最終章





「束の間の枷」





最終章




白い煙のような靄を掻き分けるかのよう目を開けると、私は再びあのベンチに座っていた。川沿いの風景は変わらず、夜空には星が輝いていた。


身体の痛みが無くなり、身体が軽かった。まるで重い枷が外れたような開放的な気分だった。そして私は全てが幻想だった事に暫くして気づいた。私は深い安堵感に包まれた。


手首に巻いた時計を確認すると時刻は午前2時を回った頃。煙草に火をつけた私は聞き覚えのある懐かしい音が連続して近づいてくる事に気づいた。


数瞬経った頃、私が進んできた方向の逆の方向から一人の女性が現れた。彼女は静かにベンチに腰を掛け、中央に配置された暖色の光を纏う街灯を頼りに本を読み始めた。


それから暫くの間、静かに、穏やかに時間が流れた。私は心地の良い違和感を抱きながら川を眺め、時間が過ぎていくのを感じていた。


そこから更に時間が経ち、川沿いには犬と散歩する老夫婦や、ジョギングをする若い男性が目に映る。


そんなゆったりと流れていく人たちを眺めながら私は登ってきた朝日を全身で浴びていた。大きく欠伸をしながら両手を空に伸ばした私は、彼女の方をそれとなく見ると、彼女も同じく大きく身体を逸らしており不意に彼女と目が合い2人は少し笑った。彼女は読んでいた本に花を挟み、私に言った。


「どこかでお会いしましたか?」


その声に私は驚き彼女の顔を見つめた。彼女の目には優しさが宿り、その瞳が私の心に触れるように感じられた。


「どこかでお会いしたことがあるかもしれません。」


私は静かに答えた。その瞬間、彼女の微笑みが朝日の中で輝いた。それから暫くして私が進んできた方向を彼女と共に引き返しながら彼女に聞いた。


「花の栞、素敵ですね。」


彼女は微笑みながら花を手に取り答えた。


「紫苑、頂き物なんです。」

「誰に貰ったか憶えてないですけど。」


私と彼女は不意に戯けてしまい、私と彼女は目を合わせ用意されたであろう台詞を同時に放った。2人の様子はとてもおかしく、愛おしく写った。


暫く2人で歩を進め、私は彼女になんの本を読んでいるのかと尋ねた。


「パールバックの大地」


私と彼女の手首に心地の良い枷がはまる音が、かすかに聴こえた。








「束の間の枷」









   完

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束の間の枷 かなん @katawarekanan

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