「あぁああああ！」

　アルプススタンドの端っこで悲痛に満ちた叫びを発するのは謙一。

　三者連続三振を見た直後、相手側の先頭打者。勢いを止める為にも絶対に抑えたい状況で先発の山本が浴びたのは初球ホームラン。

　センター方向に綺麗な放物線を描いた白球を誰もが見届けるしかなかった。

　

　「ヤバくねヤバくね！？　なんだよ初球ホームランって！　なんかピッチャーのデッカい人めっちゃ呆然としちゃってるしぃ！」

　「謙一君、そんなに騒がないの。静かにして」

　「あ、ごめん。でも大丈夫かなぁ。一点取られちったぞぉ……」

　「初回のソロくらいなら博一君が取り返してくれる。それより山本君の方が心配」

　マウンドでスコアボードを見て、立ち尽くす山本。博一と会話をしているが、上の空感が拭えないように見える。眉毛で山まで作ってしまっている。

　山本が緊張しているのは白那も聞いていた。

　だからこそ、今の一点よりもこの後が怖い。

　「一番がホームランを打った以上、確実に四番まで回る。投球のリズムが崩れて追加点だけは避けたい」

　「博一がピッチャー代わるってのは？」

　「試合前も話したでしょ。博一君はそんなことしないよ。付き合いの長い謙一君の方が分かるんじゃない？」

　「博一の気持ちはともかく野球の采配とか分かんない」

　「あ、そう」

　スン、と白那はグラウンドに視線を戻す。

　「そんな落胆しないでくれよぉ！　傷付くから！　ガラスのハートがパキンと割れちゃうから！」

　するとカキン、と音が聞こえた。

　鋭い当たりだが、打球は三遊間。

　「良しっ！」

　白那が両手で小さくガッツポーズ。三遊間に居るのは博一と坂本だ。

　博一は素早いフットワークで打球を難なく処理して一つ目のアウトを取る。これが抜けていたら更に流れが怪しくなっていた。山本のメンタル面からしても今のアウトは大きいだろう。

　「よっしゃあ！　ナイスだぜ博一！」

　「山本君の顔も強張ってない。けれど、続くのは三番と四番のクリーンナップ」

　「やっぱヤバい？」

　「単打ならまだ……長打は貰いたくないかも。とにかく相手の流れを切りたい」

　そうは思っていてもクリーンナップ。長打が見込める顔ぶれ三連星。

　二人に繋がれ、五番で返される可能性もある。

　事実、その三番と四番はしっかりと山本の球を捉えた。だが、どちらもショートを守る坂本のファインプレーでスリーアウトチェンジ。

　奇妙な笑みを浮かべる坂本から逃げるように博一はベンチへと走っていく。

　

　「ふぅ……ソロ一発で安心したぁ」

　お祭り打線のぼんぼりに火を点けずに済み、白那はホッとする。一回が終わっただけとは思えない緊張感で乾いた喉を麦茶で潤す。

　二回表、常磐二高の攻撃は四番坂本からだ。

　ファインプレーで勢い付き、意気揚々と右打席に入る。

　「俺さ、そこまで詳しい訳じゃないから分かんないんだけどあのショートめっちゃ上手くね！？」

　「うん。私もびっくりしてる。プレーしてるの見るのは初めて」

　「そうなの？　白那ちゃんはてっきり見慣れてるもんかと」

　「坂本君は普段のノリが……それもあって特に見たいとも思わなかったから」

　「おおう……白那ちゃんも言うねぇ」

　「でも本当に上手い。普段からあれだけ言えるくらいには。正直常磐二高に居るのが不思議」

　

　読みも動き出しも捕球してからも高校生としては一級品。

　あくまで白那の感覚ではあるが、SK学園や水上高校などの名門私立でも十分にレギュラーを取れそうに見えた。

　

　「もしかして本当に凄い選手——」

　白那がそう口にしようとした矢先、坂本のバットが空を切る。

　スリーボールの状況ですっぽ抜けたような高めの直球を空振り三振。まるで自分はおかしくないとばかりに首を傾げてベンチへ戻る。

　「……見逃せば四球だったよっ！」

　「四球より打って目立ちたいタイプなんだろうな……なんか見てて分かる。それより次は博一だぜ！」

　「打てぇ！　博一君！」

　「いっけぇええ！」

　打席に入る博一に大きな声援を送る白那と謙一。

　しかし、体の正面でバットを構える博一は一向に振ろうとしない。飛んでくる豪速球を眺めるだけ。百目鬼も不審がる素振りは見せたが、特に何事もなく見逃し三振。

　思わぬ肩透かしを喰らい、二人はお互いに顔を見合わせる。

　その後も三振を貰い、一回表と同じく三者連続三振。

　山本はランナーを出しながらも要所要所で抑え、あっと言う間に三回が終わり、四回の表。打者が一巡した常磐二高だが、それでもヒットが出ない。

　裏になれば白那はスマホを取り出す。

　「白那ちゃんさっきからスマホで何見てんの？　……ってなんで今のこの試合を中継で見てんの？」

　「ここからだと山本君が何投げてるのか分からないんだもん」

　「そこまでするんだ。すっごいな白那ちゃんは！」

　感激する謙一はそんな白那が頬を膨らませていることに気付く。

　「どうかした？」

　「……ストレートとスライダーしか投げてない」

　「え？」

　「山本君の武器はチェンジアップと決め球のシンカーのはずなのに！　どう言うことなんだろう……全然博一君の策が見えない」

　「博一のことだから無駄に縛りプレイしてるって訳でもないと思う。でもさ」

　「でも？」

　「相手強いのに二球種で抑えられてんのって凄いんじゃね？」

　

　そこで白那はこれまでの投球を思い返す。

　山本はずっとサインに対し、首を横に振っていない。

　恐らく二球種に絞っているのは博一の作戦だろう。だが、それで投球を組み立てているのは捕手の谷村だ。二巡目になった今も和太高校打線を打ち取っている。

　

　「幼馴染さんの目は間違ってなかったと思うな」

　「ん？　何の話？」

　「こっちの話」

　とは言え、相変わらず常磐二高側に点数が入らない。ヒットすら出ない。

　

　「居た居た。妃ノ宮ちゃん、ケン君、体調は平気？」

　「マスターさん！」

　「育美ちゃーん！　と、あれ！？」

　謙一にとって懐かしい顔が見えた。

　

　「ケン、久しぶりだな」

　「ナルちゃん！」

　

　育美と一緒にやって来たのはその弟の成貴だった。博一とそこまで変わらない身長だが、筋肉が目立つ体付きをしている。

　白那が見ていた中学時代とはかなり風貌が変わっていた。

　爽やかな博一とは逆に迫力を感じる。

　

　「ナルちゃん戻って来てたの！？」

　「ヒロシが野球再開したって姉貴に言われたら来ない訳にはいかないだろ」

　「え……でも予選の時期じゃ。まさかナルちゃんほどの男がスタメン外れた？」

　「馬鹿言うな！　一年の時からずっと四番センターだ！　シード校なんだよ！」

　「そう言うことか。びっくりしたー」

　「全く……おっとすまん。ケンの所為で自己紹介が遅れたな。ケンの所為で」

　「二回言うなぁ！」

　成貴は白那に体を向ける。

　「俺のことも知ってるとは聞いてるけど一応、前田成貴だ」

　「妃ノ宮白那です。初めまして」

　「敬語なんか使わないでくれ。むず痒い」

　迫力のある顔の割に笑顔は柔らかい。

　「ヒロシのファンなんだってな。そんなファンから見て今日の試合はどんな感じになってる？」

　「只今完全試合の最中……相手が」

　

　白那は何故か山本が二球種しか使っていないことも成貴に説明する。

　その間に博一の二打席目が回ってくる。今度こそ、と期待するもふんわりとした打球がショートに飛び、あっさりアウト。

　頭を抱える謙一と口をモニョモニョさせる白那。

　あの博一が全く打ててないと白那も流石に不安になる。

　「ヒロシの奴……馬鹿な作戦決行してんなぁ」

　「ナル君分かるの？」

　「多分だけどな。打線がここまで抑えられることを想定してたんだろう。実際あのピッチャーはかなり良い。ヒロシがあんな慎重にタイミング調整してるのも珍しい」

　「今のショートへの打球、わざと？」

　「だろうな」

　

　前田姉弟のやり取りに白那が驚く。

　「わ、わざと！？　何の為に！？」

　「完全試合を継続させる為だ。相手は無名の高校。とは言え、完全試合やノーヒットノーランはそう簡単に出来ることじゃない」

　「今頃完全試合達成に意識が傾いてるかもしれないってこと？」

　「ヒロシと違って大体の奴は記録を意識するだろ。こうなると勝負所は七回。仮にそこで三者凡退でも」

　「八回でヒロ君が確実に決めてくれる。それに野球は九回二死でも分からない」

　

　力強く言い切る白那に成貴が嬉しそうに笑った。

　そして始まる七回表。完全試合が見えてきた和太高校の守備に緊張が走り始める中、打席には俊足の一番バッター荒木。

　緊張で引き締まる心臓に負けじと白那は両手を握り締めた。