第30話 水面下の闇



 午前1時。

 私はあの五輪塔へ到着した。

 急いだ割に時間がかかってしまったのは、真っ暗闇ですっかり雰囲気が変わってしまった道のせいである。


 周辺には街灯すら無く、数十メートル先にあるトンネルの明かりを頼りにようやく石塔見つけ出した。



私「ああ…、やっとたどり着いた。」



 それに近づくと、すだれのように垂れた木の枝が、闇の中から突然現れて私の顔にぶつかった。


私「うわっ!」


 私はその夜風に晒されて冷たくなった葉っぱが頬に触れたのを、幽霊の手が覆い被さったと錯覚し、腰から砕けて地面に伏した。



私「な…何だよ。ただの枝か。」


 私はかつてここでした奇妙な体験のことを思い出し、より恐怖が強まって背筋が凍りつきそうになった。恐怖を押し殺しながらも何とか立ち上がったが、この足は生まれたての子鹿のようにガタガタと震えている。


 そして早くその場を去りたいために、封筒を人差し指と中指で挟むと、折り紙の手裏剣しゅりけんみたいにパッと塔の後ろへ投げ入れた。



私「さぁ…帰ろ帰ろ…。」



 手紙さえ置くことができればこんな場所に留まる必要などない。私は脇目も振らずに、さっと車へ戻ろうとした。



 しかし、その時だった。


 〜♪


 にわかに着信音が鳴り響いた。私のスマートフォンに電話がかかってきたみたいだ。

 突然のことに心臓が飛び出そうになったが、通知画面を見てさらなる悪寒を感じずにはいられなかった。




 電話は未登録の番号からだった。一体誰が、しかもこんな時間にかけてきたのか皆目見当かいもくけんとうもつかない。


 だからしばらくは応答するのを躊躇ためらっていたのだが、いくら待っても着信音が鳴り止むことはなく、それがイタズラ電話でもない様子に見えたから、怖かったけども通話に応じることにした。



私「…はい。お世話になっております。」






 すると、電話口から聞き覚えのない、妙に明るい男性の声が聞こえた。

 

 「こんにちはーーー!」


 その陽気な声に、さっきまでの恐怖心は一気に吹きとんでしまった。

 電話の相手は受話器に口をつけてなお大声を張り上げたものだから、音が割れて私の鼓膜をビリビリと震わせた。



 「こんにちはーーーー!こんにちはーーーー!!」



 様子から察するに老人の男性のようだが、声に聞き覚えがなかった。しかも、その明るい調子で挨拶を数度繰り返しているから、若干ボケているように思えた。



私「あ、あの、どちら様でしょうか。」



 すると声の主は少し黙ったかと思うと、次のように言った。




「私の名前はですねぇ、山本ですー!!」




私「山本さん…?…あっ!」



 その名を聞いた時、緊張が走った。

 私の交友関係や職場の中に山本という名前の男性は存在しない。だから、唯一思い当たるのは山本姫犬だった。

 つまり、電話をかけてきた相手は、妖怪衆の頭目に他ならなかった。



私「え…え…、何で…。」


 しかし、だとしたら何故、彼は私の携帯番号を知っているのだろうか。私は彼の名前を知るのみで、直接会ったことすらないはずだ。





 だが、これについてはすぐに答えが思い浮かんだ。 

 かつてこの五輪塔を訪れた際、私の名前と電話番号が書かれた名刺をこの場所で数枚落としてしまった。もし、あの時、それを姫犬が拾ったのだとすれば、彼が私の番号を知っていることに説明がつく。


 おそらく、私が以前に手紙を持ってきた時、彼は近くの茂みにでも身を潜めてその様子を伺っていたのではないか。そして、その時に顔を覚え、再びここを訪れた私に電話をかけてきたのだろう。

 








 すると、私の後方に誰かが立っていることに気づいた。

 靴で道路を踏むザリという音がしたかと思えば、トンネルの光に照らされた人型のシルエットがこちらへ長く伸びてきた。



 まさか、私のすぐ後ろにいるあの人影は、姫犬本人ではないか。すると、彼はもうすぐそばまで迫ってきている。

 それを確信した手がブルブルと震え始めた。そして、「こ…こんにちは。」と消え入りそうな声で返答すると、彼はそれをかき消すような大声で次のように言った。



姫犬「‥えっとですねーー、あのーーー、振り返らないでくださーーい。絶対に、振り返らないでくださーーい。動かないでくださーーい。」



 そして、電話の内容と全く同じことを話す声が、僅かに早く後ろから聞こえた。

 間違いない。後ろにいるのは姫犬である。


 

 私は指示に従って体を硬直させた。が、スマートフォンを耳から少し離し、暗転した画面を鏡のように使って、そこに反射する彼の姿を見た。 



私「あ…あれが、そうなのか…。」

 


 その顔まではハッキリと見えなかったが、彼はハンチング帽を深くかぶり、赤いストライプが入ったTシャツのボタンを一番上までしっかりと留めていた。一見すると普通の老人に違いない格好である。

 



 そんな彼は、奇妙な指示を出してきた。



姫犬「右手って分かりますよねーー、お箸を持つ手ですーー!


 その右手を、後ろに差し出してくださーーーい。前を向いたまま、こっちへ差し出してくださーーーい。」



私「み、右手ですか…。」



 私は言われるがまま右手を後ろへ運び、てのひらをゆっくりと夜空の方向に向けて広げた。そこへジャリジャリという足音が近づいてくる。




姫犬「…動かないでくださーーい。そのまま、動かないでくださーーい。」




 


 

 カシャリ。



 すると私の手のひらに、何かカサカサしたものが乗った。とても軽くて風で吹き飛びそうなそれを、慌てて握りしめた。


 姫犬はこれを渡すために右手を後ろへ伸ばすよう求めたのである。しかし、一体これは何なのか。それを確かめようにも、彼に動くなと言われているため、しばらくそのまま固まっていた。



私「あの…これ何でしょうか。」



 すると、この謎の物体を手に乗っけられた瞬間を境に、彼からの返事は全く無くなってしまった。先程まで聞こえていた明るい声がピシャリと止んで、電話口と背後から私を押さえ込むように沈黙が訪れた。その一変した空気に危険を察知した神経がピンと緊張する。



私「あの…これって、何ですか。」



 同じ質問を再度したが、やはり返事は返ってこない。

 代わりに、私の耳元で獣のように荒い息遣いが聞こえた。また、彼との距離は30cm程にまで狭まっており、私の首筋に生暖かい鼻息が当たった。


 ゼーーー、ゼーーー。




私「あ、あの‥。」


 


 豹変した彼の様子に言葉を失った。

 そして、呼吸の荒さから、激しい怒りをはっきりと感じ取る事ができた。

 さっきまでの陽気な雰囲気は私を油断させるために装ったもので、その手が届く範囲に来た途端、怒りに支配された本性を明らかにしたようだ。



 しかし、だとしたら一体何がこの男の怒りを駆り立てているのか。

 理由もわからず、手に握っているものを横目で確認した。







 そして、その答えを理解した。

 なんとそれは、私が以前に黒萩を装って妖怪衆に宛てた手紙で、しかもビリビリに破られていたのだ。

 

私「あっ…。」



 …気づかれている。

 私が彼らに送った手紙が偽物であることに気づかれている。


 それを悟った。 

 

 姫犬は偽物をあっさりと見抜いて、しかも私が犯人であることも分かっているみたいだ。だからそれをビリビリに破いて、本当の差出人のもとへ怒りを込めて突き返してきたのだ。

 でも、実際星海は彼らに襲撃されたわけだから、他の妖怪衆は騙されたということなのだろうか。


 にもかくにも相手が怒っているのは当然である。だから、彼の感情をこれ以上刺激しない程度の小さな声で謝るほか無かった。

 



私「す、すいません‥。どうか、お許しください‥。ご、ごめんなさい…騙すつもりは…無かったんです。」



 しかし、その間ずっと彼は私の後ろに無言で立ち尽くしている。もちろん、耳に当てているスマートフォンからも呼吸音だけが伝わって来た。


 振り返らずとも、鬼のような形相の彼が、氷のやいばのごとき視線を私の背中に突き刺していることは分かる。

 そして、今にも後から襲われて致命傷を喰らったって、さらには殺されてっておかしくないぐらいに緊迫した状況であることも重々承知している。


 その上で、ただ謝り続けた。それ以外に何もできなかった。




私「許してください…助けてください…。」




 地面には私とその背後に立つ姫犬の重なった影が、静寂の中トンネルの光に照らされてたたずんでいた。彼は張り付いたようにその場を動かず、おそらくは無防備の私を生かすべきか否かを悩んでいるのだろう。

 彼の決断一つで、私の命は儚くも消えてしまう。まるで、お腹を空かせたオオカミに退路を塞がれたリスになった気分であった。





 それからどれぐらい経ったかは覚えていない。

 さっきまで後ろから聞こえていた獣のような吐息が急に静かになったかと思えば、そこからゆっくりと遠ざかる足音が耳に届いた。そして、それはどんどん小さくなり、やがて聞こえなくなった。

 



 ツーーーー。ツーーーーー。



 同時に、電話も切られた。






私「ゆ…許されたのか…。」



 おそるおそる振り返ると、そこには誰もいなかった。右を見ても左を見ても、月明かりに照らされた草木があるだけで、一切の人影はどこにも無かった。

 つまり、姫犬が私の命を奪うことをしない決断をし、どこかへ行ってしまったようだ。


 それを知ったと同時に一気に緊張の糸がほぐれ、安堵のため息と共に私は地面にひざまづいた。何故許されたのかは分からなかったが、とにかく私は一命を取り留めたようだ。



私「良かった…良かった…。」


 

 


 その時どこからともなく吹き抜けた風が、右手に握りしめていた紙屑かみくずさらい、花吹雪のように宙へ散りばめた。



私「早く…早くここから逃げよう…。」


 そして、私は脈動する胸に手を当てると、逃げるように車に乗り込んでその場をあとにした。




 

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