

 しかし、思春期に学校へ行かなくなり、その世界は揺らぐ。

 僕の家は、それぞれが違うルールで動く乗組員が乗り込んだ、一隻の奇妙な宇宙船のように感じられた。


 同じ言葉を話しているはずなのに、会話はすれ違い、善意はあらぬ方向へ曲がって届く。僕は、船の中に引きこもった、ただの乗組員だった。他の乗組員と顔を合わすのがイヤで、昼夜逆転の生活を送っていた。

 それでも、当時はまだ船は賑やかだった。僕が本格的に孤独になるのは、父や兄が、その船を下りて行ってからだ。


 なぜ、僕らはすれ違ってしまったのか。その長年の疑問が、最近になって解けた気がする。

 僕らは、それぞれが全く違うOS(オペレーティングシステム)を搭載していたのだ。いや、正確に言えばこうだ。僕と同じ設計思想のOSもあれば、翻訳機を通さなければ理解できない言語を使うOSもあった。この船は、そんな非常に複雑なネットワークだった。


 父と2人の兄。彼らと僕のOSは、バージョンこそ違えど、同じ設計思想で作られていた。僕らは、男兄弟と職人の父という、非常に特殊で、無駄な装飾を一切省いた言語を使っていた。それは、OS『当たり前』が使う曖昧な日常会話とは、対極にあるものだ。


 父が使うのは、「仕事」という名の、無言の言語だった。その背中で、仕事への責任を全うするとはどういうことかを見せてくれた。機械の音、油の匂い、鉄を削る火花の熱。その厳密な世界で、僕は父の言葉を翻訳なしで理解していた。彼は、あらゆる事象がなぜ起こるのか、その仕組みを教えてくれた。そして、サッカーに興味がないのに、僕の試合には必ず見に来てくれた。父は、息子を思う感情を、言葉で「応援」するのではなく、ただそこにいるという行動で示してくれたのだ。


 地方の工業大学に通っていた2年の夏、その父に肺がんが見つかった。僕は大学を辞めて地元に戻り、父の町工場を継いだ。それが、彼のOSからインストールされた僕にとって、唯一の正解だった。しかし、その重圧に、僕のOSは耐えきれなかった。仕事に行けない日々が続き、僕がフリーズしている間も、父の命は刻一刻と小さくなっていった。


 父のOSが僕の『基盤』を築いたのだとすれば、兄たちのOSは、その上で動く複雑な『アプリ』を作る手本を示してくれた。


 6歳年上の兄は、僕にとって憧れの存在であり、最強のパラディンだった。

 僕がサッカーを始めたのは、彼がサッカーをしている姿に、ただ憧れたからだ。

 彼は、絵に描いたような優等生だった。学級委員長や生徒会長を歴任し、地元の進学校から国公立大学、大学院へと、常に最短ルートで駆け抜けていった。大学時代に彼が立ち上げた劇団の公演を、家族で見に行った時間は、僕の貴重な財産だ。

 父が、もう長くないと分かった時、教員として忙しいながらも、片道2、3時間もかかる道を、毎週欠かさず駆けつけてくれた。

 兄が高校時代にこの船を下り、僕が小学生高学年だったこともあり、彼と船内で過ごした思い出はそう多くない。彼のOSは、常に最新のアップデートが適用され、スペックもずば抜けて高い。しかし、そのスペックの高さと、6年という年月、そして長男と三男という立場の違いが生み出した彼がときおり放つ鋭い言葉たちは、幼い僕のOSでは汲み取りきれなかったこともあった。


 そして、3歳年上の兄。

 彼のOSは、僕とほとんど同じバージョンだった。

 黙っていても、兄は僕のメモリが不足していること、僕は兄のメモリがすり減っていることを正確に理解し合っていた。関西の大学に行った彼の影響で、僕はお笑いが好きになった。僕らはよく、ボケとツコミの練習だと言って、くだらないことで笑い合った。

 彼は、常に6歳上の兄を越そうとする努力の人だった。中学で不登校になったハンデを跳ね返し、高校までは同じステージに立った。しかし、その壁はあまりにも高く、彼は次第に自分のアイデンティティーを哲学や仏学、創作の世界に求めていった。そうして多分、死というものを、家族の誰よりも身近に感じていたのだと思う。僕らは、最高の互換性を持つ、双子のようなマシンだった。

 だからこそ、彼が自らの存在をこの世から静かにデリートした時、僕のOSは、その理由を理解できずに、致命的なエラーを起こした。


 母と弟のOSは難解だった。

 彼らのOSは、僕ら4人が共有していた思想とは、全く違う系統で作られているように思えた。

 母は、耐えきれないエラーが起こると誰かのせいにして心を守り、発達に凸凹のある弟の言動を、当時の僕の辞書は「甘えている」としか翻訳できなかった。

 彼らが使う「感情」という名で暗号化された言語は、僕の『翻訳機』を常にオーバーヒートさせた。

 互いの言葉の本質を分かり合えないもどかしさの中で、僕のメモリは明らかに消費されていった。


 そして、私は気づいたのだ。現在の私にある、高性能な『翻訳機』は、社会に出てからアップデートはされたが、作られたものではないということに。

 それは、この家族という名の、異なるOSが混在する複雑なネットワークの中で、母や弟の言葉を、どうにかして理解しようと、僕が必死に作り上げた、幼い日の発明品だったのだ。


 こうして、僕らの船から一人、また一人と乗組員が減っていき、僕は孤独な乗組員になった。


 最近になって、私は心のバランスを取るための、三つの言葉を知った。「他責」「自責」「無責」。

 母や弟のOSは、心を守るために行き過ぎた「他責」という盾で相手を殴ってしまっていたのかもしれない。

 3歳上の兄のOSは、行き過ぎた「自責」というウイルスに蝕まれて必要以上に自分をいらないと思ってしまった。

 そして父や6歳上の兄のOSは、ただそこにある事象と向き合う「無責」という強固な基盤を持っていた。


 この家族という名の複雑なネットワークコミュニティを、「他責」「自責」「無責」というOSの方向性の違いとして理解すること。それは、誰も責めない、私なりの「無責」への第一歩だった。そして、あの孤独だった乗組員は、ようやく自分の航海図を手に入れたのだ。


 あなたには、どんなユニークなOSが積まれているのだろうか。そこから導き出される航海図は、あなただけのかけがえのない航海の物語を紡いでいるはずだ。

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