第31話 海の見える町



 こうして私は九死に一生を得たわけだが、その心はずっと恐怖に支配されて落ちつかなかった。

 私の顔や名前、そして偽物の手紙を送って彼らを扇動せんどうしたのを姫犬が知っているということは、星海と同じように妖怪衆から襲撃をいつ受けてもおかしくない状況にあることと同義である。


 すると、彼らの根城に近い場所にあるタイヤ公園に近づく気もすっかり失せてしまった。

 だから瀧宮に会いたい気持ちを抑え込み、私は大人しく仕事に従事するようになった。




 ところで、この時は繁忙期も過ぎて、職場は落ち着きを取り戻していた。

 


上司「…それでさ、いるんだよ!広島県の山中には妖怪が…。しかも、その妖怪が車を買おうとしたんだ。いや、信じられないかも知れないけど本当なんだ。だって車庫証明手続きの依頼がウチに来たんだよ。」


 上司は私から妖怪衆の話を聞いてからというもの、すっかり興味津々となり、職場の人間を捕まえてはその奇譚きたんを聞かせて回っていた。


 そして、この「妖怪が車を購入しようとした」という、字面じづらだけでもインパクトのある話は、一風変わった雰囲気のある怪談として驚かれ、聞き手の心を踊らせた。


  



 当然、その手続きに直接関わった私は、その奇妙な集団のことについて色々尋ねられたわけだが、姫犬とあの邂逅かいこうを経てからというもの、恐怖に押しつぶされて全く答える気になれなかった。


 


私「すいません…。その話はちょっと…。」



 この日もそんな質問を受け流し、デスクに張り付いてキーボードを叩くことに集中した。




 そして、しばらく作業を続けると、これまでの私の行動に対する一つの反省が思い浮かんだ。


 それは、私が妖怪衆を我々一般人と比べて発展途上の段階にある人々だと見下していたことが、軽率な行動を起こした一つの原因であるということだ。


 つまり、彼らが山中で暮らしているというだけで野蛮だと決めつけ、少しあなどっていたのだ。だから手紙を偽って簡単に騙せると思っていたし、バレたところで自分が犯人だと特定されないだろうとたかくくっていた。


 例えるならば、それは大航海時代の開拓者がジャングルの奥で現地人に接触したぐらいの、油断に満ち溢れていた気持ちであった。


 だが、実際のところ彼らは想像以上に賢く、しかも私に電話する手段すら備えていたのだ。妖怪がスマートフォンを持っていたなんて、誰が想像できるだろう。


 こうして彼らと我々の間にあらゆる手段の技術的な差がそこまで無いことを分からされたし、それまでの自分の慢心を恨む結果となったわけだ。









上司「‥なぁ、妖怪衆のことについて他にも教えてくれよ。」


 そんな私の憂鬱ゆううつな気持ちなど知らず、上司は子供のようにキラキラした目で話しかけてきた。

 私はこの無邪気な顔に半分呆れながら、とにかく今は危機的な状況にあることを伝えた。



私「あの…、詳しくは言えないんですけど、もし、俺が突然姿をくらますことがあったら、もう命は無くなったものだと思ってください。冗談じゃありません。本気で言ってます。

 とにかく妖怪衆に深く関わると、ろくなことがない…。今、俺が言えるのはそれぐらいです。」



 しかし、それが余計に上司の好奇心を刺激したらしく、彼は国家機密の情報でも扱うかのように、周囲をキョロキョロと見回して囁いた。



上司「なるほど…。それぐらいに奴らの情報はヤバいってことだな。大丈夫、俺はもう何が起きても驚かないさ。…でも、もし、お前がその危機的な状況を免れたら、その時は彼らについて色々教えてくれよ。な?」

 


 そう言って彼はご機嫌な様子で自分のデスクへ戻って行った。私の命のことなど一切心配する様子が無いのを見て、思わず深いため息がでる。





 が、そんな恐怖を忘れるぐらいのことが起きたのは、作業を再開して間もなくのことだった。

 仕事がひと段落した時に、私はふと机上に積み上げられた膨大な顧客リストに目をやった。それは中古車を購入した時の登録に関わるものだったのだが、そこに気になる人物の名前があった。



 瀧宮という名前だった。

 もちろん、私の頭に浮かんだのは、タイヤ公園にいる恋人のことである。



私「え…瀧宮?!」



 その名前から目が離せなくなり、慌ててその書類の束をを引っ張り出した。

 書類には個人情報が列記されており、住所や生年月日までも全てそこに書かれていた。


 だが、よくよく確認してみると、その年齢は40代後半。私の知っている瀧宮とは別人であった。



 

私「…なんだ。苗字が同じだけの別人かよ…。」



 

 落胆し、そのまま書類を元の場所へ戻そうとした。

 しかし、あることに気づいて、もう一度それを見た。


 この人物、今19歳の瀧宮の親であってもおかしくはない年齢ではないか。いや、その可能性は十分ある。何故なら、瀧宮なんて珍しい名前、おいそれとお目にかかれるものではないからだ。

 期待を膨らませ、添付された免許証のコピーに目をやる。そして確信へと変わった。証明写真に写っていたのは、私の日夜恋焦がれる相手の面影がある綺麗な女性の顔だったからだ。


 やっぱり、この人物は、私が知る瀧宮の母親である。



私「ということは…。」

 

 すると今度は、私の視線はその住所の方へ向けられた。ここは、私の恋焦がれるあの人が生活していた場所に違いないのだ。

 

 「広島県 佐伯さえき青野あおの…」

 

 この場所は海に面した漁港であり、牡蠣かきの養殖などが盛んに行われている。私はここの地を靴で直接踏んだことはないけども、山口県方面へ行く際には何度も車で通り過ぎたことがあったからすぐにピンときた。



私「そうか…青野か…。あんな飾りっけの無い街に、瀧宮みたいな美少女が暮らしていたんだ。きっと…小さい頃からモテたんだろうなぁ…。」


 これまでの瀧宮の人生における楽しいことも辛いことも、青野みたいに無骨な船舶が並ぶ街を舞台に起きた出来事だったというのは想像もつかないことだった。腕っぷしの強い漁夫に育てられたハナタレ小僧達が、花のように美しい彼女と幼馴染なんてことがあって良いのか。



私「不思議なことだなぁ…。」



 私は、偶然にもこの場所で生を受け、彼女がいる青春時代を過ごした人たちのことをうらやましく思った。



 そして、どうしてもこの青野へ行きたい衝動に胸が圧迫された。


 この場所へゆけば、幼少から彼女の目に映ってきた景色を私の目で観れると思ったからだ。また、そうすることで彼女の元へ一歩近づけるような気がして、それがまた強烈に意欲を掻き立てた。




私「あれ…?」




 すると、にわかに奇妙なことが起こった。

 その住所をしばらくみていると、急に瞼がピクピクと動き始めたのだ。それは、かつてこの職場で軻迦羅の名前を聞いた時に起きた挙動と非常によく似ていた。

 まさか、私に取り憑いた怪物もまた、この場所に興味を示しているとでもいうのか。



私「よし…、行こう。」



 少し馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、それが最後の一押しとなって、私は青野訪問を決意した。




私「お疲れ様です。」


 事務所を退出したのは21時。

 これからコンビニで簡単な夕食を済まし、そのまま車で青野に向かうつもりだ。


 しかし、職場の出口付近にあるトイレで用を足していた時、デスクに缶コーヒーを置きっぱなしにしていることに気づいた。

 絶対に必要とは言わないが、仕事終わりに飲もうと準備していたものだったため、それを回収しようと再度事務所に戻ることにした。


 すると、扉は半分ほど開いており、中から上司の他の社員との会話が聞こえてきた。



上司「いやぁ…、俺さ、この前は本当に怒鳴りすぎたよなぁ。」



 それを聞いてハッとなり、ドアノブに触れていた手を引っ込めた。どうやら、彼らは私がこの前叱られたことについて話しているようだ。

 気がつけば、ドアの前で息を潜めて、その会話を盗み聞きしていた。



上司「あの時は、カチーンときちゃったんだよな…。

 でもさ、申し訳ないと思っているんだぜ。

 実は、俺、あの日、行政書士会の幹部から業務改善がなってないって叱られてさ、すっごくイライラしてたんだよ。そんな時、あいつがミスしちゃったからさ…つい。」



 私は、ドキドキしながらその話を聞いていた。

 上司は私の意識を改善するためにあえて強く言ったのではなく、ただ溜まっていたストレスを我慢できず、私に当たってしまったらしい。



 たとえそうだとしても…別にそれはもう終わった事だし、蒸し返して腹を立てるなんてことはなかった。だけど、彼が次に放った言葉が、私の心に不愉快なしこりとして残ったのだった。



上司「カッなってやったことはもう仕方ないんだよ。…仕方ない、仕方ない。

 はは…この『仕方ない』ってのは、人間が…とりわけ日本人が悪いことをやっちまった時によく使う言葉だと思うんだ。まるで、どうしようもない不可抗力のせいで、自分が悪いことをしてしまったみたいにな…。本当は、ただイライラしてただけだろうに…。

 ったく、ガキと変わらないのに、言い訳をしなきゃ気が済まないんだよ。俺たちゃ…。


 でも、自分に言い訳をするってのは、自己防衛の観点からすごく大事なことだと思うんだ。そう思わねぇと、やっぱり心が押し潰されちゃうからな。」



 それを聞いた時、私の足は事務所へ入ることを拒み、談笑する彼らに感づかれないように、そっと暗い廊下を戻った。

 



 すごく嫌な気分になった。



 でも、その不愉快な話が、陰鬱さに圧迫された私の心を軽くしたのも事実である。私がこれまでしてきたことも、「仕方ない」の一言で全て片付くのではないかと思ったからだ。

 



私「仕方ない…、仕方ない…か。」



 気がつけば、出口に設置された緑色の非常口の明かりにボヤッと照らされた私の口が、無意識に上司の言葉を繰り返していた。


 

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