「……ということなんや。でな、専門外かもしれへんけどもっとおとなしくなる薬とかあるなら中西なら知ってるかもしれんと思てな。こうして電話かけてん」

「精神科は専門外やからなー。おれは外科医やで。処方箋があるなら見たるわ」

「処方箋か。病院に行ったら出してくれるかな」

「入院している姉ちゃんと一緒に薬局に行ったら出してくれるやろ。もろたら一度飲みに行こか」

「分かった。言うとおりにしてみるわ」

 聡は電話を切った。あくる日父に事情を話し、仕事を休みにしてもらい病院に行く。

 凛と面会し、マッチングアプリは順調か聞く。

「なかなかええ人おらんわ」

 としょぼくれている。

「おっさんばっかりやねん」

「あんたもおばはんやろ」

「恋がしたいねん、ちゃんと。生活のために仕方なく結婚するとかやなくてもっとこう……分からんかな。とにかく50代の人が多いねん」

「分かる分るよ。でも50代でもかっこいい人なんぼでもおるで。最近の50代は昔でいうところの30代くらいに若くなってるやろ。食いもんが違うからや。俳優でいえば竹ヶ内豊とか、福原雅治とか、50代やで」

 凛が笑う。

「そこまで高望みしてへんわ……でもそうかな。やっぱりかっこええ人と巡り合いたいわな。その上でやさしい人」

 ポカンと上を見上げる凜に聡は咳ばらいをし、今日面会に来た本当の理由を話す。

「外出許可もろて薬局についてきてほしいんや。本人やないと処方箋くれんらしいみたいやし」

「処方箋?なんで」

「まあええから」

 病院のすぐ横にある調剤薬局にふたりで入る。処方箋をもらい、また面会室にもどる。

「そんなんどうすんの」

「自分がときどき暴れてるのは自覚あるやろ」

「うん、なんか衝動的にな。おさえがきかんようになんねん」

 聡は寂しげな目をして凛に聞く。

「夏海のこと嫌いか」

「嫌いなわけちゃうんや、なんかこう……私だけ取り残されている気がしてな、夏海ちゃんに思わずあたるんや」

「そやろうな。やからまた結婚してほしいんやこっちは。でないといろんなことが起きそうで正直怖いんや」

 凛は黙り込んでしまった。そして泣き始める。

「みんなが心配してくれてんのも分かってる。でもな、やっぱりあの人が好きやねん。正さんが。うう……」

 聡は凛の肩を叩く。

「もう忘れや、新しい人と新しい人生を歩むんや。それしかねーやんの未来はないで」

 凛は大きく頭を振る。

「いやや!」

 泣きとおしている凛から離れ、聡は中西に電話をかける。

「処方箋もろたわ。今日出れるか?……うん……うん。じゃあ今夜いつもの飲み屋で」

 電話をきって、凛に別れをつげる。

「まああと、二ヶ月ほど出られへんで。いろいろ我慢せなあかんやろうけど、おとなしくしててや」

 凛は下を向きうなずいた。


 いつもの飲み屋に入ると中西がもう手酌で日本酒を飲んでいた。

「お疲れ様」

 聡が明太子を渡すと中西が破顔する。

「いいねえ、これだよこれこれ」

 店のおやじさんはにこにこしながら持ち込みを見て見ぬふりだ。

 中西はラップをはぎ取り、ちょびちょび明太子をつまみに杯をすすめる。

「これなんやけどな」

「どれどれ……オランザピン、バルプロ酸ナトリウム………パロキセチンやて!?」

「なんや、大声出して」

「あかんあかんあかんでぇ……パロキセチン、商品名『パキシル』や。SSRIの中でも最強の効き目がある抗うつ薬や。これは重度のうつ病の薬やぞ。それを境界型人格障害の患者に投与するなんて悪い症状がいっそう悪なるで!」

「なんや分かれへん。詳しく説明してくれ」

「このパキシルっていう薬はうつ病患者には顕著な回復をもたらすええ薬やけど、ボーダーなんかに処方すると攻撃性が一気に高まるねん。アメリカでよう銃の乱射事件なんかがあるやろ。そういうやつは少なからずこのパキシルを処方されてるっていう論文があんねん。境界型人格障害や、躁うつ病、統合失調症の患者に処方したら一番悪い薬と最近やっと医者のコンセンサスになりつつある薬やで」

 聡は息を吞む。医者の中西が言うんだから間違いないだろう。

「攻撃性が自分にむかったらリストカットに、他人にむかったら……どえらいことになるかもしれん。主治医にこの薬をやめてくれるようにたのまなあかんで。なにか起きる前に。しかし納得いかんな。勉強不足もええとこやでその医者。やぶ医者や、やぶやぶ」

 中西の飲むピッチが速くなる。聡もビールをたのむ。

「もうあの病院に通いだして8年近くたつからなぁ。旦那の正さんと不仲になったのもそのころやから、やっぱり最初から処方されてたんやろうなぁ。なんかだんだん腹立ってきたわ」

 聡もビールを一気に飲む。

「抑うつ気分を患者が訴えたらなんでもかんでもパキシル出しとけって思いこんでるんやて。処方をやめるように直訴して、それでもだめなら医者……いや病院を変えるべきや。そのままにしといたらいちばんあかんで」

「ありがとうな今日は。勉強になったわ。とにかく対処法が分かっただけでもありがたかったわ。餅は餅屋や、さすが医者やなあ」

 さてどう訴えるか。それで頭がいっぱいになった。


 かけがえのない身内を薬漬けにしたやぶ医者。


 許せない。

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