アンドロイドは愛玩動物の夢を見るか?

石濱ウミ

・・・




――あの夢を見たのは、これで9回目だった。




 柔らかな春の風に誘われた何枚かの桜の花びらが、小さな蝶のように仲良く、ひらひらと舞い込むのは、見慣れた学校の昇降口。


 仲良く戯れあいながらどこまでも遠く、共に翔んで行きそうにも見えたそのなかの一枚が、唐突に薄紅のはねを、ふうわりと地面に着地させたのは、何を諦めたのか。


 地面に縫い留められたその上を、未だ舞い続ける花びらは一瞥を落とすこともなく、離れて更に遠くへ。

 

 ふと、花びらの来る方へと目を向け見れば、藍色に沈む景色のなか烟るように咲き誇る朧な桜花はなの影の上、頼りない鏡へと姿を変えた窓硝子に映るセーラー服の少女が、ひとり。


 あれは、わたし。

 

 夢でしか見ることの出来なくなった、かつてのわたしがいる、向こうの世界。




 道行く人が近づいては冷やかしに、こちらを覗き込む。

 いま、そのガラスケース越しに、わたしは街並みを眺めている。

 ここは、わたしの居たところよりも、遥かに科学の発展した世界。


 美しく高度な意匠の建築物。

 見たこともない素材の衣服。

 空を飛び交う乗り物。

 道行く人々は人間と呼ぶには、余りにもかけ離れた美貌を持ち、均整のとれた身体は皆推し並べて背が高い。

 

 わたしが居るのは、愛玩動物販売店ペットショップのショーウィンドウ。

 その、内側。

 全裸でガラスケースに入れられ、並べられているわたしの状態は、向こうの世界て売られていた犬や猫を思い出すまでもなく、同じもの。


 この世界に堕ちてすぐ、捕まったわたしは手厚い保護の後、医療機関で様々な検査を経たのち、この店へと卸された。

 そこで自然と自分が置かれている状況を理解することになる。


 愛玩動物ペットとなるヒトは、繁殖施設にてある程度の年齢まで大切に育てられること。

 それというのも店の中で乳児も幼児も見たことはなく、店に卸されてくるのは10歳程度の小児が最低年齢のようだった為だ。


 また、わたしと同じくらいの年齢の子たちも少なからずいたが、年齢を重ねても口から発するのは音ばかりで意味のある言葉を話す様子がないことから、教育というものは疎か、言語も教えられることはないということも見てとれた。


 さらには、向こうの世界の猫や犬と同じように、道行く人の持つリードにヒトが繋がれているのを見れば、二足歩行が許されているとはいえ、自ずと分かることもある。

 栄養状態のよさそうな見目に加え、綺麗でおしゃれな服を与えられている様子から、酷いことをされることはないようだが、自由もないようだということ。


 逃げる術は、ないようだった。


 とはいえ、見ず知らずの世界。逃げたところで何処へ行くというのだろう。



 そんなふうにして、店の内側から外を眺める毎日を一週間ほど経て、わたしは買われた。

 わたしを買ったのは、均整のとれた身体は二メートルを優に超えた、中性的で冷たい美貌を持つ綺麗な若い男の人だった。

 ミルクティーベージュの柔らかそうな髪、少し切れ長でブルーグリーンの瞳の中にある琥珀色の虹彩。滑らかで傷も黒子のひとつもない白い肌。長い手足。

 年齢は、分からない。

 それというのも不思議なことに、道行く人も盛年や妙齢の人ばかりで、子供や年老いた人を一度として見かけたことがなかった。


 手続きは呆気なく、錠剤を一つ飲んだ後に簡易的な服を着せられたわたしは、彼の片方の腕に座るように抱きかかえ上げられ、店を出る。


 不思議と、恐ろしさはなかった。


 もしかしたら先ほど飲んだ錠剤のせいかもしれないが、わたしを抱える彼の手が、まるで小鳥に触れるように、ふうわりと優しかったからなのかもしれない。

 

 確かに、彼から見たわたしは無力で余りにも小さいだろう。


 向こうの世界で言うなら、わたしが小柄であることを差し引いても、大人と幼児くらいの差がある。


 店を出て大して歩かないうちに、彼の傍に一台の乗り物らしきものが静かに停車した。


 どうやらそれは、彼の所有物というよりも、誰もが乗れる無人の車のようなもので、これに乗って家まで連れて行かれるらしい。


 塵一つなく綺麗に整えられた街並みが、どこか無機質に見えるのは、なぜだろう。

 彼に抱えられたままの姿勢で、ぼんやりと考えながら、車窓を流れる景色に目をやる。


 音や匂いがないからだ、と気づいたのは彼の家に着いてからだ。

 きちんと区画整理された家いえが並ぶ、その中のひとつ。

 彼に抱えられたまま車から降り、滑るように走り去るそれを横目で見送った。


 門から玄関までの長いアプローチ。

 手入れされた芝生のある広い庭。

 何もせずとも音もなく開く門や玄関扉。


 あれだけ道行く人がいたというのに、雑音が、生活音が、全くなかった。

 車にはタイヤもなく地面との摩擦音も無ければ、賑やかな電子広告も、香水や体臭、食べ物の匂いや、道行く人のお喋りも、足音すらしないのだ。


 そう、これは。


 真夜中や早朝に、ひとり街に出て、ふと全てが死に絶えた世界に足を踏み入れてしまったかのような、あの感覚と同じ。


 耳が痛くなるような静寂。


 向こうでは、瞬く間に雑多な音に囲まれ、世界にひとりではないかという滑稽な不安を、すぐに安堵に変えてくれるのに。

 ここには、それがない。


 堪らず、わたしを抱える彼を見上げた。


 わたしを見下ろす彼の表情が、大きく動くことはなかったが、僅かに上がった口角を認める。


 大丈夫。


 そう、言われたような気がした。




 家の中は、無機質な街並みとはかけ離れて意外なことに、どこか郷愁すら感じさせるものだった。


 暖かみのある板張りの床。

 ソファの前の毛足の長いラグ。

 スモーキーブルーのリビングの壁に描かれているのは、懐かしい梅の花にも似た、ゴッホの名作を彷彿とさせる花咲く枝の絵。

 

 青い空を背景に、白い花をつけた木の枝。


 灰色をアクセントに用いて、青と白と金とで纏められたインテリアは、わたしを一瞬にして虜にさせた。

 きょろきょろと落ち着きなく周囲を見回すわたしを、大きくて柔らかなソファに座らせると、彼はぎこちない手つきで頭をひと撫でして、どこかへ行ってしまった。


 ご飯を、貰えるのだろうか。


 少しの期待。

 店で出て来たご飯は、来る日も来る日もゼリーと錠剤ばかりで、栄養素は完璧なのだろうけれども、ちっとも美味しいものではなかった。


 彼を待つ間、ソファの上から暇つぶしになるものを探して部屋の中を見渡してみるが、雑誌の一冊、本の一冊もなければ、モニターやタブレットのようなものもない。

 彼は暇なとき、どうやって時間を潰しているのか気になった。

 ここは向こうよりも遥かに文明が進化した世界らしいから、わたしにはきっと想像もつかない娯楽があるのかもしれない。


 彼が戻って来た。


 手にはお皿、その上にあるのは一枚のクッキーらしきもの。

 わたしの前に差し出されたそれは、どうやらオヤツのようだ。


 食べても良いの?


 無言で彼を見上げる。

 彼の指で運ばれ、そっと口元に触れたそれに、小さく齧り付く。

 

 鼻に抜けるバターの香り、小麦の香ばしさに、程よい甘さとホロホロとした食感。

 飢えていた。

 わたしは、飢えていたんだ。

 夢中で食べ進め、我に返ったのは彼の指まで咥えてしまったとき。

 羞恥に顔を染めたわたしに構うことなく、唇についた屑を、そっと取り除いてくれる彼の優しい手つきに、何故だか胸が締め付けられ泣きそうになった。



 こうして、わたしは彼に可愛がられるだけの愛玩動物ペットになったのだ。




 愛玩動物ペットとして彼と暮らしてゆく毎日は、怠惰のひとことに尽きる。


 わたしには何もすることがないからだ。

 着替えも入浴も、食事の全ても彼の手で行われて、わたしは自分ですることを許されない。当初は恥ずかしく、遠慮がちにだが反抗さえしてみせた着替えも入浴も、彼の顔を窺い見れば表情らしきものは見当たらず、わたしに対し思うところは何もないらしいと分かってしまった。

 それならば、と考えることを早々にやめたのは、わたしの中に芽生えつつあった感情に振り回されたくなかったからだ。



 わたしを大切そうに触れるのも、何をするにも優しげな手つきなのも、何故ならそれは、わたしが彼のペットだから。


 それ以上でも以下でもない。


 与えられた部屋の中を歩き回り、家の中を隈なく探検し、庭に出て日光浴をすることは好きに出来るが、わたしに許されているのは、ただ、それだけ。


 本を読みたい。

 動画を観たい。

 お喋りがしたい。


 本は無いし、動画はどうやって観たらいいのか分からないし、声を出して良いのか分からないからお喋りは出来なかった。

 彼の留守に、彼の部屋の中に入ってみたけれど、ベッドなのだろう大きな長細いカプセルがあるだけだった。

 

 この家に無いものは他にもある。


 調理スペース、いわゆるキッチンだ。

 食事を作らないまでも、この家で彼が何かを食べているところを見たことがなかった。

 彼も、わたしと同じように、戸棚の中に並ぶゼリーと錠剤を食べるだけなのだろうか。


 温かい紅茶が飲みたい。

 具を沢山入れたスープが飲みたい。


 あんなに美味しいと思ったクッキーも、わたしひとりが口にするだけとなれば、いつしか味気ないものに変わってしまった。

 彼はわたしと食事を共にすることはない。

 わたしの食べるクッキーを、わたしが彼の口に運んだら、食べてくれるだろうかと、ふと思った。

 食べてはくれないかもしれないが、彼の形の良い薄い唇にわたしが触れても、きっと怒ったりはしない。

 

 どうしてか、そう思った。


 確信は、ないけれど。

 



 彼に寄りかかる怠惰で不自由なわたしの毎日は、果てが見えない。

 何もしなくて良いということを、こんなにも苦痛に思う日が来るなんて、考えたこともなかった。


 紙の一枚、ペンの一本もあれば良いのに。

 息を吹きかけても窓硝子は曇ることなく、指先は冷たさを覚えるだけ。

 

 楽器も、ない。

 でもわたしには、声がある。


 

 そうして彼が家を留守にするとき、決まって、わたしは歌を口遊むようになった。


 最初は小さな声で。


 今では、部屋中に響き渡るほどの大きな声で、歌う。

 向こうの世界で歌った歌を。

 何曲も何曲も、覚えている限りひたすら。

 発見もあった。

 学校で教えられた時には、古臭いだけで何とも思うところのなかった童謡『ふるさと』の意味が、この世界に来て初めて分かったのだ。

 忘れ難き、ふるさと。

 それは間違いようもなく、向こうの世界。

 

 いつの日にか帰らん。


 歌い終えて、思う。

 わたしは、帰ることが出来るのだろうか。


 窓の外に目を向ければ

 空に浮かぶのは、見慣れた月。


 わたしが堕とされたここが、ぼんやりとではあるものの、どのような世界なのか、分かりつつあった。


 ふと、振り向いたところに、いつの間に帰って来たのだろう彼が、ドアのところで茫然とした様子で立ち竦んでいるのが見えた。


 見られてしまった。

 他の愛玩動物ペットとは違って言葉を話せることを、知られてしまった。


 それでも不思議と落ち着いていられたのは、彼の方がわたしより余程、驚愕して見えたからだろうか。


 固まってしまった彼の元に歩いて向かう。

 すぐ傍で立ち止まり、彼を見上げ、わたしは初めて真っ直ぐに彼の瞳を覗き込んだ。

 彼は戸惑った様子のまま、わたしを見下ろしている。

 長い、ながい沈黙。

 


 やがて、彼はゆっくりと一度瞬き、徐に口を開く――

 




「……言語設定を、日本語に登録しました」







 その瞬間、全てが腑に落ちた。


 わたし、は彼の愛玩動物ペット

 そして同時に、アンドロイドのご主人様。

 

 

 ここは、一度人間が絶滅した世界。







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