初戦敗北
パソコンの前で聡は目をむいていた。
「なんだよ、これ……」
月産自動車が暴落していた。
必死にネットを泳ぎまくる。ヤフーの個別株掲示板にたどり着き、やっと理由が解った。
「昨日のあれ見たか」
「中期経営計画だろ。くそだな経営陣の奴ら、おれらをだましやがって!」
なんのことだ。さらに下をたどる。
「配当性向を30%にするってIRに書いてたのにな。確約してたんだぜ。蓋を開けてみると30%を目指すだとよ。これって明らかな詐欺だよな」
「株主集団訴訟を起こすか?」
「くだらんじょ。負けた額より弁護士費用の方がかかるじょ。わちきはおりるじょ。バイバーイ!」
震えてきた。怒りか恐怖、どちらか分からない。とにかく手が震える聡。
ツールを開き、即刻売却。でかい。14万円のマイナス。
「ふー!」
冷静な判断ができない。低位株の恐ろしさを知った。PERを見ていなかった。負債額の大きさに目をつぶっていた。経営陣の質を全く考えに入れていなかった。ドラッカーのマネジメントは腐る程読んだはずなのに。
聡の頭の中が堂々巡りをしている。
(舐めてた……株を。でも誰も予想できんかったはずや。こんな、公式発表をくつがえすなんて!)
初心に戻ろうと考えを改める。企業分析はまずROAを割り出すところから始める。しかしROEしか頭になかった。
「くそっ!」
夏海がコーヒーをいれて持ってきてくれた。聡の機嫌が悪いのを敏感に察する。
「お昼からの仕事どうするの」
「それどころやない!……いや、ごめん」
横からじっと聡の顔を見る夏海。なにも言わずに台所へ去っていった。
聡は低位株には手を出すまいと決心する。株価が低いのは必ずそれなりの理由があるのだと。
焦りが目を曇らせる。
ため息をつきながらROAの高い企業を物色していった。
(14万……ひと月の手取りがパーだ)
頭はそのことでいっぱいでネットの内容が入ってこない。
(一銘柄に多額を突っ込んでいたな。分散投資が基本や。そんなことも忘れてたわ)
時が刻々と過ぎてゆく。いつの間にか夕方になり今日の畑仕事はできなかった。
(おとんにどやされるな)
「あなた、ご飯よ」
「分かってる。あと少しや」
それから二時間、ようやく20銘柄選び終えた。
(各指標は合格の銘柄ばかりや。これで間違いないやろ)
ひとりで台所で遅い晩飯を食べる。
夏海がお茶をいれてくれる。
「負けたの?」
女は鋭い。
「いや。なんでもない」
夏海がじっと聡の表情をうかがっている。そして目を合わせ言う。
「私にだけはちゃんと話して」
「なんでもないって」
それ以上詮索するのをやめる夏海。
「お風呂入ってくるね。あなたも入る?」
夜のお誘いだ。
「分かった。めしはすぐに食うわ」
風呂にふたりで浸かると夏海がやっと笑顔になる。
「ねえ?」
「んん?」
「子供もっと欲しいよね」
「そやな」
「がんばんなくっちゃね」
「そやな」
夏海が聡のアソコを見る。
「?勢いがないわね」
「そやな」
「なによ、もう。うわのそらで」
「そやな……ん?いや、ごめんして。がんばるわ」
風呂桶の中でそのまま結ばれるふたり。ここだけが唯一のふたりだけになれる場所だ。親と同居はきびしいものがある。
「なあ、今度一緒に空気ベッド買いに行かへん?」
夏海は即座に反応する。
「なにその趣味」
「ええやんか。最近マンネリやん」
「風俗嬢ちゃうで」
「サービスせえや。子供でけへんぞ」
夏海が真剣なまなざしを向ける。
「株で負けても生活費はちゃんと渡してよ」
マウントを取ろうとする聡にしっかり釘を刺す一枚上手の夏海。
「金のことで心配させへんて」
「株ってやっぱり難しいんじゃないの?言いにくいけど、あなたのお師匠さんもむかしぼろ負けしたじゃない。ギャンブルでは無敵の人でもやられちゃう。土俵が違うんじゃない?私は社会科学部だから証券の専門じゃないけど、はっきり社会科学の観点から言わせてもらうわ。株の専門家でも実戦では勝てない世界よ。いくらあなたが経済専門でも個別株はあたらない方が無難だと思うわ。家訓を忘れて株にのめり込んで仕事をないがしろにしているあなたは見たくない。私からはそれだけ」
聡は腰を動かすのを止めた。
「なによ。はむかう気?」
「はむかってるわけちゃうわ。そんな話こんなことやってる最中に言われたらいくもんもいけへんわ」
再びマウントを取ろうとストライキだ。夏海はじっと考えている。
(勝った!)
「で?すけべ椅子、ちゃうわ空気ベッドの件は……」
聡がお伺いをたてる。
「いいわ。そのかわり毎日よ」
「えっ!ためてからしたほうがこっちはええんやけど」
「私が生理のときためればいいじゃない。毎日。分かった?」
「はぁ。それでええわ……」
すべてお見通しの夏海に主導権を握られつつある聡である。
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