第32話 異変
掃き掃除を続ける諏訪を尻目に、死神達は行動を開始した。会話は一切ない。それぞれ押し黙ったまま、怪しいと思うものをスケッチやメモにとり、時にサンプルとして採取し保存する。なかなか地道な作業だった。危険を考慮し、単独行動はせず集団で作業を進めることに予め決まっている。木が大きいので周りを6分割し、全員の調査が終わったら次のエリアに移るという手順で調査を進めていった。
ムラカミはここでも苦戦していた。怪しいと思われるものが見つからない。気になるのは季節外れの開花だが、あいにくムラカミは樹木の生態や病気などには明るくない。死神は待機時間が長い。知識を吸収するチャンスはいくらでもあったはずだ。もっといろんな本を読んで勉強しておくべきだったと今更ながらムラカミは後悔した。
調査が終わったものはエリアの端で待機する。全員集まったら次のエリアに移る。それを3回ほど繰り返したときだった。四番目のエリアでムラカミは幹を調べていた。そこで小さな異変を発見した。ちょうど影になっていて分かりづらいが、幹の一部が変色している。顔を近づけると何かが発酵しているような匂いがした。ムラカミがそれとなくヤマガミに視線を送ると、気づいたヤマガミが近寄ってきた。ムラカミが無言で変色した部分を指差すと、ヤマガミは訝しげな表情を浮かべてそれを見つめた。ミカミとイケガミも二人の様子を見て何事かと寄ってきた。そして幹の変色を見てヤマガミと同様の表情を浮かべた。ベテラン勢より先に異変を発見できたことにムラカミは内心得意になっていた。この異変の原因は自分が見つけようと思い、もっとよく観察するために身をかがめ変色している部分に顔を近づけた。だが幹の根っこに生えてるぬるぬるした苔に足を滑らせ、ムラカミは前のめりに転倒した。悲鳴を寸でのところで飲み込み身体を起こすと、魔除けの札が剥がれて地面に落ちていることに気がついた。
(ヤバイ!!)
ムラカミが青ざめた次の瞬間、周りの空気が一変した。
まだ明るかったはずの周囲から光が消え、重たい空気がムラカミたちにのしかかった。桜の花びらだけが関係なさげに軽やかにひらひらと辺りを舞っていた。
ムラカミは頭上から何者かの気配と視線を感じた。見上げると桜が爛漫と咲き誇っていた。ありえない時期に花開いた桜は発光しているかのよう輝いて見えた。何かがいる気がしたムラカミは目を凝らして桜以外のものを探した。そしてそれに気づいた。
(女……?)
桜の花の間から女がこちらを見ている。身体は見えない。顔だけが花の間に埋もれるようにしてあった。女は無表情だったが、目鼻立ちの美しさは桜の花にも見劣りしないほどだった。ムラカミが思わず見惚れていると、顔に何か雨粒のようなものが落ちてきた。
(何だ?)
雨粒のようなものを手で拭うと、手のひらが真っ赤に染まった。同時に腥い臭いが鼻を突いた。それは血だった。呆然としていると、目の前に長い髪がばらり、と垂れてきた。
その瞬間、背後から獰猛な唸り声が聞こえ、ムラカミを飛び越えるようにして巨大な黒い毛の塊が髪の毛に喰らいついた。それと同時に周囲の重苦しい空気が消滅した。
「ムラカミ!早く逃げろ!」
そう叫んだのはヤマガミだった。ムラカミはハッとして急いでその場から逃げた。視界の端で先ほどの毛の塊みたいなものが恐ろしい声を上げながら何かと戦っているのが見えた。ムラカミは出口を目指して走った。先ほど通った門の前には三人の死神と諏訪が既に扉を開けてムラカミを待っていた。
「ムラカミ、こっちに来い!早く!八咫烏に乗って逃げるぞ!」
ヤマガミが門を押さえながら叫んだ。門の外にはいつの間に呼んだのか八咫烏が待機しており、ミカミが諏訪とイケガミの手を引っ張って八咫烏の背中に乗せていた。ムラカミが門の外に出るとヤマガミは急いで扉を閉め、素早く閂をかけた。固く閉ざされた扉のすぐ向こうから、獣が骨肉の争いをする不気味な声が聞こえた。すぐ後ろまで追いかけられていたことに気づき、ムラカミは血の気が引いた。
「ムラカミくん!急いで!」
ミカミがそう言って手を伸ばした。その手を掴んでムラカミも八咫烏の背に乗った。全員が避難できたことを確認すると、ミカミは八咫烏に合図を送った。八咫烏は大きな翼を広げてその場を飛び立った。八咫烏も本気を出しているのか、前に乗った時とは比べ物にならないスピードで飛行し、枝垂れ桜はどんどん遠ざかっていった。大御山が点のように小さくなるまで、ムラカミはずっと目を離せずにいた。髪が触れた部分が酷く痛い。死神は死なないのに怪我はするんだ、とムラカミは緊張と恐怖の糸が切れた頭でぼんやりと考えた。
死神の采配 仕事始め編 マツダセイウチ @seiuchi_m
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