第17話 謎

 熱砂の道を越え、一行はようやく次なる街、サフィールへと辿り着いた。旅の疲れを癒し、次なる目的地への情報を得るための休息を求めていた彼らの目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。


 「なんだ、この街は……」


 シェバンニが唸る。普段ならば旅人や商人で賑わうはずの街路はひっそりと静まり返り、人影一つ見当たらない。店は固く閉ざされ、そこかしこに生活感がありながらも、まるで時間が止まってしまったかのようだ。


 不穏な空気が街全体を覆っている。チコルは胸騒ぎを覚え、シモの顔を見上げた。シモの表情もまた、困惑に満ちていた。


 「おかしい……ここまで人の気配がないなんて」


 「疫病……いや、それにしては綺麗ですね……」


 「あいつらが言ってた『ナゾナゾ魔神』のせいなんじゃねぇの……って」


 私たちが茫然としていると、シェバンニが警戒の声を上げる。


 「おい、見ろ! あれは……!」


 シェバンニが指差す先、サフィールの上空には、漆黒の巨大な影がゆっくりと旋回していた。それは、かつて世界を恐怖に陥れたという、凶兆の証――ドラゴンだった。


 竜種はプライドが高く、縄張り意識が極めて強い。成竜がその住処である山や谷から離れ、このように人里の上空を執拗に旋回するなど、通常では考えられないことだった。


 「確かに異常事態のようだな」


 インヒューマの顔から、いつもの余裕が消え失せる。ドラゴンの存在は、この街にただならぬ事態が起きていることを物語っていた。


 「まさか、住民は全てドラゴンに食べられ……!」


 私が最悪の事態を想像して青ざめると、隣でインヒューマが「いや」と言った。


 「どこか、人間の気配が一箇所に集まっている」


 シェバンニは彼の言葉に同意を示すように、街の向こう、大きな円形の建物を睨み付けている。


 「あれ、多分闘技場だろうな。嫌な匂いがする」


 彼の獣人としての鋭敏な感覚が、闘技場から放たれる異常なまでの魔力と殺気を捉えていた。それはまるで、巨大な捕食者が獲物を弄ぶような悍ましい気配だった。


 「オレらでもドラゴン退治なんてしたことねぇぞ」


 「自信がないならここで一匹寂しく待っているか?」


 「うるせぇ、細くなったからって調子乗ってんじゃねぇぞ。すぐ戻るくせによ」


 「やれやれ……口だけは立派だな」


 「あんだと!」


 すぐに喧嘩を始める二人を尻目に、シモは腰に携えた杖の刀心を確認した。


 「行くしかないね」


 シモの一声に、一行は警戒を最大限に高めながら闘技場へと足を進めることになった。街の不気味な静けさは、闘技場に近づくにつれて何千もの人々のざわめきと、時折響く悲鳴へと変わっていった。


 闘技場の入り口には武装した兵士たちの姿はなく、ただ鉄格子の門が開け放たれているだけだった。しかし、その門の向こうから漏れ聞こえる人々の恐怖と、圧倒的な魔力の奔流は、彼らが容易に立ち入ることを許さない雰囲気を醸し出していた。


 「盗賊どもは本来ここで仕事してたのかなぁ」


 「さあね……」


 意を決し、剣闘士の入場口から闘技場の内部へと足を踏み入れた。私たちの目に飛び込んできたのは、想像を絶する光景だった。


 闘技場の観客席には、サフィールの住民たちがすし詰めにされ、恐怖に顔を歪ませながらアリーナを見つめている。


 アリーナの中央には、金貨や宝石、そして財宝の山が築かれ、その山の上に、一人の少女が座っていた。


 三つ編みおさげの可愛らしい少女。


 しかし、その背中からは小さな羽が、尻からは短いしっぽが生えている。そして何よりも、彼女の周囲に満ちる圧倒的な魔力と、その無邪気な笑顔の裏に潜む残酷さが、彼女がただの少女ではないことを物語っていた。


 その少女の頭上を上空で旋回していたドラゴンがゆっくりと舞い降り、その巨体を晒す。ドラゴンの目はギラギラと猛りを秘めたまま住民たちを見下ろしていた。


 少女は楽しげな声で、闘技場に集められた住民たちに向かって声を飛ばす。


 「ねえねえ、みんなー! 次のナゾナゾだよー!」


 その声は、まるで子供の遊びのようでありながら、住民たちにとっては死刑宣告に等しい。


 「私は声帯を持たないけれど、たくさんの物語を語るわ。一体なーんだ?」


 「な、なんだよ」「誰も分からないことないわよね!?」「おい、お前こういうの得意じゃないのかよ!」


 住民たちは顔を見合わせるが、誰も答えを口にできない。恐怖と混乱が彼らの表情に浮かび上がる。


 「ん〜誰も分からないのかな〜? 残念!」


 少女が指をパチンと鳴らすと、上空のドラゴンが唸り声を上げ、怯える住民の一人をその鋭い爪で掴み取った。悲鳴が闘技場に響き渡り、他の住民たちはさらに恐怖に震え上がった。


 「ふふん、正解は『本』でしたー! 次も頑張ってねー!」


 無邪気に笑う少女。その光景はあまりにも非現実的で、チコルは思わず息を呑んだ。


 旅人に問いかけ、答えられなければ命を奪う。それはまるで……


 「……スフィンクスか」


 インヒューマの苦々しげな呟きが耳に入り、疑いは確信に変わった。


 「やっぱりそうですか、人の姿をしているので少々戸惑いました」


 「その血を引く者なのだろうな。個体数の減った魔物は異種同士で交わることがある……しかし能力まで引き継いで生まれる者は少ない。アレは運良く、いや運悪くか、全てを得てしまった姿よ」


 本来であれば獅子の身体と人間の顔を持つ、ピラミッドの頂点に顎を乗せられるほど巨大な魔物。


 かつて、とある僧侶と問答を繰り返し、敗北を認めたことをきっかけに姿を消したと言われていた。


 それが姿を変え、再び現界している。


 「あいつ……あのクソガキがドラゴンを操って!」


 シェバンニが怒りにその身を震わせる。彼の獣としての本能が、あの少女の底知れない魔力と、ドラゴンから放たれる純粋な殺意に最大限の警戒を発していた。


 「……子供だからと、許せるものではないですね」


 私は目の前で繰り広げられる理不尽な殺戮と、それを引き起こす少女の無邪気さに言葉を失っていた。魔族というものは、あのような笑顔で人を殺すのか。まるで、花を摘むかのように。


 「あれ、知らない顔ね! あなたたちもやる?」


 「……構えろ!」


 少女の首がガクン、と傾き、渦を巻いた目がこちらを向く。一拍置いて、シェバンニが喉を震わせた。インヒューマまでもがそれに従い、手のひらから黒い炎を創造している。「かかれ」と合図をすべく、シェバンニが深く息を吸い込んだ。


 その時だった。


 「やあスフィア・アンドロ。久しぶり」


 シモが手を振りながら、アリーナへと足を踏み出した。その穏やかな声は、恐怖に満ちた闘技場の空気に全く似つかわしくないものだった。


 私たちは呆気に取られていたが、少女――スフィア・アンドロは、シモの声にハッと顔を上げた。その顔には先ほどまでの残酷な笑みとは違う、純粋な喜びの表情が浮かぶ。


 「ええ! シモー! 来てくれたのね、アタシ嬉しい!」


 スフィアは金貨の山から軽やかに飛び降り、シモのもとへと駆け寄ろうとする。その姿はまるで、長年会っていなかった親友に再会した子供のようだった。


 しかし、彼女は途中で足を止め、瞳を輝かせた。


 「じゃあ、シモにも問題ー!」


 スフィアはいたずらっぽく笑うと、シモに向かって指を突きつけた。


 「アタシからのとっておきよ! 答えられないと、あなたもパックリ割れちゃうわ!」


 その言葉に、チコルは息を呑んだ。シモが危険に晒されている。


 「シモ、答えては駄目です!」


 「夜になると現れ、朝には消える。それでもあなたを見下ろしている……一体なーんだ?」


 まるで、ゲームを楽しむ子供のような無邪気さで、彼女はシモの命を懸けたナゾナゾを突きつけたのだ。


 「……それは星かい?」


 シモは少し考える素振りを見せ、穏やかに答えた。


 「ん〜……惜しいから、半殺し!」


 スフィアは首を傾げ、指をパチンと鳴らした。次の瞬間、シモの身体が見えない『何か』によって、斜めに切り裂かれたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る