第7話 サヤと是流扇

 村が、家が、家族が、燃えている。

 現実味の無い熱と断末魔が少女の視界を赤く染める。

 夜空に見合わない炎の明るさが嫌でも目に焼き付く。


「おっとぉ、おっかぁ、コジリ……」


 みんな死んだ、自分もすぐに死ぬ。

 何もかもが焼き尽くされている光景に思考停止と諦観をした少女は、眼前に立つ、全ての元凶たる黒い巨人を見上げる。

 炎に照らされる黒い巨人は少女を見ると、踏み潰そうと足を上げる。

 ───死ぬ。

 そう直感し呆然とその瞬間を待っていた少女だったが、背後から駆けてきた赤い巨人によってその死は阻まれた。

 赤い巨人の胸部が開くと、中から若い男が出てくる。


「乗れ!」


 その一言によって我に返った少女は、赤い巨人から伸びる糸に掴まってその胸部、操縦席に運び込まれる。


──────────────────


 サヤが目覚めると、何度目か分からない夢を思い出して額を押さえる。


「……是流扇……あの日私の村を焼いた、黒い、巨人───」


 彼女がため息と共に布団から出ると、自分の顔を覆って息を吸う。


「今の私は斬扇の魔導精なのだから…しっかりしないと」


 サヤが呟くと外へ出る支度を整える。


──────────────────


 空気を裂く鈍い音が庭に響く。

 その鈍音は安綱が持つ木刀の素振りによって何度も奏でられ、幾度も空を切る。

 木刀を振りながら彼は早朝の澄んだ空気を大きく吸い込んで、静かに吐き出す。

 移界する前からの日課であった素振りが安綱の心を引き締め、異世界に来てしまったという面倒な事実をどこかへ洗い流してくれる様で安らぐ。

 適度な運動は脳内物質が分泌されるとか、血流が改善するとか言われているが、実際に運動───素振りをしているとそうした体の変化を実感する、様な気が安綱にはしていた。


「彷界にも木刀があって…本当に良かった」


 安綱が縁側に腰掛け、その場に置いていた布で額の汗を拭うと、一息ついて家に上がる。


「にしてもこの家、シャワーもあるから結構近代的だよな。町は江戸っぽい雰囲気だけど、俺の時代に近い人達もどんどん移界してきてるってカタナが言ってたが…その影響をかなり受けてんだろうな」


 と、独り言を長々と呟いていると、呼び鈴が鳴る。

 汗ばんだ体を気にしながらも安綱が玄関の扉を開けると、そこにはサヤが立っていた。


「おはようございます、安綱くん。昨日是流扇について話すと言っておきながら何も伝えられず解散してしまったので、遅れましたが今日お話ししようかと」

「おはような、サヤ。今少し動いてた所なんで汗かいてて…シャワー浴びてからで良いか?」

「そうしましたら、また後で伺います」


 そう言って出て行こうとするサヤに、待った、と安綱が笑顔で言い放つ。


「折角なら朝メシ食ってかないか? カタナが今用意してくれてる所なんだ」

「そうだぜ!」


 台所からカタナが出てきて安綱の言葉に便乗する。


「サヤさま、朝何か食べてきたかい?」

「いえ、まだ……」

「だったら一緒に食ってけって」


 よろしいのですか? とサヤが返すと、カタナは首を縦に振る。


「魔導精さまの腹を空かせたまま帰す訳にはいかねぇよ」


 カタナが張り切りながら言うと、サヤは眉を八の字に曲げ、少し困った様な顔をしつつも、頭を下げた。


「それでは、お邪魔します」


 

 カタナに食堂まで案内され、その場にあった椅子に座らされる。


「サヤさまはここで待っててくださいな、すぐにメシ出すからよ!」


 軽快に告げると、カタナが料理を運んでくる。

 その間に安綱が軽くシャワーを浴び、カタナが用意した洋服に袖を通す。

 縫製を生業なりわいとしていた去界人が移界した事で服飾産業が画期的に進み、今安綱が着ているTシャツやズボンも流通するようになったのだ。


(古民家に住んで木刀振るってた俺だが、こういうファッションに慣れてるのは現代人って感じだよな)


 懐かしみのある肌触りに満足すると、安綱も食堂へ入る。


「出たか安綱、もう出来上がるぜ」


 そう言ってカタナが米を食卓に置くと、自分の椅子に座す。


「彷界でも穀物が主食なんだな」

「そういう部分は去界と変わりないみたいですね。魔術の有無という大きな違いがあれど、生態系や文化に関しては安綱くんの来た日本にかなり近いと思います」

「俺としてはありがたいぜ」


 安綱がはにかむと、“箸”に少し触れてから、手を合わせる。


「いただきます」


 安綱に続いて、カタナとサヤもいただきます、と告げて箸を取る。


「彷界でも言うんだな、いただきますって」

「食への感謝を忘れない気持ちだそうです。彷界でも昔からそう言っていたのですよ」

「ほんとに彷界と日本って似てるんだな」


 安綱が感心すると、焼き鮭の様な主菜を口に入れる。


「これとかマジでシャケじゃねぇか」

「こっちの世界では圭魚けいうおつってな、川の流れに逆らって故郷に帰ってくるんだと」

「シャケじゃねぇか、切り身も赤いし」


 シャケに似た魚までいる彷界に安綱は感嘆が絶えない。


「多くの去界人にお会いしてきましたが、どの方も食がとても日本に似ていると仰られていたのを思い出します。本当に日本とは、彷界に似ているのですね」

「ああ、こういう食文化は彷界の他の国では違ったりすんのか?」

「いいや、どこの国も水源や森林の環境が近しいから食文化もあんま変わらねぇな。強いて言うなら彷界の料理が色んなトコで開発されてるってくらいか」

「そうか……去界にある国々は、それぞれ環境が全然違うから色んな飯が生まれて、色んな人がいた。それが面白かったんだ」


 安綱の話にカタナがへー、とうなずく。


「また食ってみてぇな、洋風の料理も」

「どういうのが良いのかは知らねぇけど、去界の食文化も結構流れてきてるからな、確かハンバーガーとか言ったっけ、スイハって国の魔導師さまがそういう食べ物を広めたらしいぜ」


 出汁だしの風味が利いた吸い物を啜る安綱の手が止まる。


「ハンバーガー!? マジか、それ俺の好物だぜ…他の国の魔導師もスゲーんだな!」

「私の記憶が確かならば、スイハの魔導師さまは去界の中の外国から移界された方とお聞きしています」


 サヤの情報に安綱はさらに驚く。

 一方のサヤは魚の骨を取りながら切り身をほぐして食す。


「外国の人も移界する事なんてあるんだな、海外でも移界嵐が発生したりしてんだろうか」

「詳しくお話をする機会が無かったもので、その魔導師さまがどちらからいらしたのか分からないのです。いつかお会いする時間を設けたいですね」

「ハンバーガーも食いたいしな」

「スイハはジャモウの侵攻が激しく、お忙しいとの事なのでお時間を取れるかは分かりませんが、近日中にお会い出来る様に議会でも進言してみましょう」


 そう話すと、サヤが米を食べて、美味しそうに咀嚼そしゃくする。


(俺と同じく移界しちまった海外の人かぁ…会ってみてぇな)


 食事を平らげた安綱が箸を置くと、再び手を合わせる。


「ごちそうさまでした」

「俺も、ごちそうさんでした!」

「ごちそうさまでした、カタナさま。美味しかったです」


 綺麗に平らげられた各々の皿を見て、カタナが満足気に笑う。


「みんな綺麗に食ってくれたな、2人共育ちが良いんだな」

「じいちゃんに叩き込まれたからな俺は。サヤも家族に教わったりしたのか?」

「私は、以前一緒に暮らしていた魔導師さまに教わりました」


 サヤが器を重ねてカタナに渡すと、遠い目をしながら少し俯く。


「…今日は是流扇についてお話しするんでしたよね」

「そうそう、アイツ神出鬼没って感じだからな…何か知ってる事があれば教えて欲しいんだ」


 カタナが差し出した茶の湯呑みに触れて、サヤがうなずく。



「是流扇は、原初の装騎の基礎となった、最も古い装騎だと聞いています。斬扇などの原初の装騎は是流扇を元にして造られたと聞いていますが、開発された当時の事を知る者は既におらず、文献にも残されていないので詳細は分かりません」

「じゃあ是流扇の事ってほとんど分からないのか、でも何か知ってる事があるから話をしてくれるんだろ?」


 はい、とサヤが答えると、神妙な面持ちで湯呑みを握った。


「是流扇の目的───これも詳細は不明ですが……確かに私は見たのです」

「…何を?」

「あの漆黒の騎体、間違いありません。是流扇が…私の故郷を燃やしたのです」


 サヤの語気が強まる。

 今までの淑やかな彼女からは想像もつかない怒りを感じさせる雰囲気とその直後に訪れる静寂に安綱は息を呑んだ。


「私が17歳の頃、初めて斬扇に乗ったあの日、私の村は是流扇に襲われました。何故あの騎体が私の村を襲ったのか今でも分かりません。ですが、深夜にあの巨体が現れ、驚愕し逃げ惑う人々の混乱と火の不始末が元となり村を焼き尽くす程の火災になりました。それで私の家族も……」


 サヤは淡々と語りながら、未だ脳裏から離れない光景を思い出しながら言葉にしていく。


「是流扇は燃える家から飛び出した私を見て、襲おうとしたのです。その時、魔導師さまを乗せた斬扇が是流扇から私を守り、その操縦席へと導いたのです───」


 ───斬扇の操縦席から伸びた糸に手繰られ魔導師の後ろへ座したサヤは自身の然と斬扇が一つに結ばれる感覚を覚えた。それが斬扇の力となる魔術士、魔導精になった証だった。

 体から溢れんばかりの魔力を斬扇の魔導大剣に灯して、是流扇を退けた。それがサヤの始まりの戦いであった。


「何も知らない私でしたが、家族の死の遠因となった是流扇出現の意図を知る為に、その後はジャモウと戦いながら是流扇の情報をかき集めていました」

「……そんな、大変な目に合ってたんだな。サヤも、巻き込まれちまったんだな」

「正直、最初は斬扇に乗り込む事は不本意でした。自分が戦う覚悟など最初から決まってる訳が無く……だから誰かを巻き込む様な戦いをしたくは無かったのです、が───安綱くん、貴方には本当に迷惑をかけました」

「大丈夫、俺は気にしてないから」


 安綱がはにかむ。


「それよりもサヤは是流扇の情報を探してんだろ?」

「はい、80年間追い続けていました」

「それでも全然アイツの事分からなかったんだな…」

「ですが、一度だけ是流扇と再び相まみえる機会がありました」

「俺が移界した時だな」


 サヤがうなずく。


「あれは前任の魔導師さまが行方不明になり、斬扇の能力を最大限発揮させるに足る魔導師さまが見つからなかった時でした。魔導師さまの不在時にジャモウに狙われるのを避けてこの村で斬扇を隠していたのですが、是流扇に居場所が知られてしまったのです」

「装騎同士に探知機能でも付いてんのか?」

「いえ、少なくとも斬扇を含めた各国の所有する装騎には搭載されていません。もしかしたら是流扇にのみそうした装騎を探知する装置が取り付けられているのかも知れません」


 厄介だな、と安綱が眉をひそめる。


「そして是流扇は斬扇に近付かんと村に襲撃してきたので、私一人で斬扇と戦闘していました。その時です、移界嵐が起こったのは……」

「原因は…分からねぇか」

「…はい、移界嵐は常に予想外です。それで結局私も装騎らも移界に巻き込まれ、去界の、安綱くんのお屋敷付近に飛ばされてしまったのです」


 サヤの説明に安綱は腕を組みながらうなずき、次いで茶を啜る。

 湯呑みを卓に置くと、安綱は鼻で深く息をついた。


「是流扇は正体不明、神出鬼没だが、どうやら斬扇を狙ってる訳だな」

「他の装騎が襲われる様な報告は無かったので、そういう事かと……なぜ斬扇なのかは予想もつきませんが」


 ところで、と安綱が呟く。

 その一言にサヤが視線を彼に集中させる。


「是流扇に復讐したいとかって……考えたりするか?」

「…どうしてそんな事をお聞きに?」

「ちょっと心配で…サヤが家族を奪われたり、相棒の魔導師がいなくなったりしてんのも是流扇のせいじゃねぇか。それでサヤが苦しんでるなら、俺も力になりたいんだ」


真っ直ぐな瞳でサヤを見つめる安綱の言葉に、彼女は視線を落とす。


「復讐……ですか。昔はそう考えていましたが、今は少し虚しくなってしまいました。家族との記憶も朧気おぼろげになり、是流扇を追い続ける事にも疲れを感じ始めているのです。それに、今は安綱くんがいるので…勝手な行動は出来ません」

「俺が…かせになってるのか……?」

「違います! 安綱くんを巻き込みたくないだけなんです、私個人の感情で誰かがその身を賭すのはもう見たくないのです」


 サヤは両手を組み、握り締め、神妙な面持ちで言葉を発する。

 その姿に安綱は彼女が生きてきた中で多くの悲痛な経験があったのだと察する。


「確かに是流扇は憎い相手ですが…それ以上に、私の個人的な考えで誰かを巻き添えになんて出来ないんですよ」

「…辛い事聞いちまったな、すまねぇサヤ」


 いえ、とサヤが首を横に振る。



 と、耳をつんざく様な風切り音が屋敷全体に響き渡る。


「何だ急に!」

「士羽が飛行している音です、何かあったのでしょう」


 同時に電話がかかってきて、カタナがそれを取る。


「もしもし、士羽隊ですかい? ああ、安綱もサヤさまもウチにいますぜ……そうか、分かりました!」

「カタナ、どうしたんだ?」


 電話の受話器を置いたカタナが真剣な眼差しで状況を説明する。


「アンキの色んな所で魔造獣が現れたらしい、士羽が対応に急いでいるが───」

「俺達の出番ってワケだな」

「ああ、頼んだぜ安綱」


 それを聞いて安綱がサヤと共に外へ出ると、彼女の転移魔術で斬扇を呼び出し、乗り込む。

 糸が彼らを操縦席へと運び、座席に座らせると、胸部を閉じて周囲の景色を映し出す。


「乗ったは良いが、どこに向かうんだ?」

「魔術による通信でアンキの士羽隊と繋ぎます」


 そう告げると騎内の画面に士羽隊の管制官の顔が映る。


「こちらは斬扇、士羽隊の管制ですね? 聞こえますか」

「はい、斬扇…赤羽様とサヤ様ですか、ご助力頂けるのですね」

「はい、こちらの位置情報をお送りしましたので、防衛の間に合っていない地域への案内を下さい」


 管制官がすぐさま対応し、斬扇に魔造獣の位置情報を送信する。と、画面に地図が現れ、そこへの道筋を示す。


「それとお気を付け下さい、こちらの情報によると、その場にいるのは魔造獣では無く、『魔造人まぞうじん』である様なのです」

「魔造人…?」


 安綱が問うと、サヤが息を呑んで答える。


「ジャモウが直接操縦する、人型の魔造獣の様な……彼らの生み出した装騎に近い兵器です。製造に労苦がある故か、近年ではほとんど見られませんでしたが、強敵です」

「……気ィ引き締めていくぜ」


 安綱が呟くと、サヤが反重力魔術を行使し、斬扇の周囲に光輪を発生、浮遊させる。

 操縦桿を握り、安綱は地図に示された地点まで斬扇を飛翔させる。

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異世界装騎 ─いせかいそうき─ 虎ノ門ブチアナ @tempestia

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