第2話 心が空っぽになると財布も空になる話

 かつて僕は、RPG史上最高のクソゲーをプレイした経験がある。


 そのゲームのタイトルは、おそらく『社会保障』というような、ごくありふれたものだったと記憶している。


 ゲーム開始早々、鬱(彼)が「はじまりの村(孤独の部屋)」に、社会との間に見えない障壁を築き上げた。これには僕のMP(メンタルポイント:心の力)を常にゼロにしようとするおまけつきだった。


 そして、このゲームには他のRPGにはない、致命的なバグが存在した。


 HP(体力)が、所持金と完全に連動しているのだ。


 つまり、金が減ればHPも減る。


 HPが減れば、モンスター(日々のタスク)と戦う気力も湧かず、当然、金を稼ぐこともできない。金が稼げなければ、HPはさらに減少していく。


 開発者は何を考えて、こんな絶望的な無限ループを仕様に組み込んだのだろうか。


 さらに追い打ちをかけるように、当時最強の装備であった移動手段の車は差し押さえられ、薬草(日々の糧)を買う金もない。MPはゼロなので、魔法も使えない。


 こうして、HPだけが面白いように減っていく、ただ外界を眺めているだけの史上最高のポンコツ勇者が「はじまりの村」で誕生した。


 日ごとに減っていくHPに危機感を覚え、僕は最強のパラディン(兄)に、なけなしのMPで『援助』という魔法を唱えようとした。


 兄の連絡先に魔法を打ち込もうとするだけで、「申し訳なさ」と「情けなさ」という強力な弱体化効果(デバフ)が襲いかかる。そして、激しくなる動悸と噴き出す冷や汗。


『今、どうしてる?』


 魔法とは関係のない言葉を書いては消した。それだけで、なけなしの時間とHPが消費されていく。僕は、最後の勇気を振り絞って『助けて』という呪文を唱えた。


 返ってきたのは、『分かった』という、短い返信。


 勇気を振り絞って放った魔法は確かに届き、さらにMPまで回復させてくれるおまけつきだった。翌日、回復された預金通帳には、しばらく暮らせるだけの金が振り込まれていた。


 そうして平穏が訪れるかと思われたポンコツ勇者の心に、潜んでいた彼がささやいた。「本当にそれで満足か?」それは、おそらく激励ではなかった。僕が兄の優しさだけで満足してしまえば、彼の居場所がなくなる。彼は、僕が僕自身の力で挑戦し、そして無様に失敗することを望んでいたのだ。


 その歪んだ応援に、ポンコツ勇者は逆に奮い立つ。


 一時的に弱まった障壁を抜け「はじまりの村」から、「社会制度」という名の奇妙奇天烈な冒険の旅を始めたのだ。


 とはいえ、MPゼロの勇者が、いきなり本格的な冒険に挑むのは無謀というもの。まずは、冒険者たちが集うという『ギルド(市役所)』の扉を叩き、情報収集と、初心者向けのクエストを受けることにした。


 そこで、『国民年金の免除申請』という、チュートリアル・クエストを受注した。職員の方は丁寧で、渡された申請用紙も、別に難解なルーン文字で書かれているわけではなかった。


 ポンコツではない時の僕なら、5分もかからず書けるような、簡単なクエスト。それなのに、今の僕には、その一つひとつの項目が「お前は、こんな簡単なこともできないのか?」と問いかけてくるように見えた。


 社会の枠組みに、当たり前に適応できない自分が、ただただ恥ずかしかった。


 それでも、なんとかクエストは完了した。震える手で渡した申請書が受理された時、ステータス画面に、ピロリン、と音が鳴った。


「ポンコツ勇者はレベルが1あがった!」


「『社会への信頼』がすこしあがった!」


 その小さな成功体験が、MPゼロの勇者にを調子に乗らせた。「俺、もしかして、まだやれるんじゃね?」と。


 その勢いで、「もう兄貴に頼らなくても、自力で稼げるはずだ!」と、いきなり「傭兵団(会社)」への入団試験に挑んだ。


 試験官(採用担当者)は、僕のステータスシート(履歴書)に書かれたスキルだけを見ていた。スキルは、嘘をつかない。しかし、真実のすべてを映し出すわけでもない。そのシートには、僕のHPが赤く点滅していることも、MPがとっくにゼロになっていることも、何一つ書かれてはいなかったのだ。


 こうして僕は、実力で入団試験に合格した。そして、致命的な真実を隠したまま。


 しかし、傭兵団の最初のクエストは、「毎朝、同じ時間に集合する」という、MPゼロの僕には拷問のようなものだった。あっけなく追放され、「失業給付」という名の救済アイテムも手に入らなかった。


 ギルドで得た、あのささやかな自信は、木っ端みじんに砕け散った。兄にもう一度頼るプライドも、社会に出る自信も失った僕が、最後にたどり着いたのが「神殿(社会福祉協議会)」だった。


 親身な「神官」からHP(貸付)を回復してもらう優しさに触れたが、同時に「返還計画」という名の、絶対に破れない『神との契約』という無慈悲さも知った。


 万策尽きた僕が、最後に叩いたのは「最後の関所(生活保護の窓口)」。しかし、門番は「あなたは対象ではない」の一点張りで、門は開かなかった。


 最後の望みをかけ、僕は「賢者の塔(年金事務所)」を目指した。


 塔の最上階で待っていた「最終試験官」は、僕のすべてを見透かすような目で、こう言った。


「本当にあなたは、『受給資格があると思いますか?』」


 僕の心の堤防は、その一言で決壊した。


 情けなさや悔しさ、ここでも門前払いに遭うのかという恐怖。怒りではない感情が爆発し、恥も外聞もなく泣き喚いた。試験官を口汚く罵ったのか、ただただ魂から来る叫びを叫び続けたのか、今となっては覚えていない。しかし、交代した上級試験官(上司)は、僕の感情をただ受け止め、申請に必要な書類を手渡し、申請に必要な事項を丁寧に説明してくれた。


 冒険の果てに、僕は「伝説のポーション(障害年金)」を手に入れた。


 しかし、その性能は、あの門前払いされた生活保護よりも低い保障額だった。クソゲーにもほどがある。それでも、その雀の涙ほどの保障が、HPがゼロになるのを防ぐ、最後のエリクサーになったのも事実だ。


 結局、この理不尽な冒険を最後まで支えてくれたのは、制度やアイテムではなかった。僕のHPとMPを、毎日少しずつ回復し続けてくれた、妻や子どもたち、仲間という名の、最強のパーティーだったのだ。そんなパーティーメンバーとの僕の冒険はまだまだ続いていく。


 サービス管理責任者になった今、僕は思う。私の仕事は、このクソゲーの攻略本を作ることじゃない。あなたの隣にいる私を、あなたが一時的にパーティーに加えてくれるのであれば、私はきっと喜び最大限のサポートをするだろう。そして、あなた自身があなたの旅に出発する時、私のサポートを必要ないとあなたが思い、パーティーを抜けてくれと言われれば、それは、この上ない幸せなのだ。

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