第16話


 完全試合継続中の百目鬼は興奮した様子でマウンドに上がる。守備陣営もまさかの記録まで残り三回と言う状況に浮ついていた。

 完全試合をされてるとなれば常磐二高ベンチの空気は最悪。

 唯一、谷村だけが不安を顔に出していないくらいであり、博一だけがしめしめと相手の様子を眺めている。

 だが、これは最悪の想定。本音を言えば金本が一本打ってくれた方が良かった。


 「古田」

 「何?」

 「荒木が出塁したら進塁させる自信はあるか? ないなら海東先輩が代打」

 

 百目鬼の調子は博一の贔屓目なしに絶好調。古田のミート力は知っている。三巡目になるのも知っている。が、三振かダブルプレーは絶対に避けたい。

 プレッシャーが掛かる頼みだが、ここで退く古田でないことを博一は知っている。


 「分かった。打つよ」

 「そしたら荒木はセーフティバント狙ってくれ」

 「……」 

 「不満か。あの球を絶対に打つ自信があるならヒットで良い。ただ、バントするならピッチャーに捕らせろ」

 「分かったよ。やりゃ良いんだろ」


 状況が悪いのは荒木だって分かっている。悔しいが従うことにした。

 確かに博一の言う通りだった。今日の調子で百目鬼の球を打つのは難しい。それ自体もそれを見透かされてるのも悔しいことこの上ない。

 それでも荒木は負ける方が嫌だった。

 

 「これだけノってるチームにバントが通じるのかよ……」

 

 自分にしか聞こえない声で呟きながら打席に入る。

 フォークの落差に対応出来る自信はない。だが、ストレートの速さを見るだけなら慣れてきている。ストレートをバントする自信はあった。

 荒木はバントを気取られないようにわざとバットを強く握り締める。

 今日の百目鬼は調子の良さに胡座をかいているようで初球ストレートが多い。

 そして読み通りのストレート。荒木はバントで豪速球の勢いを殺し、三塁側に転がして全力疾走。

 意表を突かれた百目鬼とサードが慌てて足を前に出す。

 荒木の狙い通りピッチャー寄りに転がった打球を百目鬼が捕球。動いた向きとは逆の一塁側に体を捻りながら送球を試みる。

 完全試合を継続する為に。

 普段はノーコンと噂されるピッチャーが。

 

 「あっ……!」


 何処からか声が聞こえた。

 百目鬼の悪送球がファーストの頭を越える。

 しかし、ライトのカバーもあり、荒木はファーストで止まった。

 

 「これで完全試合は潰れたぞ。残っているのはノーヒットノーランだけど」

 「ここまで来て拘るもんなのか?」


 ベンチでしてやったりの博一に山路が問い掛ける。


 「キャプテンだったらこの状況で気にします?」

 「するに決まってるだろ!」

 「じゃあそう言うことです。正直拘ってくれた方がありがたいっすね。試合の経過よりも記録に意識を持っていってくれるなら」

 

 それで無駄に力んで投球ペースを乱してくれたら万々歳である。

 だが、ノーノーは逃せないと逆に投球に火が点いている。元々荒れ気味だったストレートが更に荒れ、フォークの落差も変わらずだ。

 

 「あら……?」

 「おい足本……不安になる声を出されると困るんだが」


 絶対進塁させると意気込んだ古田も打席で焦っていた。

 三打席目なら打てると思っていたのだが、ボールに勢いが増している。なんとか三振は避けようと必死にカットカットカットの連続。

 バントをする自信もなければファウルになった瞬間アウトである。

 

 「くっ……!」


 タイミングも読みも完璧だったのにボールはバットの上部を掠め、後方に。

 ストレートのノビが良く、ほんの少しだけずれてしまう。

 リトルシニア時代、博一が言っていたことを思い出す。


 

 ——打撃は水物。打てない時もあればあっさりと打てる時だってある。



 古田にとって今日は『打てない時』だと悟る。ならばやり方を変えるだけ。

 本職は捕手の古田だ。百目鬼の投球の癖も、調子が良い時に相手捕手がでしゃばらないことも見抜いている。恐らく次もストレートを投げてくる。

 ストレートのタイミングにだけは確実に合わせる自信があった。

 ノビが良くてバットの上を掠めるのならば——上から叩く。


 「おいおいマジかよ古田」


 ベンチで見ていた博一は驚くしかない。

 斜め下へと振り下ろすスイングは普通のスイングと違い、ではなくで捉える必要がある。そもそもそんなスイングは普通しない。

 百キロを余裕で超えたボールを点で叩くのは無茶だ。

 しかし、古田はやってみせた。グラウンドに叩き付けられたボールは高く飛び跳ね、マウンドの下へと落下していく。

 今度こそ百目鬼は落ち着いてファーストへ送球。

 ノーノーは続いているが、二塁に荒木が居る。得点圏だ。


 「さぁ谷村先輩! 返していくとしましょう!」

 「プレッシャー掛けんじゃねぇよ!」

 「大丈夫ですよ。後ろには四番が居ます。全く打ててないですけど」

 「打ててねぇのは足本も一緒だろうがよぉ!」


 博一の言い分に坂本が怒鳴り、谷村が笑う。


 「ははは、それじゃあ頑張って塁を綺麗にするとすっか。落とせない頑固汚れだったら二人に任せる」

 「だそうだ。しっかりやれよ坂本」

 「なんで他人事なんだ」 

 「俺は打つから。そもそも先輩と坂本が凡退じゃ回ってこないかもしれない」

 

 博一は百目鬼の球を見切っている。前の打席の時点で長打は狙えた。

 虚勢とも言い切れない博一の様子に坂本は唇を尖らせる。


 「そろそろ打ってくれよ四番。シロに無安打見せるつもりか?」

 「何ぃ!? 妃ノ宮ちゃんが来てるってのか!? 何処だ!?」

 「あのビジュの良さはスタンドに一人しか居ないだろ」

 「先に言え先に!」


 そこで聞こえてくるバッターアウトの声。

 

 「悪い。頑固汚れだった」

 「しつこい頑固汚れは何かとしつこい四番が綺麗にしてくれるっすよ」

 「誰がしつこい四番だ! しかし、綺麗にはしてやろうじゃないか。このオレ様が!」

 「打てると思うか?」

 「打つんじゃないですか? 人間って、単純ですから」

 

 博一はスタンドに向かって人差し指を立てる。

 谷村は納得したように頷いた。

 そうでなくとも三巡目。

 坂本はボール球のフォークには手を出さず、続いてインコースにストレートが差し込まれる。ストライクかボールか判別の難しい際どい球だが。

 博一はネクストバッターズサークルでほくそ笑む。


 「坂本はそのコースでも飛ばせるぞ」

 

 白那に見られていると知った坂本はここぞとばかりに右中間に弾き返す。

 その間に荒木は三塁を蹴ってホームへ帰還。完璧なタイムリーツーベース。

 完全試合もノーノーも潰され、形容し難い顔付きになってしまっている百目鬼の傍に内野陣が集まる。

 

 「どうせまだ同点だ、とか言ってんだろうな。と言うかあいつは何時までピースしてんだよ怒られるぞ」


 二塁で常磐二高側のスタンドに全力でピースサインを見せつける坂本。

 まだ白那が何処に居るのか分かっていないらしい。変装しているから当然と言えば当然である。


 「はしゃいでる金髪が目印。隣にスターズの帽子が居ればそれがシロ」


 聞こえもしない助言を呟きながら博一は打席に。

 胸の前でバットを高い位置に掲げる。まるで空に祈りを捧げるように。マウンドの百目鬼に目を向け、これまでの打席から作った枠をイメージする。

 振る気が全くない初球——ストライクゾーンを外れるフォーク。

 坂本に打たれ、ちょっと前までの強気な配球ではなくなっている。

 となると、少しでも長打の可能性を低くする為にアウトローに集めてくるだろうと博一は予想する。

 案の定、二球目はアウトローにストレート。

 

 「ボールツー!」


 噂通りの制球難が焦りで戻ってきている。

 博一は右足に全体重を乗せ、次を狙う。恐らく同じであろうアウトローを待つ。

 坂本にインコースを打たれている以上、そこに投げるのは怖くなると見た。そしてボールスリーを避けたいこの状況。

 確実にストライクを取ろうとボールは甘くなる。

 

 ——来た。


 博一は予想ドンピシャの甘いストレートを全力で流し打ち。

 甘いとは言えアウトローを引っ張れるはずもなく、泣く泣く流して全力で走る。良い角度で飛ばした感覚はあるが、流石に流し打ちのホームランはないだろう。

 そう思いながら打球と右翼手と中堅手の動きを見る。

 ライトを守っていた選手はフェンス側まで駆けて駆けて——ストップ。


 「あっ?」


 博一が発した素っ頓狂な声と同時にスタンドから大音量の歓声。

 フェンスギリギリの逆転ツーランホームランに打った本人が苦笑う。


 「はは、ラッキー」


 両手を上げて喜ぶ白那と謙一に向けて拳を掲げ、ホームイン。

 ベンチで山路や谷村、山本たちとハイタッチして大騒ぎ。


 「良し! こっから完璧に守って勝つぞ! 谷村先輩、チェンジアップとスクリュー解禁で」

 「やっとか! いやあほんと苦労したぞ二球種でリードするのは!」

 「僕、完投するんですか?」

 「当たり前のこと聞くなよ。大丈夫。焦ったあいつらはここから増える球種に対応出来ねぇから。特にチェンジアップは絶対に芯で捉えられない」

 「スクリューを見せる必要もないかもな。追加はチェンジアップだけで行くぞ」

 「えぇ!?」


 女房役に球種を絞られた山本が目を大きくする。

 山本のストレートとチェンジアップは速度差が少なく見分け難い。そこまで早くないストレートを長打にしようとして引っ掛けさせる作戦は博一も賛成だった。

 博一の後に続いた六番打者がアウトになり、チェンジ。


 「弱気で行くことだけは絶対に辞めろ。自分自身が信じられないのならバックを信じて投げろ。任せた。ほら行くぞ」


 グローブを持ってベンチから繰り出す博一の背中が山本の目に映る。

 どんな表情をしているのかは分からない。けれど、間違いなく不安げではないと確信出来た。頼り甲斐のある大きな背中に口元を引き締める。

 守備になれば博一たち内野陣は投手の背中を見ることになる。

 

 「そこで頼りない顔をしていると思われたくない」

 

 初球のホームラン以外は打点を取られていない。

 その事実を自信に山本はマウンドに立つ。

 それからの展開は博一の言う通りだった。配球にチェンジアップが混ざるだけで空振りや凡打が増え、安打が減る。

 八回には金本のがむしゃらフルスイングが見事ボールに命中。

 特大ホームランの援護を貰い、安心感と共に山本は最終回を投げる。

 最後は簡単なショートゴロ。ファーストへの送球がスパッと決まった瞬間、山本はグラブを叩き、左手で拳を握った。


 夏の甲子園予選茨城県大会。常磐二高、初戦突破である。

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